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映画『M』解説&感想 映画黎明期の革新的ドイツ映画

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どうも、たきじです。

 

今回は1931年のドイツ映画『M』の解説&感想です。監督は、映画黎明期の巨匠フリッツ・ラング。彼のもう一つの代表作『メトロポリス』と並んで、ドイツ映画を代表する名作です。


1951年にアメリカでリメイクされた他、2019年には本国ドイツでテレビのミニ・シリーズとしてリメイクされています。

 

作品情報

タイトル:M

原題  :M – Eine Stadt sucht einen Mörder

製作年 :1931年

製作国 :ドイツ

監督  :フリッツ・ラング

出演  :ピーター・ローレ

     オットー・ベルニッケ

     グスタフ・グリュントゲンス

 上映時間:117分

 

解説&感想(ネタバレあり)

予想を裏切るサイコサスペンス

本作の本質を100%理解しようとするならば、この作品が撮られた1930年代のドイツの社会情勢を正確に理解する必要があるでしょう。そこまでの深い考察は、その種の論文にでも任せるとしますが、そこまでの理解が無くとも、本作が当時いかに革新的な作品であったかは容易に想像できます。


本作はストーリーという点においても、映画的な演出という点においても、革新性に溢れています。


まず、ストーリー。


幼い少女ばかりが狙われた連続殺人事件が発生。警察は必死の捜査を行いますが手がかりが掴めません。


事件が世間の注目を集め、警察が暗黒街を洗いざらい捜査していることで、犯罪組織は"商売"あがったり。それなら俺たちで犯人を捕まえよう、と、犯罪組織はホームレスの男達を組織的に使って独自に犯人を捜査します。そして、やがては警察と犯罪組織それぞれが犯人を追い詰めていくのです(ドイツ語の原題では、"都市は殺人者を探す"という意味の副題が付いています)。


正直、警察の捜査を描く序盤はテンポが悪くて、少々退屈しかけたのですが、犯罪組織が絡んでくることで俄然面白くなっていきました。そして、一筋縄ではいかないシリアルキラーかと思われた犯人が、いつしか弱々しい逃亡者になり変わるというのは予想もしない展開でした。


極め付きは犯人を捕らえた犯罪組織が、犯人を吊し上げるというクライマックスでしょう。これには目を見張りました。目隠しを取られた犯人の前に現れた空間を埋め尽くす群衆。静止した人々の不気味さ。犯人を追い詰めていく集団の凄み。


サイコサスペンスを観て、殺人者ではなく、殺人者を囲う群衆に恐怖を覚えるとは、全くの予想外でした。

 

 

"我々の中にいる殺人者"

本作のタイトル『M』は、ドイツ語で殺人者を意味する"Mörder"の頭文字であり、劇中で犯人のコートに付けられる目印でもあります。実は本作には、製作段階では別の仮題が付けられていました。それは"Mörder unter uns"(我々の中にいる殺人者)というものです。


この仮題が指すのは、直接的に考えれば"市民に紛れた犯人"ということになります。が、それだけにとどまらない暗示的な仮題にも見えます。映画序盤で、怪しい人物を犯人と決めつけて暴徒と化す市民の様子や、クライマックスの集団での吊し上げの様子を見ると、"私刑に走ろうとする群衆"を指すものとも理解できるのではないでしょうか。

 

犯罪組織の群衆によるインチキ裁判の様子は、群集心理によって過激な世論が形成される縮図のようにも見えます。本作の公開の2年後に、ナチス政権が成立し、本作はナチスによって上映禁止になりました。また、ユダヤ人であるフリッツ・ラング監督は亡命を余儀なくされています。このような事実を踏まえると、このクライマックスの描写は、余計に暗示的に見えてきます。


「責任能力のない犯罪者に必要なのは処刑人ではなく医者だ」と主張する弁護人に対し、「治る保証はないし再犯したらどうする」、「殺された子の母親の気持ちを考えろ」と憤る群衆。このインチキ裁判で行われる議論は、現在も続く"死刑の是非"の議論と何ら変わらないことも興味深いところです。


自分の影に追われるような強迫観念にかられ、自分でも知らないうちに犯行していることに苦しむ犯人の独白、そして、群衆の中にはそれに聞き入り、共感する者もいるという描写が、よりこの問題を複雑にしています。そしておそらくは、第一次世界大戦の多額の賠償や、世界恐慌の影響によるドイツの経済危機が、この背景にあることは想像に難くありません。


この時代の作品が、分かりやすい勧善懲悪の娯楽サスペンスに終始することなく、ここまで複雑な問題を描いていることは、私にとって驚きでした。サイコサスペンスの草分けにして、いきなりの骨太な社会派作品になっているわけですからね。


ラストシーンでは、法廷での判決を他所に、打ちひしがれた母親達の姿が描かれます。

「こんなことをしても子供は戻ってこない」

「子供から目を離してはいけない、絶対に」


いろいろと暗示的な本作ですが、意外とこれが言いたかっただけだったりして…。だって本作を見た人はみんな感じたと思うんですよ。


「知らない人について行っちゃだめだよ!」って。

 


