人生をもっと楽しく

人生を楽しむ多趣味サラリーマンが楽しいことを発信するブログ

映画『シン・ウルトラマン』解説&感想 原作へのオマージュと再構築

【スポンサーリンク】

どうも、たきじです。

 

今回は映画『シン・ウルトラマン』の解説&感想です。本作は、1966年から1967年にかけて放送されたTV『ウルトラマン』をリブートした作品。総監修・庵野秀明、監督・樋口真嗣による新しいウルトラマンです。

 

 

作品情報

タイトル:シン・ウルトラマン

製作年 :2022年

製作国 :日本

監督  :樋口真嗣

出演  :斎藤工

     長澤まさみ

     有岡大貴

     早見あかり

     田中哲司

     山本耕史

     竹野内豊

     西島秀俊

声の出演:高橋一生

     山寺宏一

     津田健次郎

 上映時間:113分

 

解説&感想(ネタバレあり)

"新"ウルトラマン

本作は、原作であるテレビ版のエピソードや台詞などを一部踏襲しつつも、オリジナルのストーリーで一本の映画にうまくまとめられています。

 

原作の第1話に相当する、神永(原作ではハヤタ)とウルトラマンの融合(最初は伏せられていますが)に始まり、原作の最終話に相当する、神永とウルトラマンの分離で終わります。それだけ聞くと原作のストーリーを一本にまとめたように思われそうですが、後述するように、ウルトラマンが神永と融合した目的も、分離に至る経緯も、原作とは異なっています。

 

決して原作の総集編になることなく、新たに再定義されたウルトラマンと言えるでしょう。

 

現在も続いているウルトラマン・シリーズは、子供向けのヒーローアクションです。一方で本作は、SF要素を多分に含みつつも、リアルな世界観でうまく大人向けの作品に仕上げられています。

 

このような翻案は、クリストファー・ノーラン監督版のバットマン・シリーズ(いわゆる「ダークナイト・トリロジー」)に代表されるように、アメコミ原作の映画では以前からよくやられてきたことです。日本では、庵野秀明が『シン・ゴジラ』や、本作、そして2023年公開の『シン・仮面ライダー』でやっているということでしょう。

 

『シン・ゴジラ』ほどではないにせよ、本作でもストーリーに沿って政府の動きが逐一描かれています。また、それぞれの禍威獣や"ウルトラマン"の命名の過程や、なぜ禍威獣が現れるのかについても、ストーリーを通じてしっかり説明されます。こうした部分が、リアルな世界観を形成するのに一役買っていると思います。

 

再構築されたストーリー

上で述べたように、本作は、原作の要素を一部踏襲しつつ、新しいストーリーで一本の映画にまとめられています。

 

本作では、プロローグでこれまでに6体の禍威獣が現れたことが語られます。そして本編では、禍特対やウルトラマンが対する相手(いわゆる敵キャラ)として、ネロンガ、ガボラ、ザラブ、メフィラス、ゼットンが登場します。

 

敵キャラが多い分、どうしてもストーリー展開が駆け足になる印象は否めませんが、これらの敵キャラはストーリー上で闇雲に羅列されているわけではなく、しっかりと意味を持っています。

 

ネロンガガボラは本作のストーリーにおいて、ウルトラマンの地球への到来と、神永がウルトラマンに変身して戦うのを見せるための敵キャラ。同時に、それらはメフィラスによって目覚めさせられた生物兵器であったことが後に明らかになります。ネロンガは電気を、ガボラは放射性物質を好むという従来からの設定が、人類にとって重要な施設を破壊する生物兵器という本作の設定と合致します。

 

 


ザラブは、未成熟なのに高度な科学力を持つ人類の危険性を踏まえ、これを殲滅しようとします。その上でウルトラマンが邪魔になることから、ザラブは神永を拘束します。そして、自らが偽ウルトラマンとなり破壊活動を行い、ウルトラマンの信頼を失墜させようとするのです。

 

 


このザラブも、メフィラスにとって、外星人に対する人類の無力さを知らしめるための駒に過ぎなかったことが後に明らかになります。

 

