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映画『魔女の宅急便』解説&感想 少女の成長を極めて丁寧に描いた名作

どうも、たきじです。

 

今回は、スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』の解説&感想です。スタジオジブリ設立後の宮崎駿監督作品としては、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』に続く3作目となります。


同名の児童文学を原作として、映画独自の設定やキャラクター、ストーリー展開も含んだ、オリジナリティ溢れる作品に脚色されています。2014年に実写映画が公開されましたが、こちらも原作の児童文学を実写で映画化したものであり、本作の実写化ではありません。


ちなみに"宅急便"はヤマト運輸の登録商標で、普通名称は"宅配便"。原作では宅急便がヤマト運輸の商標であることを知らずに付けられたタイトル(ヤマト運輸は無関係)でしたが、本作の製作にあたってはヤマト運輸がスポンサーになっています。

 

その他の宮崎駿監督作品の解説&感想はこちらから(各作品へのリンクあり)

 

作品情報

タイトル:魔女の宅急便

製作年 :1989年

製作国 :日本

監督  :宮崎駿

声の出演:高山みなみ

     佐久間レイ

     戸田恵子

     山口勝平

上映時間:102分

 

解説&感想(ネタバレあり)

少女の成長物語

本作の主人公は魔女の少女キキ。ほうきに乗って空を飛び、相棒のネコと話をする魔女の少女が主人公だと聞くと、すごくファンタジーな物語に聞こえますが、本作が描くのはキキの人間としての成長物語。一見特殊な物語に見えて、多くの人が共感できる物語になっています。


本作のストーリーを一般化した表現で説明してみましょう。


親元を離れて、

見知らぬ地で暮らし始め、

都会の冷たさに孤独感を覚え、

やがて始めた仕事に四苦八苦し、

うまくやり遂げたと思えた仕事も報われないこともあり、

時にはプライベート犠牲にし、

仕事の大変さ知り、

友人(恋人)関係に悩み、

精神的な不調は仕事にも影響を与え、

それでもそれを乗り越えて、

成長していく…。


どうでしょう?社会人の方なら経験したことのあることが多いのではないでしょうか。そうなんです。本作は児童文学を原作とした子供向け作品のように見えて、いろいろ人生経験を積んだ大人の方が、心を揺さぶられる作品なんです。


私も例に漏れません。家に本作のビデオがあったので、私は子供の頃に何度も本作を見ていたのですが、大人になってみて初めて見えてくることも多いのです。もちろん子供の頃も、それはそれで楽しく見ていましたけどね。

 

丁寧な心理描写

本作は、非常に丁寧に、キキの心理描写がなされています。キキの表情や行動、キキの身に起こる出来事によって、彼女の内面を描きます。ジジがいるので、キキに台詞を喋らせることで心情を表現することもできるわけですが、台詞で直接的に表現することは少ないのです。


例えば、町を訪れたキキが疎外感を感じるシークエンス。キキの挨拶に対し気まずそうに立ち去る人々、交通マナーを咎める警官、身分証の提示を求めるホテルマン。それらに対する不安、焦り、怒り、悲しみといったキキの心情は、キキの表情や、食事が喉を通らないことで描写されます。


その後、キキはおソノさんの家に下宿することになるのですが、この時、キキのラジオから流れる音声に注目。作品冒頭、キキが家にいた時は日本語だったのが、ここでは英語になっています。心理描写とは違いますが、見知らぬ土地に来た彼女の状況を際立たせる演出としてうまいと思いました。


さて、丁寧な心理描写という点で、特筆すべきは終盤。キキの魔法の力が弱まり、空を飛ぶこと、ジジと話すことができなくなるところでしょう。


これは、仕事とプライベートでの悩みによる精神的不調からくるスランプと考えられます。


おばあさんからの宅急便の依頼に対し、機転を効かせて古い窯でパイを焼き上げ、雨の中必死に届けたのに、受取人からは冷たくあしらわれてしまいます。


トンボと仲良くなれたのに、トンボにはたくさんの親しい友人がいることを目の当たりにして嫉妬心からその場を去ってしまう。そんな素直になれない自分にうんざりします。


そんな経験を通じた彼女の心理を、魔法の力が弱まるという出来事で表現しています。これは子供の時にはまったく理解できませんでした(笑)。こうしたニクい表現が本作のうまいところです。


キキにとって、魔法の力を失うということはアイデンティティの喪失。仕事ができなくなる以上に深刻な問題です。そんな中で、絵描きのお姉さんとの交流は重要なシークエンスです(子供の頃は正直退屈でした)。


お姉さんも絵が描けなくなるという経験があると言います。


「それまでの絵が誰かの真似だって分かったのよ。どこがで見たことがあるってね。自分の絵を描かなきゃって。」


これはクリエイターらしい表現ですね。宮崎駿の経験が投影されているのかもしれませんね。

 


キキは恋をしていたか?

さて、キキの精神的不調に、恋の病が含まれていたか、すなわちキキがトンボに恋心を抱いていたかは意見が分かれるところかもしれませんね。それを表す直接的表現はありませんから。ですが私は、キキはトンボを異性として意識していたと思います。


上記の、キキが嫉妬心を抱くシーンでは、単なる友達であるだけでなく女の子であったことが、より嫉妬心を大きくしたと思います(いかにもパリピな面々であることも含め)。


また、このシーンより少し前に、キキがトンボと自転車に乗るシーンがありますよね。このシーンで自転車がふわっと浮き上がります。これは、キキのウキウキした気持ち、恋の高揚感のようなものが彼女の魔法を誘発したと解釈しています。自転車にプロペラをつけただけでは物理的に浮かぶはずがないですからね(プロペラが前に進む推進力を生み、翼で揚力が生まれることで飛行機は浮かびます)。


それから、キキがトンボと仲良くなる頃から、ジジが隣の家の白猫と仲良くなり、やがて恋仲になる描写。キキの相棒であるジジが恋猫を見つけるというのは、キキがトンボという相手を見つけたことの示唆と考えられます。


キキは最終的にこのスランプを乗り越え、空を飛ぶ力を取り戻すわけですが、ジジとは話せないままです。これも、キキがここまでの経験を通じて少女から大人(というと言い過ぎかもしれませんが)へと成長したことを間接的に描写していると考えられます。


子供の時は、ジジと話せないままということに、もやっとした寂しさを覚えたものです。子供向けには、再びジジと話せるようになる結末の方がすっきりするのは間違いないでしょう。でも、そうしない。それがいい。繰り返しになりますが、本作はキキの成長物語ですから。

 


美しい町と音楽

本作の舞台となる海沿いの町、本当に美しくていい町じゃないですか?ヨーロッパを中心として、各地の街並みを組み合わせたということですから、日本人が憧れるヨーロッパの風景になるのは当然と言えば当然か。


海があって、美しい都会の街並みがあって、シンボルとなる時計塔があって、路面電車が走り…。高低差のある街並みもいい感じ。


そして久石譲の音楽。異国情緒あふれるメロディによって、この町の雰囲気をさらに良くしています。


音楽と言えば、本作の主題歌として使われたユーミンの曲も忘れてはなりません。故郷を飛び立ったキキがラジオを付けると『ルージュの伝言』が流れ出してタイトルバックに入るオープニングは、最高に決まっています。


飛行シーンの爽快感

宮崎駿監督作品には付き物の飛行シーンですが、本作においては、魔女の飛行という特殊な形態が描かれます。映画を見る我々がそうであるのと同じように、映画の登場人物達も憧れの眼差しでキキの飛行を見上げるのがいいですね。上述の通り、舞台となる町の美しさと久石譲の音楽も相まって、飛行シーンは毎度映えるシーンになっています。


また、本作では"地上移動"が飛行シーンとある意味で対比的に描かれています。


トンボの自転車で遠くまで来た道を、キキははるばる歩いて帰ります。また、飛べなくなったキキが絵描きのお姉さんの家に行く際には、バスとヒッチハイクで車を乗り継いで移動します。序盤にほうきでひとっ飛びだったのとはえらい違いです。


これらのシーンで、地上移動の大変さを無意識に印象付けられていることで、飛行シーンの気持ちよさが際立って見えます。


そういう意味では、キキがデッキブラシで再び飛ぶクライマックスは、完全に自由に飛び回るところまで完全復活した方が、爽快感という意味ではさらに際立っていたでしょう。


しかし、何度も繰り返すように、本作はキキの成長物語。大切な人のために集中して、デッキブラシを必死にコントロールして飛ぶ、最後までもがき続ける姿こそ重要なのです。


トンボを助けるために飛ぶキキをテレビの前で応援する人々、「あの子、飛んだわ!」と歓喜するおソノさんに、みんな必ず感情移入するはずです。

 


「私、この町が好きです」


直接的な表現ではなく、間接的な表現でキキの内面を描く本作ですが、エンディングでは直接的に、両親への手紙という形でキキの心情が吐露されます。

 

お父さん、お母さん

お元気ですか。私もジジも

とても元気です。仕事の方も

なんとか軌道にのって、少し

自信がついたみたい。

落ち込むこともあるけれど

私、この町が好きです。

 

台詞として読まれるのはここまでですが、画面に映る手紙には、この後も町の人のことや友達のことが書かれています。


様々なことを経験した上で、「私、この町が好きです」と言えるようになったこと。親元を離れたキキが精神的に独り立ちしたことが、この台詞から感じとれます。


やはり、大切な人が故郷から都会に出るのを見送った人が心配することは、

 

元気でいるか

街には慣れたか

友達できたか

寂しかないか

お金はあるか

(『案山子』©︎さだまさし )


なわけですよ(笑)


この手紙を読むと、これらの心配は無用で、安心して良いことが分かります。キキを見守る親の目線で本作を見ると、これ以上ないハッピーエンドと言えるでしょう。

 

最後に

今回は映画『魔女の宅急便』の解説&感想でした。子供が楽しめることはもちろん、大人になってから見ると新たに見えてくることも多い作品です。そういう意味では子供と一緒に見るのに適した作品と言えるでしょうね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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映画『シン・ウルトラマン』解説&感想 原作へのオマージュと再構築

どうも、たきじです。

 

今回は映画『シン・ウルトラマン』の解説&感想です。本作は、1966年から1967年にかけて放送されたTV『ウルトラマン』をリブートした作品。総監修・庵野秀明、監督・樋口真嗣による新しいウルトラマンです。

 

 

作品情報

タイトル:シン・ウルトラマン

製作年 :2022年

製作国 :日本

監督  :樋口真嗣

出演  :斎藤工

     長澤まさみ

     有岡大貴

     早見あかり

     田中哲司

     山本耕史

     竹野内豊

     西島秀俊

声の出演:高橋一生

     山寺宏一

     津田健次郎

 上映時間:113分

 

解説&感想(ネタバレあり)

"新"ウルトラマン

本作は、原作であるテレビ版のエピソードや台詞などを一部踏襲しつつも、オリジナルのストーリーで一本の映画にうまくまとめられています。

 

原作の第1話に相当する、神永(原作ではハヤタ)とウルトラマンの融合(最初は伏せられていますが)に始まり、原作の最終話に相当する、神永とウルトラマンの分離で終わります。それだけ聞くと原作のストーリーを一本にまとめたように思われそうですが、後述するように、ウルトラマンが神永と融合した目的も、分離に至る経緯も、原作とは異なっています。

 

決して原作の総集編になることなく、新たに再定義されたウルトラマンと言えるでしょう。

 

現在も続いているウルトラマン・シリーズは、子供向けのヒーローアクションです。一方で本作は、SF要素を多分に含みつつも、リアルな世界観でうまく大人向けの作品に仕上げられています。

 

このような翻案は、クリストファー・ノーラン監督版のバットマン・シリーズ(いわゆる「ダークナイト・トリロジー」)に代表されるように、アメコミ原作の映画では以前からよくやられてきたことです。日本では、庵野秀明が『シン・ゴジラ』や、本作、そして2023年公開の『シン・仮面ライダー』でやっているということでしょう。

 

『シン・ゴジラ』ほどではないにせよ、本作でもストーリーに沿って政府の動きが逐一描かれています。また、それぞれの禍威獣や"ウルトラマン"の命名の過程や、なぜ禍威獣が現れるのかについても、ストーリーを通じてしっかり説明されます。こうした部分が、リアルな世界観を形成するのに一役買っていると思います。

 

再構築されたストーリー

上で述べたように、本作は、原作の要素を一部踏襲しつつ、新しいストーリーで一本の映画にまとめられています。

 

本作では、プロローグでこれまでに6体の禍威獣が現れたことが語られます。そして本編では、禍特対やウルトラマンが対する相手(いわゆる敵キャラ)として、ネロンガ、ガボラ、ザラブ、メフィラス、ゼットンが登場します。

 

敵キャラが多い分、どうしてもストーリー展開が駆け足になる印象は否めませんが、これらの敵キャラはストーリー上で闇雲に羅列されているわけではなく、しっかりと意味を持っています。

 

ネロンガガボラは本作のストーリーにおいて、ウルトラマンの地球への到来と、神永がウルトラマンに変身して戦うのを見せるための敵キャラ。同時に、それらはメフィラスによって目覚めさせられた生物兵器であったことが後に明らかになります。ネロンガは電気を、ガボラは放射性物質を好むという従来からの設定が、人類にとって重要な施設を破壊する生物兵器という本作の設定と合致します。

 

 


ザラブは、未成熟なのに高度な科学力を持つ人類の危険性を踏まえ、これを殲滅しようとします。その上でウルトラマンが邪魔になることから、ザラブは神永を拘束します。そして、自らが偽ウルトラマンとなり破壊活動を行い、ウルトラマンの信頼を失墜させようとするのです。

 

 


このザラブも、メフィラスにとって、外星人に対する人類の無力さを知らしめるための駒に過ぎなかったことが後に明らかになります。

 

つまり、メフィラスが全ての黒幕なのです。ウルトラマンのように人類を巨大化させることが可能なベータシステム。メフィラスは、これによって、生物兵器として有用な人類を独占的に支配することを目論みます。また、奇しくもその有用性を証明したのはウルトラマンなのです。

 

 

と、ここまでもうまくストーリーをつなげるな、と感心しながら見ていたのですが、思わず膝を打ったのは、その後、ウルトラマンの故郷・光の星から来たゾーフィの登場。なんと彼は、人類が生物兵器として利用される前に地球を廃棄処分にするというのです。そして、そのために使用されるのが天体制圧用最終兵器ゼットンなのです。