トーキーならではの表現

さて、ストーリーに関する話が長くなりましたが、次は映画的な演出の革新性について述べましょう。


本作が製作された頃はまだまだ映画黎明期で、映画の演出も日進月歩で進化していた時代です。したがって、どの演出が本作で初めて行われたものか、ということを正確に掴むことは、それこそ本格的に研究しないと難しいことでしょう。それを断った上で述べますが、本作は、当時としては革新的と言える演出に満ちています。


とりわけ印象深いのは警察の会議と、犯罪組織の会議を並行して描いたシーン。


対照的な2つの組織の議論が同じ方向に進んでいく様子をクロスカッティングで描くことがまずうまいところ。加えて、ここではカットの切り替わる前と後で、警察と犯罪組織それぞれの人物の動きや台詞をリンクさせ、自然にカットを繋いでいます。このような凝ったカッティングがこの時代の映画で見られるのは驚きでした。


それぞれの場面でタバコの煙がモクモクと上がっているのも意図的な演出でしょうか?今の時代の感覚で見ると、過剰過ぎて笑えてきますが、これが当時のリアルでしょうね。


他にも、筆跡鑑定による犯人のプロファイリングを読み上げるシーンも印象的。


読み上げる音声と同時に画面に映るのは、鏡に映る自分を見つめる犯人の姿。このように、喋っている人物のいる場所とは違う場所の様子を画面に映すというのは今では当たり前に使われますが、この時代の作品で目にすると、この頃にはもうやってたんだな、と感心してしまいます。


そしてこの時の犯人の表情が何とも不気味なので余計に印象深いのです。両手の指を口の両脇に当てて目を見開く表情!(『ジョーカー』でも似たようなシーンがありますが、オマージュでしょうか?)


さて、上に挙げたような表現は、当然ながら台詞のあるトーキー映画ならではの表現ということになります。世界初のトーキーの長編映画は1927年の『ジャズ・シンガー』ですから、本作の時点でまだ4年の歴史しかないわけです。


そうすると、当時の観客の中には、こういう革新的な表現について行けない人もいそうですね。「あれ?今誰がどこで喋ってんだ?」って混乱しても無理はない気がします。

 


口笛のライトモティーフ

トーキー映画ならではの演出ということで、もう一つ忘れてはならないのは、ライトモティーフを使用していることです。ライトモティーフとは、特定の人物や場所と関連付けられた音楽のフレーズ。本作においては、口笛の音色が犯人の男と関連付けられています。


ライトモティーフは古くからオペラでは使われてきた手法ですが、フリッツ・ラングが本作でいち早く映画に持ち込んでいます。ちなみにこの曲は戯曲『ペール・ギュント』のために書かれた組曲の中の一節「山の魔王の宮殿にて」。個人的にはテレビドラマ『家政夫のミタゾノ』で馴染み深い曲です。


非常耳に残るフレーズですし、本作にはBGMが一切ないので、このフレーズが余計に際立ちます。画面に彼がいなくても、この音色が聞こえるだけで、彼がいることが分かるのです。


サスペンスを盛り上げる演出

他にも、本作ではサスペンスを盛り上げる演出が溢れています。序盤、少女が犠牲になる事件の描写からして、演出にキレがあります。


壁にぶつかって繰り返し跳ね返るボールの横に現れる男の影、少女の帰りを待つ母親を焦らせる鳩時計、虚しく響く母親の声、誰もいない階段、屋根裏の洗濯物、空の皿、やがて草むらに転がるボールと電線に絡まる風船。


直接的な描写ではなく、印象的なモティーフを重ねることで、不穏な空気を盛り上げ、やがて起こる悲劇を際立たせています。


また、犯人が少女を見つめるシーンや、犯人が背中の"M"に気付くシーンなど、ガラスの反射を効果的に使っているのも印象的です。


こうした様々なサスペンス演出は、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックも顔負けの演出ではないでしょうか。私を含め、ヒッチコック映画が好きな人なら好きな演出の数々だと思います。


ちなみに本作の犯人役のピーター・ローレはヒッチコック監督の『暗殺者の家』(同監督が自らリメイクした『知りすぎていた男』のオリジナル版)で悪役を演じています。


最後にもう一つ付け加えると、ホームレスの市場のシーンのトラッキング・ショット(移動撮影)も素敵です。約2分半の長回しでカメラが流れるように動き、やがては窓をすり抜けていきます。


ただ、トラッキング・ショット自体は本作以前のサイレント映画の時代から、様々な表現が開拓されていましたから、本作が特別というわけではありません。例えば、本作より4年早い1927年に公開のアメリカ映画『つばさ』(第1回アカデミー作品賞受賞作)のトラッキング・ショットは有名です(YouTubeにもあったので貼っておきます)。

 

 

最後に

今回は映画『M』の解説&感想でした。ストーリーも演出も革新的で、見ているうちにどんどん引き込まれていく作品です。映画好きなら、一度見ておいて損はないですよ!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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