つまり、メフィラスが全ての黒幕なのです。ウルトラマンのように人類を巨大化させることが可能なベータシステム。メフィラスは、これによって、生物兵器として有用な人類を独占的に支配することを目論みます。また、奇しくもその有用性を証明したのはウルトラマンなのです。

 

 

と、ここまでもうまくストーリーをつなげるな、と感心しながら見ていたのですが、思わず膝を打ったのは、その後、ウルトラマンの故郷・光の星から来たゾーフィの登場。なんと彼は、人類が生物兵器として利用される前に地球を廃棄処分にするというのです。そして、そのために使用されるのが天体制圧用最終兵器ゼットンなのです。

 

 


ゼットンというと、原作の最終回でウルトラマンが敗北する相手。原作ではゼットン星人が用いる兵器です。まさか本作で、ゼットンまで登場するとは思っていなかったですし、それがこのような位置付けのキャラクターとして登場することは驚きでした。

 

この設定、実は原作の放送当時に「宇宙人ゾーフィがゼットンを操る」という間違った情報が雑誌に載ったことをモチーフにしたのだとか。それでうまくストーリーを構築するのだから大したものですね。

 

原作の"ゾフィー"ではなく、"ゾーフィ"となったのもこの雑誌の記載にちなむようですが、これは少しやり過ぎな気もします。

 

ウルトラマンのヒーロー像

原作において、ウルトラマンはハヤタを死なせてしまった贖罪としてハヤタに命を与え、地球のために戦います。一方、本作では、自分の命を犠牲にして子供を守った神永を見て、ウルトラマンは地球人を理解するために神永と融合します。

 

そんなウルトラマンが、最終的に、自己犠牲をいとわずにゼットンに挑んでいくわけです。

 

最初から正義のヒーローとして地球を守る使命感を持って戦っていた原作に対し、地球人への理解を経て人類のヒーローとして自己犠牲で戦う本作。

 

「ウルトラマン、そんなに人間が好きになったのか」

 

というゾーフィの問いも、響き方がまた違います。

 

さて、そんな正真正銘のヒーローであるウルトラマンですが、本作は、ハリウッドのアメコミ原作の映画に見られるような、ヒーロー映画らしい盛り上がりは控えめな印象です。

 

その理由の一つとして、本作は"群衆の視点"を排除していることが挙げられます。本作は禍特対の視点を軸に描かれ、時に政府の動きの描写はあるものの、群衆(一般市民)の視点は描かれません。

 

ヒーローを見つめる群衆を描くことで、彼らの悲喜が、映画を見る我々の悲喜を刺激して興奮や感動を盛り上げる面も大きいと思います。例えば、ウルトラマンの活躍に熱狂する群衆、(偽)ウルトラマンの破壊活動にショックを受ける群衆、本物の登場に歓喜する群衆などの描写です。

 

しかし、本作にはそのような描写は排除されているので、どうしてもヒーロー映画らしい盛り上がりが欠けてしまいます。

 

また、上記のような描写があると、ウルトラマンのヒーロー像がより確立されると思います。その方が、ウルトラマンがゼットンに敗北してしまうショックも、より強調されると思うのです。

 

もちろん、本作がこのように描いたのは意図的なものでしょうし、ウルトラマン=神永と禍特対にフォーカスしたドラマとしてのまとまりを生む効果を奏しているとは思います。

 

しかし、私には上記のような点で、少し残念にも思えました。

 

原作へのオマージュ

本作は原作へのオマージュが至る所で見られます。

 

私はリアルタイムで原作を見た世代ではないので、映画を観た後で理解したところも多いのですけどね。冒頭のタイトル表示なんかまさにそう。

 

「シン・ゴジラ」と出た後に、それが「シン・ウルトラマン」と変わるわけですが、これは原作の「ウルトラQ」→「ウルトラマン」と変わるタイトル表示へのオマージュだとか。

 

原作の『ウルトラマン』は『ウルトラQ』の続編にあたるのでこの表現の意味がありますが、本作は『シン・ゴジラ』の続編ではないですし、世界観も同じではなさそうですから、個人的にはこの表現は違和感があります。