 

 


ゼットンというと、原作の最終回でウルトラマンが敗北する相手。原作ではゼットン星人が用いる兵器です。まさか本作で、ゼットンまで登場するとは思っていなかったですし、それがこのような位置付けのキャラクターとして登場することは驚きでした。

 

この設定、実は原作の放送当時に「宇宙人ゾーフィがゼットンを操る」という間違った情報が雑誌に載ったことをモチーフにしたのだとか。それでうまくストーリーを構築するのだから大したものですね。

 

原作の"ゾフィー"ではなく、"ゾーフィ"となったのもこの雑誌の記載にちなむようですが、これは少しやり過ぎな気もします。

 

ウルトラマンのヒーロー像

原作において、ウルトラマンはハヤタを死なせてしまった贖罪としてハヤタに命を与え、地球のために戦います。一方、本作では、自分の命を犠牲にして子供を守った神永を見て、ウルトラマンは地球人を理解するために神永と融合します。

 

そんなウルトラマンが、最終的に、自己犠牲をいとわずにゼットンに挑んでいくわけです。

 

最初から正義のヒーローとして地球を守る使命感を持って戦っていた原作に対し、地球人への理解を経て人類のヒーローとして自己犠牲で戦う本作。

 

「ウルトラマン、そんなに人間が好きになったのか」

 

というゾーフィの問いも、響き方がまた違います。

 

さて、そんな正真正銘のヒーローであるウルトラマンですが、本作は、ハリウッドのアメコミ原作の映画に見られるような、ヒーロー映画らしい盛り上がりは控えめな印象です。

 

その理由の一つとして、本作は"群衆の視点"を排除していることが挙げられます。本作は禍特対の視点を軸に描かれ、時に政府の動きの描写はあるものの、群衆(一般市民)の視点は描かれません。

 

ヒーローを見つめる群衆を描くことで、彼らの悲喜が、映画を見る我々の悲喜を刺激して興奮や感動を盛り上げる面も大きいと思います。例えば、ウルトラマンの活躍に熱狂する群衆、(偽)ウルトラマンの破壊活動にショックを受ける群衆、本物の登場に歓喜する群衆などの描写です。

 

しかし、本作にはそのような描写は排除されているので、どうしてもヒーロー映画らしい盛り上がりが欠けてしまいます。

 

また、上記のような描写があると、ウルトラマンのヒーロー像がより確立されると思います。その方が、ウルトラマンがゼットンに敗北してしまうショックも、より強調されると思うのです。

 

もちろん、本作がこのように描いたのは意図的なものでしょうし、ウルトラマン=神永と禍特対にフォーカスしたドラマとしてのまとまりを生む効果を奏しているとは思います。

 

しかし、私には上記のような点で、少し残念にも思えました。

 

原作へのオマージュ

本作は原作へのオマージュが至る所で見られます。

 

私はリアルタイムで原作を見た世代ではないので、映画を観た後で理解したところも多いのですけどね。冒頭のタイトル表示なんかまさにそう。

 

「シン・ゴジラ」と出た後に、それが「シン・ウルトラマン」と変わるわけですが、これは原作の「ウルトラQ」→「ウルトラマン」と変わるタイトル表示へのオマージュだとか。

 

原作の『ウルトラマン』は『ウルトラQ』の続編にあたるのでこの表現の意味がありますが、本作は『シン・ゴジラ』の続編ではないですし、世界観も同じではなさそうですから、個人的にはこの表現は違和感があります。

 

というか劇場で少し混乱してしまいましたよ。「え、何?『シン・ゴジラ』?あれ、なんかゴジラみたいなやつ(ゴメス)出てきたし。え、ディズニーアニメみたいに短編から始まるん?」て感じで、これが本編なのか迷ってしまいました(笑)

 

個人的に良かったのは、ウルトラマンが変身した時のカット。画面奥から手前に向かって、右手を前に突き出したウルトラマンが迫ってくるアレです。

 

序盤から中盤の変身シーンでは使われていなかったので、本作ではやらないのかと思いきや、ゼットンに再度挑むラストバトルの変身シーンで使われていました。ストーリーが最高潮に盛り上がる、ここぞというところでの登場に、鳥肌が立ちました。

 

また、原作の"怪獣"に"禍威獣"の字を当てたり、原作では科学特捜隊の略である"科特隊"に"禍特対"("禍威獣特設対策室"の略)の字を当てたりというのも面白いところ。原作にオマージュを示しつつ、現実路線の本作の世界観に馴染むうまい翻案です。

 

その点で言えばウルトラマンのデザインもそうでしょう。本作のウルトラマンのデザインは、原作でウルトラマンをデザインした成田亨氏の初期コンセプトをベースとしています。すなわち、カラータイマーも目の覗き穴もないのです。

 

カラータイマーはウルトラマンが弱っていることが視覚的に分かりやすいように後で付けられたもの。成田氏は、ロボットじゃないんだから、身体にカラータイマーが付いていてピカピカするのはおかしいと考えていたようです。この考え方は理にかなっているように思います。

 

そもそもウルトラマンのデザインは無駄のないシンプルなデザインですからね。今では見慣れて当たり前に思ってしまいますが、仏像や能面のようなニュアンスを伴った顔の表情や、シンプルかつ美しい全身のフォルムは、かなり革新的なデザインに思えます。

 

この成田氏のデザインをベースとして、本作では着ぐるみではなくCGでウルトラマンの姿を描いています。体の表面が金属のように輝き、デザインの良さがさらに際立って見えます。

 

この点も、原作に最大限の敬意を表しつつ、本作に合わせてうまく翻案している例と言えます。

 

そういえば、こうして様々な形で原作へのオマージュが見られる中で、本作のウルトラマンは「シュワッチ」的な声は全く発しませんでした。まあこれに関しては、本作の世界観では、喋らない方が良いという判断なのでしょう。

 

絶妙なキャスティング

主演の斎藤工さんは素晴らしかったですね。人間を理解しようとする外星人であり、寡黙で知的な役どころに見事にハマっていました。絶妙なキャスティングであったと思います。

 

助演では山本耕史さんが相変わらず上手い!登場シーンからただならぬ雰囲気を醸し出し、人類を翻弄するメフィラスを完璧に演じています。繰り返される「私の好きな言葉です」は、つい真似したくなりますね(笑)

 

それから、声の出演も忘れてはなりません。津田健次郎さん演じるザラブの声はエフェクトも相まって怪しさ満載でした。そして何と言ってもゾーフィを演じた山寺宏一さん。落ち着いたトーンで貫禄たっぷりにゾーフィを演じていました。「そんなに人間が好きになったのか?」が刺さる刺さる。

 

"痛みを知るただ1人であれ"

最後に、米津玄師さんによる主題歌「M八七」について。ウルトラマンの出身地はM78星雲。元の脚本ではM87星雲だったものが、誤植によりM78になったという説があり、これにちなんだタイトルになっています。

 

米津玄師というアーティストの素晴らしさや彼に寄せる期待については過去に記事にしましたが、やはり今回も申し分のない仕事をしています。本作のために書き下ろされた曲とあって、本作のテーマに合った曲になっていますね。

 

"痛みを知るただ1人であれ"って、なんてかっこいいフレーズでしょう。ヒーローの使命感や孤独感が鮮やかに表現された素晴らしいフレーズですね。

 

youtu.be

 

最後に

今回は映画『シン・ウルトラマン』の解説&感想でした。原作にオマージュを捧げつつ、うまくストーリーを構成してまとめ上げていて、大変楽しい作品でした。個人的には2部作か3部作くらいの連作にしても良かったのではないかと思いますね。バルタン星人やジャミラとか、他の怪獣がどう再現されるのか見たいところでした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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映画『サマーウォーズ』解説&感想 ノスタルジーと映画的熱狂

どうも、たきじです。

 

今回は2009年公開のアニメ映画『サマーウォーズ』の解説&感想です。細田守監督としては初の長編オリジナル作品です。

 

作品情報

タイトル:サマーウォーズ

製作年 :2009年

製作国 :日本

監督  :細田守

声の出演:神木隆之介

     桜庭ななみ

     谷村美月

     富司純子

     佐々木睦

     谷川清美

     信澤三惠子

上映時間:115分

解説&感想(ネタバレあり)

ノスタルジーを掻き立てる日本の夏

本作公開当時、『時をかける少女』も未見で、細田守監督のことも存じ上げていなかったのですが、大変評判の良い作品だったので劇場に足を運んだことを思い出します。


結果、期待以上に素晴らしい作品だったわけですが、私にとって本作の魅力は、ノスタルジーと映画的熱狂、この2つを存分に感じさせてくれる点にあります。


田舎育ちの私にとって、本作の舞台である陣内家の、いかにも日本の原風景みたいな描写は、それだけでノスタルジーを誘います。加えて、本家に親戚が集う様子や、夏休み、青春時代といった、もう取り戻すことのできない時間に、ノスタルジーを掻き立てられるのです。


そうしたノスタルジックな映画というと、ゆったりと時間の流れるほのぼのとした映画を思い浮かべがちですが、本作は違います。本作は、ノスタルジーとは一見相容れないようにも思える映画的熱狂へと、私達を導いてくれるのです。


原風景とサイバー空間のコントラスト

本作は、現実世界と仮想世界を舞台に、エンターテインメントとしてあらゆる要素を盛り込み、見事にまとめ上げています。現実世界と仮想世界を織り交ぜた映画というと、『攻殻機動隊』だったり、同作に影響を受けた『マトリックス』だったり、前例は多数存在します。つまり、本作公開の時点ですでに珍しいものではありませんでした。


では、本作のどこが、そうした前例とは違うか?それは、上述のような原風景が、現実世界の舞台に設定されているところです。素朴な原風景と、おおよそ似つかわしくないサイバー空間。このコントラストの効いた舞台を行き来する面白さです。


田舎でほのぼの花札していたかと思えば、サイバー空間でアバター同士が殴り合っているのです。しかもそれが世界の命運を賭けた闘いというのが熱いじゃないですか。田舎の大家族が世界を救う的なね。そこに映画的熱狂があります。

 


人間の力でデジタルの敵と戦う

各キャラクターに見せ場が振り分けられていて、それぞれが持ち味を生かして戦うというのもいいのです。健二は数学で、夏希は花札で、カズマは格闘ゲームで、その他にも、自衛官、電気屋、漁師などといったそれぞれの職業を生かしてラブマシーンと戦います。時にハイテクなデジタル技術を駆使しつつも、人脈、頭脳、諦めない気持ちといった、アナログな人間の力でデジタルの敵と戦うのが熱いのです。


ラブマシーンによる混乱に対処するため、ばあちゃんが関係各所に電話するシーンなどは、それを象徴するシーンになっています。「あんたならできるよ」という言葉が胸に響きます。


ばあちゃんの声をあてた女優の富司純子さん(寺島しのぶや尾上菊之助の母堂)の演技が素晴らしいので余計に響きます。ばあちゃんが遺した手紙のシーンもいいですね。

 

もし辛い時や苦しい時があっても
いつもと変わらず

家族みんな揃ってご飯を食べること

一番いけないことは
お腹がすいていることと
一人でいることだから


これは刺さります。


一見ごちゃ混ぜのエンターテインメントのようでいて、「大家族がそれぞれの持ち味(人間の力)を駆使して強大な敵と戦う」という一貫性がまとまりを生んでいます。だからこそ、クライマックスにかけて、手紙のシーンも、決戦前の食事のシーンも、花札のシーンも、格闘のシーンも、暗号解読のシーンも、すべてが映画的熱狂を生むのです。

 


『金曜ロードショー』での残念なカット

以上書いてきたことを踏まえると、『金曜ロードショー』で本作が放送される時に、毎回、了平のシーンが全カットされているのは残念でなりません。了平というのは、陣内家の高校生で、上田高校野球部のエースとして、甲子園出場をかけて長野県大会を戦っています。


本編のストーリーと直接関係がないので、カットしやすいことは重々承知です。しかし、彼のシーンは本作においてはとても重要なシーンだと思うのです。


まず、高校野球は、日本の夏の風物詩の一つであるということ。テレビで流れている彼の試合というのは、上述のノスタルジーを形成する要素の一つになっています。対戦相手が佐久長聖や松商学園といった甲子園常連校なのも効果的です。


また、各キャラクターがそれぞれの持ち味を生かして戦うのが本作の魅力であると述べました。その意味でも、例えラブマシーンとの戦いに関係がなくとも、大一番を必死に戦う彼の姿は、本作においてなくてはならない味付けだと思うのです。


真田氏をモチーフとした陣内家

さて、本作の陣内家は、戦国大名の真田氏の家系をモチーフにしているのも面白いところです。真田氏というのは本作の舞台である上田を拠点とした大名で、徳川の軍勢を二度にわたって退けた知将・真田昌幸や、昌幸の子で大坂夏の陣で徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めた真田信繁(幸村として知られる)らが有名です。


作中でも、ご先祖様が戦った戦として上田合戦や大坂夏の陣に言及される他、陣内家の家紋として、真田氏の家紋である六文銭や結び雁金をモチーフにした家紋を見ることができます。

 

最後に

今回は映画『サマーウォーズ』の解説&感想でした。ノスタルジーと映画的熱狂を存分に感じさせてくれる、大好きな作品です。

 

余談ですが、本作公開時、一つのアカウントで様々なサービスを跨ぐプラットフォームであるOZの設定について理解できない(ついてこれない)人もいるんじゃないかと少し心配でした。当時はまだLINEも普及していない時期でしたからね。この記事を書いている2022年には、LINEをはじめとして、そうしたプラットフォームは当たり前になっていますから、今の人達は容易に映画に入り込めるでしょうね。


一方で、上述のようなプラットフォームの普及のみならず、メタバース関連の開発が急速に動き出した昨今の情勢を考えると、本作が持っているある種の革新性は失われ、陳腐化して見えてこないか、大好きな映画だけに少し心配してしまいます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』感想 ドラゴンボールファンとして楽しく見られたが…

どうも、たきじです。

 

2022年6月11日公開の映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』を観てきました!ドラゴンボールの映画としては『ドラゴンボール超 ブロリー』以来、4年ぶりの新作となります。

 

客層はやはりドラゴンボール世代ど真ん中の30代くらいの男性が多かったですが、子供連れも結構いましたね。女性は少なかったです。

 

本作は、ドラゴンボールの主人公である孫悟空ではなく、ピッコロと孫悟飯を主軸としたストーリーになっています。

 

  

作品情報

タイトル:ドラゴンボール超 スーパーヒーロー

公開日 :2022年6月11日

製作国 :日本

監督  :児玉徹郎

声の出演:野沢雅子

     久川綾

     古川登志夫

     堀川りょう

     草尾毅

     田中真弓

     皆口裕子

     入野自由

     神谷浩史

     宮野真守

     ボルケーノ太田

     竹内良太

上映時間:99分

 

新キャラクターの名前について

ドラゴンボールのキャラクター名は、何かをもじって付けられるのが定石です。


レッドリボン軍のキャラクターの場合は色にちなんで付けられます。マゼンタ、カーマインも色の名称そのままです。それぞれが着ているスーツの色が自身の名前になっています。いずれも赤系の色ですね。


レッド総帥の孫であるマゼンタが赤系なのは分かりますが、側近のカーマインは赤系ではない別の色でも良かった気がしますけどね。マゼンタはプリンタのインクの色でお馴染みの色料の三原色の一つですから、同じ三原色の一つであるシアンとかでも良かったんじゃないかな?(残り一つの三原色であるイエローは原作のイエロー大佐で使用済み)


Dr. ヘドはDr. ゲロの孫ですから、嘔吐物に由来します。Dr. ゲロの名前の由来は、原作時点でははっきりしていませんでしたが、息子がゲボで孫がヘドという後付けによって、嘔吐物由来で確定してしまいましたね。


ガンマ1号&2号は何でしょうね。ガンマというとギリシャ文字でアルファ、ベータに続く3番目の文字ですから、Dr. ゲロから数えて3代目のDr. ヘドによる人造人間だからかもしれませんね。

 

感想(ネタバレあり)

ややぎこちない脚本

正直なところ本作の前半のストーリー運びはぎこちない印象を受けました。色々とキャラクター紹介が必要なのは分かりますが、冗長になってしまっていますね。主要キャラクターが登場しないまま、マゼンタ、カーマイン、Dr. ヘドだけのシークエンスとして描くには話が長すぎです。


ようやく半年後のシーンに飛んで、ピッコロ達が登場するのはいいものの、今度はビルスの元で修行する悟空やベジータ達を描くシークエンスが長々と続きます。


ドラゴンボールの主人公である悟空を描きたい気持ちは分かるのですが、本作のストーリーに全く乗らない彼らをここまで尺を使って描く必要がありますか?クライマックスでピッコロや悟飯達の闘いに加勢するなら分かるんです。あるいは、ベジータが悟った、無駄のない動き(だったかな?)の重要性に、悟飯が気付いて覚醒するとかね。そういうメインストーリーとのつながりがないのなら、こんなに長々と一続きに描いてはダメですよ。


悟空の闘いを見せたいなら、オープニングバトルとして見せる方法もあったんじゃないかな。007シリーズに代表されるように、映画冒頭でいきなりアクションシーンで始めるパターンです。映画の最初と最後で悟空達を描くという形ですね。


まあ、それは素人のつまらない提案に過ぎませんが、少なくともここでブロリーを登場させる必要はないんじゃないですか。しかも、ビルスがチライを気に入るとか無駄な設定も加えてしまいましたね…


個人的に1番のツッコミどころだったのは、レッドリボン軍によるパンの誘拐をピッコロが率先して行うことですね。ガンマ1号&2号の実力が分かっているのに、悟飯の潜在能力を引き出すことに執着してパンを危険に晒すなんて、非道でしょう(笑)


原作のセルゲームで悟飯を覚醒させるために悟空が悟飯を追い込むのを見て、悟空を一喝したのは他ならぬあなたでしょうよ、ピッコロさん(笑)


CGによるバトルシーンの表現

前作『ブロリー 』はレトロな作画が印象的でしたが、本作は一転、CGによる表現になっていますね。前作のバトルシーンは素晴らしい出来でしたが、本作もまた違った表現で迫力のバトルシーンを描いていました。


個人的には、悟飯とガンマ1号の、雨の中での闘いが気に入りました。これはCGならではの表現ですね。


映画において、雨の中で闘うというと、どうしても黒澤明の『七人の侍』の模倣と見られるのが常。『七人の侍』を意識したストーリー展開の、ピクサー映画『バグズ・ライフ』でも、闘いのシーンでは雨を降らせていました。


本作では、どちらかと言えば雨は表現上の味付けに過ぎず、『七人の侍』ほど、雨を闘いの演出として生かしきれていない感はありますが、悟飯が覚醒することで雲が吹き飛び、空が晴れるという演出は大好きです。

 


ガンマ1号&2号とセルマックス

ガンマ1号と2号のデザインは個人的に嫌いじゃないです。シンプルでありながら鳥山明らしいカッコいいデザインだと思います。敵キャラとして登場するものの、スーパーヒーローとして作られたらしく、ヒーロー然としているのがいいですね。


最初のピッコロvsガンマ2号の闘いでは、ガンマ2号の攻撃のたびにアメコミ風の文字が出るのが面白いです。ピッコロの「なぜ文字が出るんだ?」という台詞にも笑ってしまいました。


ピッコロや悟飯との誤解が解けて共闘する展開はなかなかに胸熱です。セルマックスに対し、身を挺して敵を倒そうとするガンマ2号の奮闘にも涙です。まあ、もっとピッコロや悟飯達とのコンビネーションが見たかったところではありますが。


一方のセルマックスはどうでしょうね。映画公開まで伏せられていたサプライズの一つですが、そこまでの魅力は感じられませんでした。


それはやはり台詞もなくひたすら暴走するという役回りのせいでしょうね。キャラ付けが全くされないのでつまらないのです。映画『ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ』に登場したバイオブロリーと同じです。台詞がなく叫ぶだけなら、若本規夫さんの無駄遣いですよ。


セルの第二形態ベースだから、ガンマ1号&2号とか18号を吸収するのかと思いましたが、そうではありませんでした。尻尾の先は吸収のための針みたいのじゃなくて鉄球みたいになってましたね(笑)


第二形態ベースなのは、単に脳が完全体に至ってない状態で復活させられてしまったからということでしょう。


オレンジピッコロ…

本作のもう一つのサプライズが、ピッコロの覚醒です。オレンジピッコロなんて名付けられていますが、このビジュアルもネーミングも、どうなんでしょう…。あまりカッコよくない…。


いかにも悪そうな顔なんですよね。しかもその覚醒の理由が"神龍のおまけ"というのがね…。どうせなら「神龍によって潜在能力を引き出されたことで、内に秘めていた魔族の力が湧き上がった」とか、そんな設定の方が良かったかも。暴走する魔族の力と、暴走するセルマックスの闘いです。暴走同士で収拾がつかないか(笑)


でも、そんな設定の方が、「ヒーローがヴィラン?ヴィランがヒーロー?」的な本作の要素にもハマる気がしました。

 


クライマックスの闘い

総力戦となるラストバトルはやはり力が入りました。上述のように、ガンマ1号&2号の奮闘は見所です。率先してセルマックスに挑んでいきますからね。ここで、悟飯が仙豆を落とすくだりは、この流れをぶつ切りにしてしまうので不要でしょう。


一方で、悟天とトランクスがフュージョンに失敗するくだりは、シリアスなバトルの中でのほどよいコメディリリーフとしてうまく作用していました。失敗したままでずっと闘うというのは新しいですね。


クリリンも、気円斬や太陽拳で応酬する見せ場が与えられていました。


やはり闘いの中心となるのはピッコロと悟飯。原作では一度しか出番のなかったピッコロの巨大化を出したのは面白いところ。急にウルトラマンのような特撮映画の構図になりました(笑)


ピッコロが腕を失うのもお約束。再生できる分、腕が脆い説ありますね(笑)。そう言えば、セルマックスはガンマ2号の攻撃によって片腕を失いましたが、セルマックスもピッコロ大魔王の遺伝子を持っているので再生できるはずですね。まあ、セルの第1形態がそうであったように、自分で気付いていないのでしょうね。


ピッコロがセルマックスにやられて白目剥いているのを見て悟飯は覚醒したわけですが、すぐにピッコロは腕を伸ばして悟飯の闘いをフォローしていました。もしかして白目剥いていたのも悟飯を覚醒させるための芝居なんじゃ…(冗談です)


最後に悟飯が魔貫光殺砲を使うのは熱いところです。こっそり練習していたというのもいいじゃないですか。ラディッツ戦の如く、ピッコロごと貫くんじゃないかとヒヤヒヤしましたけど(笑)。まあそうなってもドラゴンボールで生き返れますが。

 

 

最後に

今回は映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』の感想でした。

 

ドラゴンボールファンとして、ツッコミどころも含めて楽しく見ることが出来ましたが、いろいろと惜しいところが多い作品でした。一本の映画作品としては、ぎこちないところが多かったです。


そう言えば本作、主題歌がなかったですね。前作の三浦大知の『Blizzard』がすごくよかったので、本作も主題歌が欲しかったなぁ。

 

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★ドラゴンボールの解説&感想

映画『紅の豚』感想 キャラクターとアニメーション表現の魅力溢れる宮崎アニメ

どうも、たきじです。

 

今回は、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』の感想です。スタジオジブリ設立後の宮崎駿監督作品としては、『魔女の宅急便』に続く4作目となります。

 

その他の宮崎駿監督作品の解説&感想はこちらから(各作品へのリンクあり)

作品情報

タイトル:紅の豚

製作年 :1992年

製作国 :日本

監督  :宮崎駿

声の出演:森山周一郎

     加藤登紀子

     岡村明美

     桂三枝

     上條恒彦

     大塚明夫

上映時間:93分

 

感想(ネタバレあり)

大人向けの宮崎アニメ?

冒頭述べたように、スタジオジブリ設立後の宮崎駿監督作品としては、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』に続く4作目が本作ということになります。本作は、前3作に比べて、随分と大人向けに作られた作品になっています。


本作のストーリーの軸となっているポルコとマダムの恋愛なんか、子供にはおおよそ理解できないでしょう。もちろん、本作に続く宮崎駿監督作品である『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』だって、本質的な部分を子供に理解できるとは思いませんけどね。


それでも本作は、当時の日本のアニメ映画の興行収入記録を塗り替え、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』は、実写も含めた日本の興行収入記録を塗り替えています。これは、子供を含め老若男女に支持されたからに他なりません。


それはやはり、宮崎アニメは、キャラクターやアニメーション表現の魅力が子供から大人まで惹きつけるからでしょう。


キャラクターの魅力

なんと言っても、主人公ポルコ(森山周一郎)が豚人間という設定がすごいですよね。しかもその豚人間がキザな飛行機乗り。フィリップ・マーロウやら『カサブランカ』のリックのような、ハンフリー・ボガートが演じていそうなハードボイルドな男なのです。"ピカピカのキザ"(©︎阿久悠)ってやつですよ。


渋い声で「飛ばねぇ豚はただの豚だ」って、なんてキャッチーな台詞でしょう。現に公開当時子供だった私の世代も、CMを見て真似をしていましたよ。


なぜ豚になったかなんてことは本作では語られません。しかもポルコが豚人間である以外は、一切ファンタジーな要素はありません。それなのに、彼を見た人々は、「豚人間だ〜!」なんて驚くこともなく、当たり前のように彼と接しています。この潔さがまた良し。


ジーナ(加藤登紀子)は、宮崎アニメには珍しい熟女ヒロイン。本作の主要キャラでは唯一と言っていいくらい大人なキャラクターです。ポルコが庭を尋ねてくるのを待ち続ける(彼女曰く"賭けをしている")というのがまた、大人の恋の駆け引きって感じですよね。


かと思えば、中盤にはジーナに取って代わるように、いかにもジブリヒロイン的な少女フィオ(岡村明美)が登場します。天真爛漫で男勝りな彼女。空賊達を威勢よく言い負かしたかと思えば、「とっても怖かった」、「膝がガクガクする」。そして唐突に服を脱ぎ出し「あたし、泳ぐわ!」と海へ駆けていきます。この大忙しな感情変化には笑ってしまいましたね。とても私には理解できません(笑)。吉本新喜劇の未知やすえの「怖かった〜」のギャグを上回る感情変化です(笑)


モブキャラ達も魅力的です。空賊の連中は、子供達を誘拐する冒頭のシークエンスから憎めない奴らですし、ピッコロのおやじ(桂三枝)の親戚の女性達のたくましさといったら(特におばあちゃん連中)。

 


真の悪役不在の平和な物語

本作で悪役に位置付けられるのはカーチス(大塚明夫)ということになるでしょう。彼はジーナに求婚したり、名声のためにポルコを奇襲したり、フィオとの結婚を賭けてポルコと決闘したりと、何度もポルコの前に立ちはだかることになります。


登場シーンから常に"やな奴"感満載な彼ですが、ジーナから「ハリウッドへはボク一人だけで行きなさい」と一蹴されるように、子供っぽいところがあります。上に挙げた言動にしても、ハリウッドスターになって大統領になるという夢にしてもそうです。最後まで見ると、そうした子供っぽさも相まって、案外憎めない奴で、悪い奴ではないことが分かります。


考えてみれば、キザなポルコも子供っぽいところがありますよね。ジーナの気持ちを理解せずいつまでも待たせているところとか、新しい飛行機でジーナにアクロバットを見せつけて去るところとか。後者なんて、「ねぇねぇ、かっこいいでしょ!俺の飛行機!」って感じですよね(笑)。そりゃ、ジーナもがっかりしますよ。このシーン自体は、回想も挟んで、とてもロマンティックになってはいるんですけどね。


ポルコとカーチスはフィオをかけてドッグファイトすることになりますが、最終的には殴り合い。大人子供のちょっとしたケンカですよねこれ。終わってみればなんと平和な物語だろうか、という印象です。気分的にはドッグファイトで決着つけてほしかったのだけれど…。


アニメーションの迫力と美しさ

宮崎駿監督の作品には必ずと言っていいほど飛行シーンがあるような気がしますが、毎度躍動感たっぷりに描きますね。戦闘シーンは迫力たっぷりに、そうでなければ空や海を背景にとびきり美しく飛行を描きます。とりわけ本作は、アドリア海の情景と久石譲によるエキゾチックな音楽によって、美しさがより際立って見えます。


飛行機のメカニカルな表現が随分と凝っているのも、飛行機好きの宮崎駿監督らしいですね。ピッコロ社での飛行機作りのシーンにもそれが垣間見られます。まあこの辺りは、後々『風立ちぬ』で思う存分に描かれるわけですが。


そう言えば、戦争で友を失ったことを回想するシークエンスで、飛行機が天へ昇っていくシーンは、『風立ちぬ』のとあるシーンを想起させますね。飛行機をテーマとした作品として、『風立ちぬ』へのつながりを感じさせる作品でした。

 

 

最後に

今回は映画『紅の豚』の感想でした。スタジオジブリの作品としては異質なところもありつつも、宮崎駿監督らしさが溢れる作品でした。

 

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映画『トッツィー』解説&感想 ダスティン・ホフマンが女装に挑む!

どうも、たきじです。

 

今回は映画『トッツィー』の解説&感想です。

今となっては少し古いランキングですが、AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)が1998年に選出したアメリカ映画ベスト100で62位、2000年に選出したアメリカ喜劇映画ベスト100では2位に選出されるなど、アメリカで評価の高いコメディ映画です。


アカデミー賞では、コメディ映画ながら作品賞を含む9部門10ノミネートされ、ジェシカ・ラングが助演女優賞を受賞しています。


また、2018年にはミュージカル化されています。トニー賞では10部門でノミネートされ、ミュージカル主演男優賞(サンティノ・フォンタナ)とミュージカル脚本賞を受賞しています。

 

作品情報

タイトル:トッツィー

原題  :Tootsie

製作年 :1982年

製作国 :アメリカ

監督  :シドニー・ポラック

出演  :ダスティン・ホフマン

     ジェシカ・ラング

     テリー・ガー

     ダブニー・コールマン

     チャールズ・ダーニング

     ビル・マーレイ

     シドニー・ポラック

     ジョージ・ゲインズ

     ジーナ・デイヴィス

 上映時間:113分

 

あらすじ

完璧主義の性格が災いして、どこからも役をもらえない俳優のマイケル・ドーシー(ダスティン・ホフマン)。彼は、女装して"ドロシー・マイケルズ"と名乗って昼メロのオーディションに臨み、エミリー役を手に入れます。


マイケルは、元の脚本とは異なる威勢のいいフェミニスト的なキャラクターとして、アドリブ満載でエミリーを演じます。そして、これがたちまち人気となっていきます。


傲慢な演出家のロン(ダブニー・コールマン)やセクハラじみた共演者のジョン(ジョージ・ゲインズ)を相手にも一歩も引かないドロシーに対し、共演者のジュリー(ジェシカ・ラング)は憧れを抱きます。そして、ドロシーとジュリーは仲を深めていきます。


マイケルはジュリーに惹かれますが、ドロシーの正体を打ち明けられずにいます。そんな中、ジュリーの父親レス(チャールズ・ダーニング)がドロシー想いを寄せるようになり…。

 

 

解説&感想(ネタバレあり)

洗練された脚本が魅力のコメディ映画

"女性"であることを経験し、ジュリーとの仲を深める中で、この社会で女性が自分らしく生きることの難しさを知るマイケル。ドロシーに影響されて精神的に自立していくジュリー。本作は、"女性の生き方"を見つめながら、2人の成長を描きます。


なんて、本作のドラマ性や社会風刺的な側面にも触れてみましたが、本作の魅力はやはりコメディとしての面白さです。冒頭述べたように、本作はAFIの喜劇映画ベスト100で2位に選出されるなど評価の高いコメディ映画です。


同ランキングで1位に輝いたのはビリー・ワイルダー監督の『お熱いのがお好き』。こちらも主人公2人が女装してギャングから姿をくらますコメディ映画。女装映画がワンツーを決めたということになります。


女装映画という以外にも『お熱いのがお好き』と共通する本作の魅力が、洗練された脚本にあります。失業役者のマイケルが女装して昼メロに出演し人気者になるというメインプロット、随所に散りばめられたユーモア、テンポよい台詞の掛け合いなど、どこをとっても一級品です。

 

センスの良い台詞の掛け合い

洗練された脚本の中でも、センスのいい台詞の数々は特に印象に残ります。


撮影中のドロシーの映像を見て、


 プロデューサー: アラが隠せるまでカメラを引いて

 カメラマン: クリーブランドまで?


とか、


素晴らしい演技を決めたドロシーの映像を見ながら、


 ロン: 1カメ、アップだ。

 (間髪入れずに)

 ロン: 近すぎる!


とか、厚化粧でごまかしたマイケル=ドロシーの顔面いじりに笑っちゃいました。

 

本作の台詞の良さは、そうした"笑いの台詞"だけに留まりません。


例えば、ジュリーとドロシーがベッドで会話するシーン。ジュリーが語る、今は亡き母親と、この部屋の壁紙を一緒に選んだというエピソードは、台詞を通してキャラクターのバックグラウンドや心情を自然にあぶり出します。


コメディの中にこのような優しいエピソードをさらりと挟めるところも本作の脚本すばらしさ。この後、ドロシーがジュリーの頭をそっとなでて「お休み」とつぶやいて寝返りを打ったところでカツラがずれます。しんみりしたシーンの最後をきっちり笑いで締めるところがまたいいのです。


他にも、ジュリーの父がドロシーにプロポーズする時の台詞、「自分が写った写真は高校の卒業式と結婚式の2枚だけ、どちらも隣には妻がいる」。こちらも、ちょっとした台詞からキャラクターの性格やバックグラウンドを肉付けする素晴らしい台詞でした。

 

 

最高のクライマックス

映画後半、クライマックスにかけての流れは、プロットのうまさを感じます。


終盤、マイケル=ドロシーにとって最悪の1日が訪れます。想いを寄せるジュリーからはレズビアンと思われて距離を置かれ、ジュリーの父親レスからはプロポーズされ、共演者のジョンからは無理やり手込めにされかけた上に同居人のジェフ(ビル・マーレイ)が恋人であると思われ、一度肉体関係を持ったサンディ(テリー・ガー)に気持ちがないことを告げると大騒ぎされた挙句にゲイと思われるという始末。


この畳み掛けが、クライマックスに向けてストーリーを盛り上げていきます。


そして訪れるクライマックス。ドロシーはドラマの生放送でメイクを取り、自分が男であることを明かします。


これを見たロンの私を嫌うわけだ!」という晴れやかな顔。そして、ジョンのジェフは知ってるのか?」という心配そうな顔。これには最高に笑わせてもらいました。


これってジュリーの立場で考えたら、すごく気持ち悪いことだと思うんですよ。すっかり心を許して、家に招いて食事したり、実家にも招いて同じベッドで寝たり、父親との関係を応援したり、子供を預けたりした友人が、おじさんだったわけですからね(笑)。腹パンかますくらいじゃ収まらないですよ、普通。


でもこれは映画。絶対にバレない女装も含め、ある意味ファンタジーなのです。


ラストシーンで、ジュリーに声をかけるマイケル。無視しようとするジュリーを制止し、関係を続けようと説き伏せます。


ジュリーが言います。


「あの黄色い服貸してくれる?」


主題歌が流れ、2人は楽しげに語らいながら雑踏に紛れていきます。


これでいいのです。

 

素晴らしいキャスト達

本作はキャスト達がそれぞれの役をとても魅力的に演じています。


マイケル=ドロシーを演じたダスティン・ホフマンは演技派の名優ですが、本作でも見事なものです。そもそも演技をする演技というだけで難易度が高いと思うのですが、本作では"女になりきって演技をする男"という役ですからね。その芸達者ぶりが色濃く現れています。


この頃はシリアスな作品が多かったダスティン・ホフマンですが、慣れないコメディ演技でも安定感があります。


ドロシーの声ではタクシーが止められず、たまらずにマイケルのドスの効いた声でタクシーを止める演技とか、大好きです(笑)


ジュリーを演じアカデミー助演女優賞を受賞したジェシカ・ラングが素晴らしいのは言うまでもないですね。周りの役者がコメディする中で、彼女はシリアスな"受け"の演技。自立していくシングルマザーの女優をしっかりと演じています。


サンディを演じたテリー・ガーはいかにもコメディエンヌという感じのオーバーアクトで、マイケルに振られるサンディを好演。マイケルから「好きな女性ができた」と告げられた時の発狂ぶりには笑わせてもらいました。


マイケルの女装にすっかり騙されるジュリーの父親レスを演じたチャールズ・ダーニングは、かなり可哀想な役を好演。チャールズ・ダーニングと言えば『スティング』のスナイダー刑事のイメージが強いですね。そう言えば『スティング』でも…。


マイケルの同居人の脚本家を演じたビル・マーレイは、脇役ながら出てくるたびに面白くて、終始クスクスさせられました。ローテンションでふざけた感じが絶妙ですね。ドロシーがジョンに手込めにされかけたところに帰宅して鉢合わせるシーンは最高でした。ジョンの「念のため言っておくが、今夜は何もなかった」に対する「ありがとう」。本当に力の抜けた表情が可笑しくて可笑しくて(笑)


彼は本作の2年後の『ゴースト・バスターズ』のヒットで日本でもポピュラーになりましたが、アメリカでは人気バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』に出演してすでに人気者でした。


本作ではちょい役ながら、後にブレイクするジーナ・デイヴィスも出演しています(本作で映画デビュー)。下着のモデルをやっていたのがシドニー・ポラック監督の目に止まって抜擢されたと聞きますが、本作でも、登場シーンがほぼ下着姿というのが面白いところです(笑)

 

 

最後に

今回は映画『トッツィー』の解説&感想でした。洗練された脚本と、キャスト達の見事な演技で魅せる、コメディ映画の名作です。


最後に少し触れておくと、本作の主題歌の『It Might Be You』(邦題『君に想いを』)はとても素敵なラブソング。運命の人に巡り合った気持ちを歌いあげた優しい曲です。この曲が、映画を見終わった後に深い余韻を残してくれているのは間違いありません。

 

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映画『ミザリー』解説&感想 スティーヴン・キング原作の名作ホラー

どうも、たきじです。

 

今回は1990年公開のアメリカ映画『ミザリー』の解説&感想です。原作スティーヴン・キング×監督ロブ・ライナーという組み合わせは『スタンド・バイ・ミー』に次いで二度目ということになります。

 

作品情報

タイトル:ミザリー

原題  :Misery

製作年 :1990年

製作国 :アメリカ

監督  :ロブ・ライナー

出演  :ジェームズ・カーン

     キャシー・ベイツ

     リチャード・ファーンズワース

     ローレン・バコール

 上映時間:108分

 

あらすじ

「ミザリー」シリーズで人気の小説家のポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)は雪深いロッジにこもって「ミザリー」シリーズに次ぐ新作を書き上げ、街に戻ろうとしますが、吹雪の中で車を横転させ、重傷を負います。


意識を失ったポールでしたが、近くの家に一人で住んでいるアニー(キャシー・ベイツ)に助けられ、元看護師であるアニーの処置により、ポールは一命を取り留めます。


ポールの1番のファンを自称するアニーは、ポールを献身的に看護します。しかし、アニーはポールのことを、病院にも、ポールの家族にも連絡しようとしません。やがてアニーは、恐ろしい一面を見せるようになり…。

 

解説&感想(ネタバレあり)

スティーヴン・キング原作の名作ホラー

スティーヴン・キングの小説は多数映画化されています。映画として評価の高い作品は、『スタンド・バイ・ミー』、『ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』など、感動系の作品も少なくないですが、本来はホラー小説家。本作は『キャリー』や『シャイニング』などと同様、彼のホラー小説の映画化作品を代表する作品です。


同じホラー映画でも、本作が『キャリー』や『シャイニング』と異なるのは、オカルトを扱った作品ではないということでしょう。本作で"恐怖"の役割を担うのはキャシー・ベイツ演じるアニーその人。オタクでヒステリックでサイコパスな彼女の、常軌を逸した行動こそが、本作の恐怖を生み出しています。


常軌を逸したアニーの行動

本作はシチュエーションが絶妙です。両足を怪我して自由に動けないポール。近隣に他の家はなく、客人もなく、助けを求められず、彼女の看護なしでは、ポールは生きていけない状況にあります。


最初こそ、アニーのオタク的な熱量にちょっと引くくらいのものですが、徐々にアニーの狂気が現れてきてからは、映画を見る我々も、ポールとともに恐怖を体験することになります。


彼女は、ポールが書き上げたばかりの新作を読んで、その内容に苛立ち癇癪を起こし、狂気の片鱗を見せます。かと思えば、発売された「ミザリー」シリーズの最新刊を読んで、作中でミザリーが死ぬことに激怒します。そして、「あなたがここにいることは誰も知らない」と、冷たい表情でポールに告げるのです。さらに、アニーはポールに新作の原稿を燃やすことを強要し、「ミザリー」の最新作として、ミザリーが生き返るストーリーを書かせます。


この常軌を逸した行動!常に何をしでかすか分からないアニーの危なっかしさが、映画全体の緊張感を高めています。アニーの外出中に、ポールが部屋を抜け出して家の中を探索するシーンなんて、終始ハラハラしてしまいます。


ポールが覗き見たアルバムから、アニーが過去に多数を殺めてきたことが明らかになるシーンなんかはかなりゾッとしますが、極め付きは、やはりポールの足がハンマーで折られるシーンでしょう。今回、私は本作を20年ぶりくらいに鑑賞したので、細かいところは忘れていたのですが、このシーンだけは鮮明に覚えていました。でも原作は斧で切り落とすんですって…。

 


役者達の好演

それにしても、アニーを演じたキャシー・ベイツは素晴らしいです。ホラー演技でアカデミー主演女優賞ですからね。容姿から演技まで完璧で、彼女以外のアニーは考えられません。


一方、それを受けるポール役のジェームズ・カーンも素晴らしいです。ジェームズ・カーンと言えば『ゴッドファーザー』のソニー役。ソニーはいつキレるか分からない危なっかしい男でしたが、対照的に本作のポールは常にアニーに苦しめられる役どころ。アニーにドン引きする表情や戸惑う表情が意外なほどハマっています。


アニーに薬を盛ろうとするシーンは最高でした。アニーをディナーに誘い、コツコツ溜めた薬をアニーのワイングラスに入れて、いざ乾杯というところでアニーがうっかりグラスを倒してしまい、計画失敗。その時のポールの唖然とした表情。この後ポールはアニーと無駄にディナーしたと思うと、笑ってしまいました。


あとは保安官を演じたリチャード・ファーンズワースもいい味出していました。無能な警察に代わってマイペースで捜査する役柄です。最後には彼がポールを助けるキーマンになりそうな流れで物語が進むので、アニーにあっさり殺されてしまったときの絶望感は半端じゃないです。


ラストにかけての伏線回収

そしてクライマックス。ポールが作品を書き上げたお祝いのためのアイテム(タバコ、マッチ棒、ドン・ペリニヨン)が再登場します。オープニングで印象的に描かれたアイテムだっただけに、ここでの伏線回収が心地よいです。


そして最後はポールとアニーの取っ組み合い。やったか?と思ったらまだ襲い掛かってくるアニー。このしぶとさに既視感があると思ったら、ターミネーターですね(笑)。どうせなら、ポールには、"You’re terminated, f**ker."とでも決めて欲しかったです(笑)


ラストシーン。アニーの幻影に悩まされるポール。ウェイトレスが放つ「私はあなたの1番のファンよ(I’m your number one fan.)」はアニーがポールに言った台詞です。"number one fan"という印象的なフレーズが、ここで伏線回収。ゾッとしつつ、どこかカタルシスを感じてしまうようなラストシーンでした。

 

 

最後に

今回は映画『ミザリー』の解説&感想でした。少し地味なキャストではありますが、確かな演技と演出、そして何よりスティーヴン・キングの原作の素晴らしさで、名作ホラーに仕上がっています。

 

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映画『M』解説&感想 映画黎明期の革新的ドイツ映画

どうも、たきじです。

 

今回は1931年のドイツ映画『M』の解説&感想です。監督は、映画黎明期の巨匠フリッツ・ラング。彼のもう一つの代表作『メトロポリス』と並んで、ドイツ映画を代表する名作です。


1951年にアメリカでリメイクされた他、2019年には本国ドイツでテレビのミニ・シリーズとしてリメイクされています。

 

作品情報

タイトル:M

原題  :M – Eine Stadt sucht einen Mörder

製作年 :1931年

製作国 :ドイツ

監督  :フリッツ・ラング

出演  :ピーター・ローレ

     オットー・ベルニッケ

     グスタフ・グリュントゲンス

 上映時間:117分

 

解説&感想(ネタバレあり)

予想を裏切るサイコサスペンス

本作の本質を100%理解しようとするならば、この作品が撮られた1930年代のドイツの社会情勢を正確に理解する必要があるでしょう。そこまでの深い考察は、その種の論文にでも任せるとしますが、そこまでの理解が無くとも、本作が当時いかに革新的な作品であったかは容易に想像できます。


本作はストーリーという点においても、映画的な演出という点においても、革新性に溢れています。


まず、ストーリー。


幼い少女ばかりが狙われた連続殺人事件が発生。警察は必死の捜査を行いますが手がかりが掴めません。


事件が世間の注目を集め、警察が暗黒街を洗いざらい捜査していることで、犯罪組織は"商売"あがったり。それなら俺たちで犯人を捕まえよう、と、犯罪組織はホームレスの男達を組織的に使って独自に犯人を捜査します。そして、やがては警察と犯罪組織それぞれが犯人を追い詰めていくのです(ドイツ語の原題では、"都市は殺人者を探す"という意味の副題が付いています)。


正直、警察の捜査を描く序盤はテンポが悪くて、少々退屈しかけたのですが、犯罪組織が絡んでくることで俄然面白くなっていきました。そして、一筋縄ではいかないシリアルキラーかと思われた犯人が、いつしか弱々しい逃亡者になり変わるというのは予想もしない展開でした。


極め付きは犯人を捕らえた犯罪組織が、犯人を吊し上げるというクライマックスでしょう。これには目を見張りました。目隠しを取られた犯人の前に現れた空間を埋め尽くす群衆。静止した人々の不気味さ。犯人を追い詰めていく集団の凄み。


サイコサスペンスを観て、殺人者ではなく、殺人者を囲う群衆に恐怖を覚えるとは、全くの予想外でした。

 

 

"我々の中にいる殺人者"

本作のタイトル『M』は、ドイツ語で殺人者を意味する"Mörder"の頭文字であり、劇中で犯人のコートに付けられる目印でもあります。実は本作には、製作段階では別の仮題が付けられていました。それは"Mörder unter uns"(我々の中にいる殺人者)というものです。


この仮題が指すのは、直接的に考えれば"市民に紛れた犯人"ということになります。が、それだけにとどまらない暗示的な仮題にも見えます。映画序盤で、怪しい人物を犯人と決めつけて暴徒と化す市民の様子や、クライマックスの集団での吊し上げの様子を見ると、"私刑に走ろうとする群衆"を指すものとも理解できるのではないでしょうか。

 

犯罪組織の群衆によるインチキ裁判の様子は、群集心理によって過激な世論が形成される縮図のようにも見えます。本作の公開の2年後に、ナチス政権が成立し、本作はナチスによって上映禁止になりました。また、ユダヤ人であるフリッツ・ラング監督は亡命を余儀なくされています。このような事実を踏まえると、このクライマックスの描写は、余計に暗示的に見えてきます。


「責任能力のない犯罪者に必要なのは処刑人ではなく医者だ」と主張する弁護人に対し、「治る保証はないし再犯したらどうする」、「殺された子の母親の気持ちを考えろ」と憤る群衆。このインチキ裁判で行われる議論は、現在も続く"死刑の是非"の議論と何ら変わらないことも興味深いところです。


自分の影に追われるような強迫観念にかられ、自分でも知らないうちに犯行していることに苦しむ犯人の独白、そして、群衆の中にはそれに聞き入り、共感する者もいるという描写が、よりこの問題を複雑にしています。そしておそらくは、第一次世界大戦の多額の賠償や、世界恐慌の影響によるドイツの経済危機が、この背景にあることは想像に難くありません。


この時代の作品が、分かりやすい勧善懲悪の娯楽サスペンスに終始することなく、ここまで複雑な問題を描いていることは、私にとって驚きでした。サイコサスペンスの草分けにして、いきなりの骨太な社会派作品になっているわけですからね。


ラストシーンでは、法廷での判決を他所に、打ちひしがれた母親達の姿が描かれます。

「こんなことをしても子供は戻ってこない」

「子供から目を離してはいけない、絶対に」


いろいろと暗示的な本作ですが、意外とこれが言いたかっただけだったりして…。だって本作を見た人はみんな感じたと思うんですよ。


「知らない人について行っちゃだめだよ!」って。

 


トーキーならではの表現

さて、ストーリーに関する話が長くなりましたが、次は映画的な演出の革新性について述べましょう。


本作が製作された頃はまだまだ映画黎明期で、映画の演出も日進月歩で進化していた時代です。したがって、どの演出が本作で初めて行われたものか、ということを正確に掴むことは、それこそ本格的に研究しないと難しいことでしょう。それを断った上で述べますが、本作は、当時としては革新的と言える演出に満ちています。


とりわけ印象深いのは警察の会議と、犯罪組織の会議を並行して描いたシーン。


対照的な2つの組織の議論が同じ方向に進んでいく様子をクロスカッティングで描くことがまずうまいところ。加えて、ここではカットの切り替わる前と後で、警察と犯罪組織それぞれの人物の動きや台詞をリンクさせ、自然にカットを繋いでいます。このような凝ったカッティングがこの時代の映画で見られるのは驚きでした。


それぞれの場面でタバコの煙がモクモクと上がっているのも意図的な演出でしょうか?今の時代の感覚で見ると、過剰過ぎて笑えてきますが、これが当時のリアルでしょうね。


他にも、筆跡鑑定による犯人のプロファイリングを読み上げるシーンも印象的。


読み上げる音声と同時に画面に映るのは、鏡に映る自分を見つめる犯人の姿。このように、喋っている人物のいる場所とは違う場所の様子を画面に映すというのは今では当たり前に使われますが、この時代の作品で目にすると、この頃にはもうやってたんだな、と感心してしまいます。


そしてこの時の犯人の表情が何とも不気味なので余計に印象深いのです。両手の指を口の両脇に当てて目を見開く表情!(『ジョーカー』でも似たようなシーンがありますが、オマージュでしょうか?)


さて、上に挙げたような表現は、当然ながら台詞のあるトーキー映画ならではの表現ということになります。世界初のトーキーの長編映画は1927年の『ジャズ・シンガー』ですから、本作の時点でまだ4年の歴史しかないわけです。


そうすると、当時の観客の中には、こういう革新的な表現について行けない人もいそうですね。「あれ?今誰がどこで喋ってんだ?」って混乱しても無理はない気がします。

 


口笛のライトモティーフ

トーキー映画ならではの演出ということで、もう一つ忘れてはならないのは、ライトモティーフを使用していることです。ライトモティーフとは、特定の人物や場所と関連付けられた音楽のフレーズ。本作においては、口笛の音色が犯人の男と関連付けられています。


ライトモティーフは古くからオペラでは使われてきた手法ですが、フリッツ・ラングが本作でいち早く映画に持ち込んでいます。ちなみにこの曲は戯曲『ペール・ギュント』のために書かれた組曲の中の一節「山の魔王の宮殿にて」。個人的にはテレビドラマ『家政夫のミタゾノ』で馴染み深い曲です。


非常耳に残るフレーズですし、本作にはBGMが一切ないので、このフレーズが余計に際立ちます。画面に彼がいなくても、この音色が聞こえるだけで、彼がいることが分かるのです。


サスペンスを盛り上げる演出

他にも、本作ではサスペンスを盛り上げる演出が溢れています。序盤、少女が犠牲になる事件の描写からして、演出にキレがあります。


壁にぶつかって繰り返し跳ね返るボールの横に現れる男の影、少女の帰りを待つ母親を焦らせる鳩時計、虚しく響く母親の声、誰もいない階段、屋根裏の洗濯物、空の皿、やがて草むらに転がるボールと電線に絡まる風船。


直接的な描写ではなく、印象的なモティーフを重ねることで、不穏な空気を盛り上げ、やがて起こる悲劇を際立たせています。


また、犯人が少女を見つめるシーンや、犯人が背中の"M"に気付くシーンなど、ガラスの反射を効果的に使っているのも印象的です。


こうした様々なサスペンス演出は、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックも顔負けの演出ではないでしょうか。私を含め、ヒッチコック映画が好きな人なら好きな演出の数々だと思います。


ちなみに本作の犯人役のピーター・ローレはヒッチコック監督の『暗殺者の家』(同監督が自らリメイクした『知りすぎていた男』のオリジナル版)で悪役を演じています。


最後にもう一つ付け加えると、ホームレスの市場のシーンのトラッキング・ショット(移動撮影)も素敵です。約2分半の長回しでカメラが流れるように動き、やがては窓をすり抜けていきます。


ただ、トラッキング・ショット自体は本作以前のサイレント映画の時代から、様々な表現が開拓されていましたから、本作が特別というわけではありません。例えば、本作より4年早い1927年に公開のアメリカ映画『つばさ』(第1回アカデミー作品賞受賞作)のトラッキング・ショットは有名です(YouTubeにもあったので貼っておきます)。

 

 

最後に

今回は映画『M』の解説&感想でした。ストーリーも演出も革新的で、見ているうちにどんどん引き込まれていく作品です。映画好きなら、一度見ておいて損はないですよ!

 

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映画『知りすぎていた男』解説&感想 音楽が彩るサスペンス

どうも、たきじです。

 

今回は映画『知りすぎていた男』の解説&感想です。

 

本作は、モロッコ、ロンドンを舞台に、要人暗殺の陰謀に巻き込まれていくアメリカ人一家を描くサスペンス映画。アルフレッド・ヒッチコック監督が得意とする巻き込まれ型サスペンスです。


ヒッチコック監督のイギリス時代の作品『暗殺者の家』(1934年)を、監督自身がスケールアップしてリメイクした作品です。

 

作品情報

タイトル:知りすぎていた男

原題  :The Man Who Knew Too Much

製作年 :1956年

製作国 :アメリカ

監督  :アルフレッド・ヒッチコック

出演  :ジェームズ・ステュアート

     ドリス・デイ

     バーナード・マイルズ

     ブレンダ・デ・バンジー

     ダニエル・ジェラン

上映時間:120分

 

解説&感想(ネタバレあり)

サスペンス好きを惹きつける前半

マッケンナ家の3人、すなわち父ベン(ジェームズ・ステュアート)、母ジョー(ドリス・デイ)、息子ハンクが陰謀に巻き込まれていく前半は、様々な謎が渦巻く中で物語が進み、常に怪しい空気が漂います。


バスで知り合ったルイ(ダニエル・ジェラン)が、バスで揉めたアラブ人と親しげに話しているのを目撃したり、見知らぬ夫婦にジロジロと見られていたり、怪しい男がホテルの部屋を間違えて訪ねて来たり、夫婦との食事をドタキャンしたルイが同じ店に女性と現れたり…


極め付けは、なぜかアラブ人に変装したルイが、背中をナイフで刺され、ベンの前で息絶えるという急展開。彼が直前に言い遺す手がかり、"ロンドン"、"アンブローズ・チャペル"…。サスペンス好きを惹きつける、そそる要素が満載です。


ホテルの部屋を訪れる男は、後に暗殺者であることが分かるのですが、このシーンでドアの前に立つ彼の顔が逆光で真っ暗という演出もいいですね。しかもやがて浮かび上がってくる顔が、いかにも怪しい顔なものだから、もう参ってしまいます(笑)

 

音楽による暗殺へのカウントダウン

本作を語る上で欠かせないのは、やはりロイヤル・アルバート・ホールを舞台にした暗殺(未遂)のシークエンスでしょう。


コンサートでの演奏でシンバルが叩かれる瞬間に、某国の首相が狙撃されることは、映画を観る我々に知らされています。つまり、コンサートの演奏が暗殺へのカウントダウンになっているのです。


コンサートが開演し、演奏が進み、歌が始まり、シンバル奏者が立ち上がり、シンバルを手に取り、構える。着々とカウント・ゼロが近づいていく中で、狙撃の準備をする暗殺者、狙われる某国の首相、うろたえるジョー、会場に駆けつけるベンの様子がカットバックで挿入されます。文字通り、手に汗握る緊張感です。


演奏が始まってからシンバルが鳴る直前までの約12分間は、台詞を一切排除して描かれます。それがまた格好良く、痺れます。


沈黙を破るのはジョーの悲鳴。直後にシンバルの音とともに弾丸が放たれますが、ジョーが悲鳴を上げたことで、首相は命を落とさずに済みます。これによって、ベンとジョーがハンクの捕われている大使館に乗り込む流れになるのが、またうまいところです。


ちなみに、ここで演奏されるカンタータは、オリジナル版『暗殺者の家』で音楽を担当したアーサー・ベンジャミンが作曲したもの。本作では、ヒッチコック作品でお馴染みのバーナード・ハーマンが音楽を担当していますが、この曲はオリジナル版を流用したというわけです。その代わりと言ってはなんですが、このコンサートのシーンで指揮者としてバーナード・ハーマンが登場しています。

 


響き渡る『ケ・セラ・セラ』

本作を語る上で欠かせないのがもう一つ。劇中、ドリス・デイによって歌われる『ケ・セラ・セラ』です。アカデミー賞で歌曲賞を受賞しています。


しばしばカバーされ、CM等でも耳にすることの多い有名曲ですが、本作の主題歌であることは意外と知られていないかもしれません。


序盤でジョーとハンクが親子仲良く歌うシーンで印象付け、クライマックスではジョーが我が子の為に歌います。その歌声は、大使館に響き渡り、ハンクが捕われている部屋まで届きます。命の危険が迫るハンクを不憫に思ったドレイトン夫人が改心し、歌声に応えることをハンクに促します。そして母親の歌声に合わせてハンクは指笛で応えます。この流れがささやかな感動を生みます。曲自体がとてもいいのでなおさらです。


この指笛を聞いたベンがハンクを助けに来るわけですが、すでに指笛は鳴り止んでるにも関わらず、ベンはドアを一撃で破壊して部屋に入ってきます。これにはちょっと笑ってしまいました。ハンクがいるのはこの部屋に違いないというその自信はどこから来たのよ(笑)

 

コミカルなシーンによるメリハリ

本作はシリアスなサスペンス描写の中にコミカルなシーンを挟み、緊張と緩和を絶妙に織り交ぜることで、メリハリを効かせています。(一応言っておくと、上記のドア破壊のシーンは、"コミカル"を狙ったシーンではありません。)


例えば、ベンとジョーがモロッコのレストランを訪れるシーン。サスペンスフルなムードの中、異国のレストランで席に座るのにも食事するのにも四苦八苦するベンの滑稽な様子が挟まれます。


あるいは、ベンがアンブローズ・チャペル氏を訪ねるシーン。いかにも怪しい人相の男が剥製工房に入っていくのを見て、恐る恐る後を追うベンですが、これが事件に何の関係もない男。工房の中での乱闘騒ぎは、これまた滑稽です。


あるいは、ベンとジョーが教会のアンブローズ・チャペルを訪れるシーン。一味が隠れ蓑にしている教会に乗り込み、ドレイトン夫人と鉢合わせる緊張感あふれるシーンです。ここで、ベンとジョーが他の礼拝者と一緒に讃美歌を歌いながら、歌で会話する様子には思わず吹き出してしまいました。


このように、緊張を所々で緩めつつ、コンサートのシークエンスで究極的な緊張が訪れるわけです。このメリハリですよ!


ラストシーンにしてもそうです。ハンクを救出し、ドレイトン氏も倒れ、ハッピーエンドなわけですが、エピローグ的なシーンもなく、唐突にホテルに場面が飛びます。


ロンドンを訪れたジョーに会いに、ジョー達の事情も考えずにホテルに押しかけてきた彼らが、今だにベンとジョーを待っているというオチ。ずっと待ってた彼らに対し、ベンは「遅くなってごめん!ハンクを連れてきた!」これで"THE END"。思わず苦笑いです(笑)


この時代の映画は、エンドロールも無く急にTHE ENDなので、そもそも余韻に浸る時間がないのですが、本作はレベルが違います(笑)。これはヒッチコックさん、ちょっと雑では?


でもこのシーン、登場シーンではうざったい感じのキャラに見えた彼らが、律儀に2人の帰りを待っていて、こうして笑いで消化されるというのが、なんか嫌いになれないんですよね。

 

 

最後に

今回は映画『知りすぎていた男』の解説&感想でした。コンサートシーンにしても、『ケ・セラ・セラ』にしても、讃美歌にしても、音楽をストーリー上で非常にうまく使った作品です。まさに音楽が彩るサスペンスと言えるのではないでしょうか。


なお、ヒッチコック作品では、必ずと言っていいほどヒッチコック監督がカメオ出演します。本作では、モロッコの市場のシーンで曲芸を見物しているヒッチコックを見ることができます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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★アルフレッド・ヒッチコック監督作品の解説&感想

映画『遊星からの物体X』解説&感想 不気味でグロテスクなSFホラー

どうも、たきじです。

 

今回は1982年公開の映画『遊星からの物体X』の解説&感想です。監督は『ハロウィン』のジョン・カーペンター。ホラー映画の名手が送るSFホラーの秀作です。

 

作品情報

タイトル:遊星からの物体X

原題  :The Thing

製作年 :1982年

製作国 :アメリカ

監督  :ジョン・カーペンター

出演  :カート・ラッセル

     A・ウィルフォード・ブリムリー

     ドナルド・モファット

     キース・デイヴィッド

 上映時間:109分

 

解説&感想(ネタバレあり)

短編小説の再映画化

本作の原作は、1938年の短編小説『影が行く』(『Who Goes There?』)。1951年に公開された『遊星よりの物体X』に次ぐ2度目の映画化です。1951年版よりも原作にのっとった作品になっています。


本作は、アメリカの南極観測隊の基地を舞台として、隊員たちと未知の生命体との闘いを描いています。原題の"The Thing"は、この生命体を指しています。


邦題の『遊星からの物体X』は、"遊星"とか"物体X"とか、悪い意味でオリジナリティを発揮してますね(笑)。この邦題は1951年版の『遊星よりの物体X』を踏襲したものですから、これは1951年当時のセンスということです。1951年版の原題は『The Thing from Another World』でしたから、この邦題は原題を意訳したものになります。"遊星よりの"を"遊星からの"にマイナーチェンジするくらいなら、一新した邦題でも良かったのに。


人と同化する"物体"

さて、上述の通り本作は、隊員たちと未知の生命体(タイトルの表現を借りれば"物体")との闘いを描いています。通信の絶たれた南極基地という、閉鎖された環境を舞台にして生き残るための闘いが繰り広げられるわけです。


閉鎖された環境で未知の生命体と闘うSFホラーというと、本作の3年前に公開されたヒット作『エイリアン』と類似します。『エイリアン』のヒットが、本作の製作の追い風になったと推測されますが、本作は『エイリアン』との共通性を持ちつつも、違った魅力も持っています。


それは、本作の敵である"物体"が人と同化し、隊員に成り代わるという設定にあります。隊員たちは仲間の誰が"物体"になっているか分からず疑心暗鬼になりながら、"物体"と闘うことになるわけです。


主役のマクレディ(カート・ラッセル)が"物体"になっている疑いがかかることや、血液で"物体 or 人間"を見分ける奇策など、設定がうまく活かされた展開が面白いです。


また、敵の実態が見えず、正体不明という点も本作の魅力でしょう。一匹の犬を執拗に追いかけるノルウェーの観測隊の不可解な行動や、どこか怪しく基地を歩き回る犬の存在など、冒頭からなかなか不気味な雰囲気が醸し出されています。


ノルウェーの観測隊の基地の探索や、彼らが残したビデオの映像などから、徐々に断片が明らかになっていく様子も、静かな恐怖を煽ってきます。


ちなみに、このノルウェー観測隊の顛末を描いたのが2011年に公開された『遊星からの物体X ファーストコンタクト』。こうした続編というのはなかなか面白い試み。最近のTVゲームならDLCでやりそうなネタですね。

 


"物体"の造形

H・R・ギーガーによる『エイリアン』のエイリアンの造形も凄まじいものですが、ロブ・ボッティンによる本作の"物体"の造形もなかなかのものです。


中でも、ノリスが"物体"に変容するシーンは、強く印象に残ります。胸がぱっかり開いて、心臓マッサージをしていたドクターの手を飲み込んだかと思えば、触手が現れ、やがてはノリスの首からカニのような脚が生えて歩いていきます。逆さまの首から脚と目が生えたこの造形の凄まじさよ!


完全な異生物に変容しながらも、その一部に人間の顔を残しているところに、言いようのない絶望感を覚えます。あまりにグロテスクです。


こうしたクリーチャーの造形は、当時は今以上に衝撃的だったことでしょう。後の作品にも多大な影響を与えていると考えられます。


個人的に馴染みが深いところで言えば、ゲーム『バイオハザード』シリーズのクリーチャー造形は、かなり本作の影響を受けていると感じます。『バイオハザード2』の"G"の第2形態なんかまさにです。本作のクライマックスで床板を破って出てくる"物体"も、バイオハザードの中ボス感ありますし(笑)

 

また、そうしたこれまでにない造形を表現する技術も、80年代という時代を考えると驚くほどの水準だと思います。"物体"のシーンは全体的に薄暗かったり、短いカットを中心にシーンを構成したりしているところも、チープさを抑えるのに寄与していることでしょう。"はっきりと見せない"ことは、そうした効果に加えて、観客の想像を掻き立て、恐怖を煽る効果も生んでいます。


一方で、"物体"が床板を破って出てくる上述のシーンなど、"物体"の触手の動きをストップモーションで描いているシーンもあります。こちらは一転、"80年代っぽさ"満載でちょっとチープさは否めない出来です。


マクレディのキャラクター

カート・ラッセルという役者は、個人的にはそこまで魅力的に感じないのですが、本作のマクレディ役はなかなか魅力的でした。極限の状況の中でリーダーシップを執り、自分が疑われる難局も脱し、最後まで闘う姿、格好いいじゃないですか。


印象的なのは冒頭のシーン。マクレディはパソコンでチェスのゲームをしています。相手の手に対して余裕をかましていたら、逆にチェックメイトされてしまいます。それに対し、マクレディは飲んでいたウイスキーをパソコンの基板にぶちまけ、パソコンを壊して相打ちに持ち込むのです。


これはマクレディのキャラ付けのシーンくらいに見ていましたが、終わってみれば本作の結末を暗示するシーンになっていたことに気付きます。"物体"と人間の見分け方を見つけて得意げになっていたところで、マクレディ達は基地の発電機を壊されてしまいます。南極は、人間が暖房なしでは生きていけない環境。マクレディ達は"チェックメイト"されたわけです。これに対し、マクレディは基地を爆破することで、相打ちに持ち込みます。面白いですね。


ラストシーンも格好いいです。基地を爆破したマクレディの元に、生き残っていたチャイルズが現れます。確執のあった2人。互いに相手が"物体"に同化されているかどうか分からない状況の中、ウイスキーを酌み交わし、「何が起こるか、ここで待とう」と静かに微笑み合う。


分かりやすいハッピーエンドがアメリカ映画らしいラストと思いがちですが、アンハッピーながらもこれ以上ないくらいアメリカンなラストシーンでした。


ちなみにこのシーン。チャイルズの吐く息が白くならないから"物体"と同化している説がありますがこれは間違い。照明の具合で映らなかっただけだと監督が明言していますし、よく見ると、チャイルズが現れた最初のカットでは白い息が見えます。と言うよりも、そもそも"物体"と同化すると息が白くならないなんて設定がありません。"物体"と同化したベニングスが咆哮するシーンの彼の息、真っ白です(笑)。

 

ここは素直に、"同化しているかいないか分からない"という結末の妙味を楽しむのが正解です。

 

 

最後に

今回は映画『遊星からの物体X』の解説&感想でした。80年代を代表するSFホラーの一作。"物体"という、正体不明の生命体の設定が生きた演出、そのエポックメイキングな造形と、見どころ十分の作品でした。


そう言えば本作、エンニオ・モリコーネが音楽を担当しているんですよね。モリコーネにはなかなか珍しいホラー音楽ですが、ゾワゾワと湧き上がる恐怖を煽るようないい音楽でした。でもこの音楽、ジョン・カーペンターの書く曲の雰囲気に似ているような気も…

 

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↓80年代を代表するSFホラーの傑作

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映画『見知らぬ乗客』解説&感想 ヒッチコック演出の魅力溢れるサスペンス

どうも、たきじです。

 

今回は映画『見知らぬ乗客』の解説&感想です。

 

1951年公開のアメリカ映画で、アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作の一つ。ヒッチコック演出の素晴らしさが光るサスペンス映画です。


『太陽がいっぱい』で有名なパトリシア・ハイスミスが原作(デビュー作)、フィリップ・マーロウを生み出したハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーが脚本(共同)、そしてヒッチコックが監督という、なんとも豪華な作品です。

 

作品情報

タイトル:見知らぬ乗客

原題  :Strangers on a Train

製作年 :1951年

製作国 :アメリカ

監督  :アルフレッド・ヒッチコック

出演  :ファーリー・グレンジャー

     ロバート・ウォーカー

     ルース・ローマン

     ケイシー・ロジャース

 上映時間:101分

 

あらすじ

テニスプレイヤーのガイ・ヘインズ(ファーリー・グレンジャー)は上院議員の娘のアン(ルース・ローマン)と不倫しています。彼は妻のミリアム(ケイシー・ロジャース)と離婚してアンと結婚したいと思っていますが、ミリアムは離婚に応じようとせず、苛立っています。


ヘインズは、列車でブルーノ(ロバート・ウォーカー)という男に出会います。ブルーノはそんなヘインズの状況をゴシップ紙で知っており、自分がミリアムを殺すから、代わりに自分の父親を殺してくれと、ヘインズに持ちかけます。お互いに見知らぬ関係であり、殺人の動機がないから捕まることはないと言うのです。


冗談だと思い、相手にしないヘインズでしたが、ブルーノは本当にミリアムを殺してしまいます。そして、今度は君が自分の父親を殺す番だと、ヘインズに迫ります。

 

 

解説&感想(ネタバレあり)

"見知らぬ乗客"2人の出会い

一流の原作と、一流の脚本、一流の演出が揃った本作。サスペンス映画好きならあらすじを聞くだけでもわくわくするようなストーリーを土台として、見事な演出によってさらに見るものを映画に引き込みます。


まず、オープニングから実に決まっています。冒頭、駅に降り立つ2人の人物の足元だけを映したカットが続きます。クロスカッティングで交互に映される2人の足元は、どちらも同じ列車へと向かいます。そして列車に乗った2人がテーブルを挟んで座り、足を組んだ時に靴と靴が触れた瞬間、人物全体を映したカットに移行し、物語が始まります。


"見知らぬ乗客"である2人の出会い。それをこんな風に表現できるセンス!

 

スリリングな殺人

やっぱりヒッチコックのサスペンス演出はすごい、と最初に思わせてくれるのは、ブルーノがミリアムを手にかけるシークエンスでしょう。


遊園地で男2人を連れて遊び回るミリアムに対し、不気味に後をつけるブルーノ。ここで、ミリアムがブルーノの尾行に気づいているのもまた良し。彼女はプレイガールなのでブルーノに目を付けられているのもまんざらでもない様子ですが、見ている我々は彼女の命が危険なことを分かっていますから、とてもスリリングです。


ミリアムが後方を振り返るも彼の姿はなく、前に向き直ると隣に立っている、とか、メリーゴーラウンドでミリアムの後ろの木馬に乗ってミリアムと同じ歌を歌っているとか、ぞっとする演出の連続です。


そんな中で、さすがヒッチコックと特にうならされるのが、ミリアムが殺される直前のシーン。男2人とボートでトンネルに入るミリアム。後をつけトンネルに入るブルーノ。そこに響き渡る女の悲鳴。ドキっとしたのも束の間、トンネルから出てきたボートには男2人とじゃれるミリアム。


殺人が今にも行われそうな中で悲鳴が上がり、緊張が最高潮となった後の緩和。緊張の糸が切れ、ほっと一息ついた直後に、遂に行われる殺人。映画を見るものの感情の波を見透かしたような演出です。


その殺人シーンを、遊園地という楽しい空間の脇で行わせるというコントラスト。そしてメガネに映る歪んだ像で見せるという演出に、また感心してしまうのです。


でも、あの揉み合いでメガネのレンズは割れないよね、というのは野暮なツッコミか…


ブルーノの異常性

作品全体に不穏な空気を流しているのは、紛れもなくブルーノのキャラクターでしょう。何をしでかすか分からないブルーノの異常性、その危うさが、緊張感を生み出しています。


登場シーンから異常性を醸し出していた彼ですが、殺人の後、ヘインズに付きまとうようになってからはそれがエスカレートしていきます。


一度見たら忘れられないほどに印象深いのは、やはりテニスの試合のシーンでしょう。選手が打ち合うテニスボールの行方を追って観客の誰もが左右に首を振る中で、ただ1人微動だにせずこちらを見つめるブルーノ!この秀逸なシーンは、ハイスミスによるものか、チャンドラーによるものか、それともヒッチコックによるものか。いずれにせよ、サスペンス史に残る名シーンです。


やがて、ブルーノは人の目に触れるところでもヘインズに接触してくるようになります。2人の接点がばれると、交換殺人がばれるリスクが高まるやん、とツッコミたくもなりますが、これもブルーノの異常性を示すものでしょう。彼はヘインズに自分の父親を殺させることに執着し、やがてはヘインズに妻殺しと罪を被せようと行動します。

 

 


クライマックスへのカウントダウン

ブルーノがヘインズのライターを殺人現場に置くことで、ヘインズに罪を被せようとしていることが分かると、クライマックスに向けてストーリーが加速していきます。殺人現場に向かうブルーノを止められるか?ハラハラの展開が始まります。


ブルーノが動くのは夜。テニスの試合を棄権するとヘインズは尾行の刑事に怪しまれる。それなら、ストレート勝ちで試合を早く終わらせるしかない、という展開の妙。テニスの試合までもがサスペンスの材料となります。


一方で、殺人現場に向かうブルーノ。排水溝にライターを落とし焦ります。ストレート勝ちを狙い試合に挑むヘインズと、ライターの回収に悪戦苦闘するブルーノがクロスカッティングで描かれ、緊張感を高めます。


一連のシークエンスでは、ブルーノが殺人現場にライターを置くことを"その時"として、時計の針が示す時間の経過、殺人現場へと近づいていくブルーノ、沈みゆく太陽といった描写をカウントダウンとして使っているのが見事です。そう言えばヒッチコック監督は、『知りすぎていた男』でも、オーケストラの演奏をこうしたカウントダウンに使っていました。


試合を終え、急ぎ列車に乗って殺人現場のあるメトカフへと向かうヘインズ。ちょうどヘインズがブルーノと出会った時のように、見知らぬ乗客どうしの靴と靴が触れる場面を目にして眉をひそめます。ここでも緊張感の高まりを細やかなユーモアで少し緩和して、見るものの感情を揺さぶります。


痺れるクライマックス

やがて殺人現場に向かうために、ボートの列に並ぶブルーノ。これを見たボート乗り場の男は、事件発生時に見た怪しい男だと警察を呼びます。異変を感じ逃げるブルーノ。それを見つけて走り出すヘインズ。それを追って、ヘインズを尾行する刑事も走り出す。やがてヘインズとブルーノはメリーゴーラウンドへ。刑事が発砲し、それがきっかけでメリーゴーラウンドの速度制御のレバーが倒れ回転が加速します。


この急展開!カウントダウンで高まった緊張感が、一気に解き放たれるかのような"カウント・ゼロ"。


誰も立ち入れないほどに暴走し、外部と遮断されたメリーゴーラウンド中での攻防。泣き叫ぶ子供達。メリーゴーラウンドを止めようと、匍匐前進でレバーを目指す係員。ただただ見守るしかない刑事と子供達の親。


一気にクライマックスの舞台が整う様に痺れます。


最後には、メリーゴーラウンドが大破するスペクタクル。息絶えたブルーノの拳からライターが現れて一件落着です。


このライター、ヘインズとブルーノが出会う冒頭から、殺人シーン、排水溝に落とされるシーン、クライマックスと、存在感ばりばりですね。まさに本作のキーアイテムです。


ラストシーンでは、アンと共に列車で家を目指すヘインズ。「ガイ・ヘインズさん?」と"見知らぬ乗客"に話しかけられるも、顔をしかめてアンと共に席を外します。このユーモアあふれるシーンで幕を閉じるのがまたヒッチコックらしいのです。

 

 

最後に

今回は映画『見知らぬ乗客』の解説&感想でした。ヒッチコック演出の素晴らしさを堪能できる、サスペンス映画の名作。ヒッチコック監督を語る上では外せない作品です。


なお、ヒッチコック作品では、必ずと言っていいほどヒッチコック監督がカメオ出演します。本作では、序盤にヘインズが列車を降りる時に、入れ違いに列車に乗るヒッチコックを見ることができます。


さらに余談ですが、アンの妹バーバラを演じたパトリシア・ヒッチコックは、ヒッチコック監督の娘さん。そう言われれば似てますね。

 

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★アルフレッド・ヒッチコック監督作品の解説&感想

映画『のぼうの城』感想 歴史映画として楽しめますが、文句をつけたくなるところも…

どうも、たきじです。

 

今回は映画『のぼうの城』の感想です。本作は、犬童一心と樋口真嗣が共同監督を務め、野村萬斎主演で描く歴史スペクタクル。成田勢3000の軍勢が、石田三成(上地雄輔)率いる2万の軍勢から城を守る物語です。

 

作品情報

タイトル:のぼうの城

製作年 :2012年

製作国 :日本

監督  :犬童一心

     樋口真嗣

出演  :野村萬斎

     榮倉奈々

     成宮寛貴

     山口智充

     上地雄輔

     佐藤浩市

 上映時間:145分

 

感想(ネタバレあり)

のぼう様(野村萬斎)が百姓に慕われていることが軸となって、石田の軍勢に一泡吹かせるストーリーがうまくまとめられています。合戦、水攻め、田楽踊り、水攻め破りと、常に飽きさせない展開に引き込まれます。


最初の合戦では、正木丹波守(佐藤浩一)、柴崎和泉守(山口智充)、酒巻靱負(成宮寛貴)ら、主要人物それぞれに見せ場が用意され、痛快な勝利が描かれます。合戦のシーンの映像表現もなかなかに見応えがあります。


また、水攻めシーンでは、有名な忍城水攻めが映像として再現されているので、戦国好きとしてはそれだけでテンションが上がります。


そんな感じで、作品全体としては好印象。


一方で、少し文句をつけたくなるところもいくつか。


「現在の〇〇県である」の説明とか、エンディングの現在の忍城の様子とか、要りますか?


本作は史実に基づく合戦を題材にした歴史映画であって、教育番組の再現ドラマじゃないでしょう。現代との紐付けなんて不要。ただ映画の世界に引き込んでくれればいいのです。

 

同様に、主要登場人物のその後をナレーションで説明するくだりも不要。少なくともたらたら長いですよ。史実が気になったらWikipediaで調べます。


また、石田三成は2万の軍勢を率いて忍城を攻め落とせず、太閤秀吉の伝説でもある水攻めを失敗するという大失態を演じておきながら、何をニコニコと相手に感心しているのか。


「良き戦にござった!!」


言うとる場合か!


それから、誰とは言いませんが、台詞回しがぎこちない(棒読み?)役者もいたような…


あと、本作のエンディング曲はエレファントカシマシの「ズレてるほうがいい」で良かったのかな?この曲自体は好きですけどね。

 

 

最後に

今回は映画『のぼうの城』の感想でした。

 

歴史好きとしてとても楽しめる作品に仕上がっていて全体としてとても満足でしたが、少し文句をつけたくなるところも目立つ作品でした。

 

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映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』解説&感想 前後半のコントラストの効いたカーチェイス映画

どうも、たきじです。

 

今回は映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』の解説&感想です。

 

2007年公開のアメリカ映画で、クエンティン・タランティーノ監督作品。ロバート・ロドリゲス監督の『プラネットテラー』と、架空の映画の予告編と合わせて『グラインドハウス』というオムニバス映画として公開された後、1本の映画として再編集したものです。


『グラインドハウス』自体がB級映画の再現がコンセプトですから、本作もB級映画を意識しまくりの内容になっています。

 

作品情報

タイトル:デス・プルーフ in グラインドハウス

原題  :Death Proof

製作年 :2007年

製作国 :アメリカ

監督  :クエンティン・タランティーノ

出演  :カート・ラッセル

     ヴァネッサ・フェルリト

     シドニー・ターミア・ポワチエ

     ロザリオ・ドーソン

     ゾーイ・ベル

     トレイシー・トムズ

     メアリー・エリザベス・ウィンステッド

 上映時間:113分

 

解説&感想(ネタバレあり)

自分が好きな様々な映画のエッセンスをふんだんに盛り込んで、やりたい放題に映画を撮り、それが多くの人に受け入れられる…。『キル・ビル』を観た時にも感じましたが、タランティーノ監督は本当に幸せ者だと思います。


本作においては、監督好みのB級映画のテイストが満載です。その軸となるのは女、暴力、カーチェイス。言い変えれば、女、暴力、カーチェイスだけの映画とも言えますが、数多くのB級映画と決定的に違うのは監督のずば抜けたセンスです。


本作は、前半と後半でくっきり別れた2部構成となっており、この前後半のコントラストが抜群に効いています。


なんせ、前半の主要キャラクターの若い女達は、スタントマン・マイク(カート・ラッセル)の暴走運転によって、全員が悲惨な死を遂げるわけです。それに対し、カーチェイスで魅せる後半の爽快感よ!


カーチェイスはアクション映画において昔からよく用いられていますが、個人的にはそこまで興奮しないことも多いです。それが、本作はどうでしょう。ストーリーの盛り上がりも相まって、大興奮のカーチェイスになっています。


スタントウーマンのゾーイ(本人)が、売りに出ている憧れの1970年型ダッジ・チャレンジャーに試乗させてもらうと言い出し、しかもそれでシップマスト(走る車のボンネットに乗るスタント)をやりたいと言います。これにより、来たるべきカーチェイスへのお膳立てがされます。この時点で、こちらはもうワクワクです。


そして満を持してのカーチェイス。ゾーイをボンネットに乗せて走るダッジ・チャレンジャーに、マイクの乗るダッジ・チャージャーが迫ります。ボンネットに人が乗っているという緊張感が、普通のカーチェイスとは一味違う興奮を生み出しています。


女達を怖がらせ満足気に笑うマイクに対し、キムが銃を発砲するところで形成逆転。ここからは、攻守を入れ替えたカーチェイスが始まります。彼女達自身の復讐であることに加え、観客としては前半で犠牲になった子達の復讐という視点も加わりますから、気持ちが乗るわ乗るわ。


借り物の車であることなんてもはやどうでもよく、マイクに車体をぶつけまくる気持ち良さ!この疾走感!もう最高!


ラスト、3人にボコボコにされたカート・ラッセルが仰向けに倒れ、3人のガッツポーズのストップモーションで“The End”。これには、思わず笑ってしまいましたね。

 

 

 

前半の陰鬱な幕切れに対する後半の爽快感。前後半の陰と陽のコントラストはこれにとどまりません。

 

前半は大部分が夜のシーンで構成され、時には大雨も降るのに対し、後半は昼間の晴天の下、見晴らしの良いロケーションで構成されています。これに加えて、フォード・マスタングの黄色や、衣装の黄色やピンクなど、後半は色使いも鮮やか。このように、画面作りにおいてもコントラストが効いています。


後半はモノクロで始まり、やがて突然カラーになり、上述の鮮やかな色彩が明らかになります。コントラストを際立たせるいい演出です。


加えて言うなら、キャストも前後半でコントラストが効いています。失礼ながら前半のキャストは少し地味な印象でB級映画感が強め(シドニー・ポワチエのご息女もいますね)。それが後半になると、キュートなメアリー・エリザベス・ウィンステッド、存在感抜群のゾーイ・ベル、この中では実績一番のロザリオ・ドーソン、貫禄たっぷりにドライバーを務めたトレイシー・トムズ。いわゆるスターでこそないですが、華やかなキャストです。『レント』好きの私としては、ロザリオ・ドーソンとトレイシー・トムズの共演にテンションが上がります。

 

さて、コントラストの話以外もしておきましょう。

 

本作は、タランティーノ作品らしい与太話も健在で、古いファンには喜ばしいポイントでしょう。ただ、私は『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』ほどには、本作の与太話に面白味は感じませんでした。タランティーノにガールズ・トークは無理があったか、それとも単に私の好みの問題か…


また、『パルプ・フィクション』に出てきたビッグ・カフーナ・バーガーが出てきたり、アバナシーの携帯の着信音が『キル・ビル』のダリル・ハンナの口笛の曲(オリジナルは『密室の恐怖実験』)だったり、こうした遊び心は楽しいですね。

 

 

最後に

今回は映画『デス・プルーフ in グラインドハウス』の解説&感想でした。とにかく前後半の陰と陽のコントラストが抜群に決まっていて、大興奮の映画です。


本作の中で言及される、『バニシング・ポイント』とか『トラック野郎!B・J』とか、本作がオマージュを捧げているであろうB級映画達は未見。この辺も見ているともっと楽しめるんでしょうね。

 

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映画『ターミナル』解説&感想 軽いタッチのコメディ映画

どうも、たきじです。

 

今回は、2004年公開のスティーヴン・スピルバーグ監督作品、映画『ターミナル』の解説&感想です。


母国でクーデターが発生し政府が消滅したことからパスポートが無効になってしまってアメリカに入国することができず、空港から出られなくなった男を描いたコメディ映画です。


パリのシャルル・ド・ゴール空港で18年暮らしたナーセリー氏がモデルであると言われています。

 

作品情報

タイトル:ターミナル

原題  :The Terminal

製作年 :2004年

製作国 :アメリカ

監督  :スティーヴン・スピルバーグ

出演  :トム・ハンクス

     キャサリン・ゼタ=ジョーンズ

     スタンリー・トゥッチ

上映時間:124分

 

解説&感想(ネタバレあり)

本作は、数々の大作映画を手がけてきたスティーヴン・スピルバーグ監督にしては随分とこじんまりした軽いタッチのコメディ映画。とは言え、作中の空港のターミナルは、実際の空港で撮影したわけではなく、格納庫の中にセットを丸ごと作ったというのだから、そのスケール感には驚かされます。見事に出来上がったセットの中を動き回るダイナミックな撮影も素晴らしいです。

 

ロマンスや感動の要素もある本作ですが、やはり本作の魅力は、空港から出られなくなるという特異なシチュエーションと、そこで繰り広げられるコメディでしょう。


ビクター(トム・ハンクス)が、ターミナルの中で暮らすようになり、英語を覚え、お金を稼ぐようになり、友達を作り、という過程には、ぐいぐい引き込まれます。

 

トム・ハンクスはシリアスな映画もうまいですが、もともとはコメディ系の俳優。やはり彼のコメディ演技は楽しくて好きです。


仕切りの付いた空港の椅子で横になるのに悪戦苦闘して椅子の間に挟まる様子!店舗の入口のガラスにぶつかってしまい、別の時にはぶつからないように手で確認する仕草!ちょっとした動作や仕草で笑いを取るのがうまいです。

 

空港でビクターを取り巻く仲間達も個性的。特に清掃員グプタ(クマール・パラーナ)。ビクターとアメリア(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)のディナーの席での曲芸には爆笑でした。


さて、本作は「待つ」をテーマとして、ビクターと周りの人々のドラマにうまく盛り込んでいるのもうまいですね。


空港を出てニューヨークへ足を踏み入れる日を待つビクター、相手が妻子ある身と分かっていながらも恋人からの連絡を待つアメリア、ドロレス(ゾーイ・サルダナ)へのプロポーズの答えを待つエンリケ(ディエゴ・ルナ)、そしてジャズミュージシャンからのサインを待ち続けて亡くなったビクターの父。


中でも、ビクターの父が待ち続けたサインが、本作の大きなキーとなっています。とは言え、ピーナッツ缶の秘密を終盤まで勿体ぶった割には、そこまでのエピソードでは無かったかなというのが正直なところでした。


クライマックスでは、友人達に仕事を失わせないために、父との約束を諦めて帰国しようとするビクター。それを知って自分を犠牲にしてビクターを助けるグプタ。ニューヨークに向かうビクターを見送る仲間達とターミナルで働く皆。ビクターにコートをかけて出口へと導く警備員。この畳み掛けには、ささやかな感動を覚えました("ヤギの薬"のエピソードと、その時の"手のコピー"も効いています)。


飛行機が旅行先の空港に着き、空港を出てその地に第一歩を踏み出すときの感動は多くの人が体験することだと思いますが、本作でビクターが雪の降るニューヨークに踏み出したときの感動は、それとは比べものにならないものでしょうね。空港のガラスに映るマンハッタンの摩天楼が印象的です。


冒頭述べたように、本作は軽いタッチのコメディ映画。そこまで深いドラマは描かれていませんね。本作のロマンス要素であるビクターとアメリアの関係にしても、2人が距離を縮め、やがて終わる様子はさらっとした描写で流れていく印象です。


ナポレオンにまつわるエピソードを引用した会話は素敵だし、キャサリン・ゼタ=ジョーンズはキャリア最高といっていいほど可愛く撮れているとは思いますが。


それよりもエンリケとドロレスのエピソードにひとこと言いたい!一度も直接会話せず、ドロレスに至っては相手のことを何も知らずに結婚するって、ファンタジーが過ぎる!


トレッキー(『スター・トレック』の熱狂的ファン)であるドロレスは、プロポーズの指輪を嵌めたのをエンリケに見せる時に中指と薬指の間を開いて見せます(🖖)。これは『スター・トレック』のバルカン人の挨拶"バルカン・サリュート"です。結局このネタやりたかっただけじゃないですか?


ちなみに、ドロレス役のゾーイ・サルダナは、本作から5年後にJ・J・エイブラムスによりリブートされた映画『スター・トレック』の新シリーズに主要キャストとして出演しています(バルカン人ではなく地球人役です)。

 

最後に

今回は映画『ターミナル』の解説&感想でした。

 

特異なシチュエーションの中で繰り広げられる笑い、そしてささやかな感動を与えてくれる良作でした。軽いタッチで見やすい作品なので、こういう映画こそ地上波で放送するのに適していると、個人的には思います。


そういえば、本作のエンドロールのスタッフとキャストの名前は、各人のサインで表記されていましたね。ビクターの父がジャズミュージシャンのサインを集めていたのにちなんだものですが、なかなか洒落た演出でした。

 

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映画『プロデューサーズ』解説&感想 思いっきり笑えるミュージカル・コメディ

どうも、たきじです。

 

今回は映画『プロデューサーズ』の解説&感想です。

 

オリジナルはメル・ブルックス監督・脚本で1968年に公開された同名映画。その後、メル・ブルックス自身の作詞・作曲で2001年にミュージカルとして舞台化されました。本作は、そのミュージカル版を2005年に映画化した作品です。


監督は舞台版で演出を務めたスーザン・ストローマン。主役のマックスとレオを演じたネイサン・レインとマシュー・ブロデリックを始め、ロジャー役のゲイリー・ビーチ、カルメン役のロジャー・バートが、舞台版オリジナルキャストとして本作にも出演しています。

 

作品情報

タイトル:プロデューサーズ

原題  :The Producers

製作年 :2005年

製作国 :アメリカ

監督  :スーザン・ストローマン

出演  :ネイサン・レイン

     マシュー・ブロデリック

     ユマ・サーマン

     ウィル・フェレル

     ゲイリー・ビーチ

     ロジャー・バート

 上映時間:134分

 

解説&感想(ネタバレあり)

センスのいい笑いがいっぱい

本作の大きな魅力は、やはり"笑い"にあります。


ネイサン・レインとマシュー・ブロデリックの息の合った掛け合いにも見られるスラップスティックな笑いもさることながら、さりげなくさらっと入れられるユーモアも面白いです。


例えば、ナチスかぶれのフランツに合わせて鉤十字の腕章を付けたマックスとレオが、腕章を外し忘れたまま次の訪問先に行っちゃってるとか。あるいは、マックスの計画に乗ることを決意してレオがマックスのところに戻ってくると、別れた時と同じポーズでマックスが待っているとか。個人的に結構ツボ。


ちなみに後者のシーンのロケ地はセントラル・パークのベセスダの噴水ですね。オリジナル版もこのシーンは噴水で撮られていて印象的なシーンでしたが、しっかりオマージュしています。


他にも、マックスの"弁護"のためにレオが法廷に現れると、なぜかみんながサンバを踊り出すというナンセンスな笑い。かと思えば、レオがマックスへの想いを込めたミュージカル・ナンバー"'Til Him"を歌い上げたのに対し、マックスが「歌上手いんだね」と返す高度な(?)笑い。ミュージカルの暗黙の了解を逆手に取った笑いに思わず吹き出してしまいます。


いや、ほんと全体的に笑いのセンスがいいと思いますね。公開当時、本作を劇場で見ましたが、日本の劇場にしては珍しいくらい笑い声が上がっていました。


ちなみに、舞台版もブロードウェーで見たことがあるのですが(オリジナル・キャストではない)、言うまでもなく大爆笑の連続でした。


ただ一方で、ポリコレ全盛の今見ると、受け入れられにくそうな部分も多い印象です。変なドイツ人、変なゲイ、お馬鹿なブロンドのスウェーデン人、アイルランド訛りいじりとか、今だとプチ炎上案件かも…

 

楽しく演じるキャスト達

上でも述べた、ネイサン・レインとマシュー・ブロデリックの息の合った掛け合いに代表されるように、本作は舞台版から集まったキャスト達が楽しく演じているのが画面から伝わってきます。


ネイサン・レインははじけた演技が最高に可笑しく、表情、台詞、歌、ダンスでたっぷり楽しませてくれます。もっと評価されていい役者だと思いますね。独房の中でこれまでのストーリーを一人でおさらいするシーンはもう最高!


マシュー・ブロデリックには、青いハンカチを取られた時のヒステリー演技に笑わされました。ただ、これはオリジナル版でレオを演じたジーン・ワイルダーの演技の再現ですね。


ゲイリー・ビーチ(ロジャー)とロジャー・バート(カルメン)もそれぞれが小慣れた演技で笑わせてくれます。


セクシーな女優ウーラとナチスかぶれの脚本家フランツはそれぞれユマ・サーマンウィル・フェレルが演じています。こちらは舞台版とキャストが変わりましたが、映画俳優としてネームバリューのある2人が加わることで、画面がいくらか華やいでいます。


ちなみにウーラは、当初ニコール・キッドマンが演じる予定でしたが、スケジュールの都合で降板したんですよね。個人的にはニコール・キッドマンで見たかったのが正直なところです。

 


ミュージカルシーンの良し悪し

この頃のミュージカル映画では、カメラワークやカッティングによる目まぐるしい映像表現がよく用いられていた印象です。一方で、本作のミュージカルシーンでは、そうした表現はあまり用いられていません。ロングショットであまりカットを割らない映像表現が目立ち、どちらかと言えば往年のMGMミュージカル風です。


これ自体は決して悪くないですが、このように撮られると、ついつい往時のジーン・ケリーやフレッド・アステアを想起してしまいます。そして、超一流の彼らと比べてしまうと、どうしても物足りなく感じてしまうのです。


また、本作は舞台の演出そのままというのが多くて、映画ならではの演出が少なめ。上述の映像表現も相まって、舞台を見ているような感覚になることもしばしば。


舞台版はトニー賞を12部門も受賞するほどの評価であったにも関わらず、映画化された本作はあまり評価されず、興行成績も振るわなかった要因はそこにあるでしょう。例えば『シカゴ』がそうであったように、映画ならではの演出がもっと欲しかったというのが正直なところです。


ただ、本作を見ると舞台版がすごく見たくなることは間違いないので、舞台版のプロモーションとしてはいいかもしれません。実は私もブロードウェーで舞台版を見たのは、本作を見てからのことになります。


さて、悪い点ばかり述べていますが、良い点も。レオが歌う"I Wanna Be a Producer"のシーンは個人的にかなり好き。


会計事務所のキャビネットが、ステージの階段になるところから、別次元の華やかな舞台の世界に入っていく、この演出に関しては映画ならではと言えるでしょう。


また、この曲の場面の興味深いところは、ミュージカルシーンとして三層構造になっているところ。まずは、会計士達が"Unhappy…"と歌う会計事務所でのシーンから、別次元のステージに移り、最後はまた現実の会計事務所に戻るという具合に、この曲自体が二層構造。さらにはそれを、"We Can Do It"で挟み込むという三層構造です。


これが、この序盤の一連のミュージカルシーンにまとまりを生むと共に、レオがマックスと組んで演劇を作ることを決意するという、物語の大きな動きを、より劇的に盛り上げています。


そして本作のハイライトはやはり"Springtime for Hitler"のシーンでしょう。ヒトラーを礼賛して作品を打ち切りにするはずが、痛烈な風刺として受け取られて絶賛されてしまうという、物語の転機となる曲です。劇中劇として演じられるものですので、ミュージカルではないオリジナル版から存在しています。


曲自体もいいですし、ヒトラーとドイツへの礼賛が行き過ぎてコメディになるという面白さ!頭にプレッツェルやらソーセージを乗せた美女ダンサーには笑ってしまいます。

 

鉤十字の形に並んで行進する演出も面白いです。映画の中でもそうしていましたが、舞台ではステージの背景に設けた大きな鏡を客席側に傾けることで、客席から鉤十字の形が見えるようにしています。


ちなみに、私がブロードウェーで見た時は、作品の人気も落ちて来た頃であったことに加え、平日の昼の回だったので、客席は結構ガラガラでした。そのため、大きな鏡が出てきた瞬間に、ガラガラの客席が映って少し萎えてしまいました(笑)


とは言え、やはり生の舞台の感動は大きいです。映画版で新たに書き下ろされたエンディング曲"There's Nothing Like A Show On Broadway"は、完全にブロードウェー賛歌。とても共感しますし、すぐにでも劇場に向かいたくなる曲です。


映画のエンディングなのに、映画に否定的なことを言って(もちろんユーモアを込めて)、ブロードウェーの素晴らしさを歌い上げるなんて、やはり本作、舞台版のプロモーションですね(笑)

 

 

最後に

今回は映画『プロデューサーズ』の解説&感想でした。

 

映画化作品として成功とは言えないものの、元の舞台の素晴らしさをしっかり映像に残した作品になっています。オリジナル版の監督・脚本を務め、ミュージカル曲の作詞・作曲をも務めたメル・ブルックスは本当にいい仕事をしましたね!(本作でもエンドロール後のラストカットで顔を出しています)


ちなみにメル・ブルックスは、エミー賞、グラミー賞、オスカー(アカデミー賞)、トニー賞をすべて受賞(頭文字を取ってEGOTと呼ばれます)し、ショービズ界のグランドスラムを達成した史上16人の中の1人です。偉大なクリエイターですね。

 

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