 

というか劇場で少し混乱してしまいましたよ。「え、何?『シン・ゴジラ』?あれ、なんかゴジラみたいなやつ(ゴメス)出てきたし。え、ディズニーアニメみたいに短編から始まるん?」て感じで、これが本編なのか迷ってしまいました(笑)

 

個人的に良かったのは、ウルトラマンが変身した時のカット。画面奥から手前に向かって、右手を前に突き出したウルトラマンが迫ってくるアレです。

 

序盤から中盤の変身シーンでは使われていなかったので、本作ではやらないのかと思いきや、ゼットンに再度挑むラストバトルの変身シーンで使われていました。ストーリーが最高潮に盛り上がる、ここぞというところでの登場に、鳥肌が立ちました。

 

また、原作の"怪獣"に"禍威獣"の字を当てたり、原作では科学特捜隊の略である"科特隊"に"禍特対"("禍威獣特設対策室"の略)の字を当てたりというのも面白いところ。原作にオマージュを示しつつ、現実路線の本作の世界観に馴染むうまい翻案です。

 

その点で言えばウルトラマンのデザインもそうでしょう。本作のウルトラマンのデザインは、原作でウルトラマンをデザインした成田亨氏の初期コンセプトをベースとしています。すなわち、カラータイマーも目の覗き穴もないのです。

 

カラータイマーはウルトラマンが弱っていることが視覚的に分かりやすいように後で付けられたもの。成田氏は、ロボットじゃないんだから、身体にカラータイマーが付いていてピカピカするのはおかしいと考えていたようです。この考え方は理にかなっているように思います。

 

そもそもウルトラマンのデザインは無駄のないシンプルなデザインですからね。今では見慣れて当たり前に思ってしまいますが、仏像や能面のようなニュアンスを伴った顔の表情や、シンプルかつ美しい全身のフォルムは、かなり革新的なデザインに思えます。

 

この成田氏のデザインをベースとして、本作では着ぐるみではなくCGでウルトラマンの姿を描いています。体の表面が金属のように輝き、デザインの良さがさらに際立って見えます。

 

この点も、原作に最大限の敬意を表しつつ、本作に合わせてうまく翻案している例と言えます。

 

そういえば、こうして様々な形で原作へのオマージュが見られる中で、本作のウルトラマンは「シュワッチ」的な声は全く発しませんでした。まあこれに関しては、本作の世界観では、喋らない方が良いという判断なのでしょう。

 

絶妙なキャスティング

主演の斎藤工さんは素晴らしかったですね。人間を理解しようとする外星人であり、寡黙で知的な役どころに見事にハマっていました。絶妙なキャスティングであったと思います。

 

助演では山本耕史さんが相変わらず上手い!登場シーンからただならぬ雰囲気を醸し出し、人類を翻弄するメフィラスを完璧に演じています。繰り返される「私の好きな言葉です」は、つい真似したくなりますね(笑)

 

それから、声の出演も忘れてはなりません。津田健次郎さん演じるザラブの声はエフェクトも相まって怪しさ満載でした。そして何と言ってもゾーフィを演じた山寺宏一さん。落ち着いたトーンで貫禄たっぷりにゾーフィを演じていました。「そんなに人間が好きになったのか?」が刺さる刺さる。

 

"痛みを知るただ1人であれ"

最後に、米津玄師さんによる主題歌「M八七」について。ウルトラマンの出身地はM78星雲。元の脚本ではM87星雲だったものが、誤植によりM78になったという説があり、これにちなんだタイトルになっています。

 

米津玄師というアーティストの素晴らしさや彼に寄せる期待については過去に記事にしましたが、やはり今回も申し分のない仕事をしています。本作のために書き下ろされた曲とあって、本作のテーマに合った曲になっていますね。

 

"痛みを知るただ1人であれ"って、なんてかっこいいフレーズでしょう。ヒーローの使命感や孤独感が鮮やかに表現された素晴らしいフレーズですね。

 

youtu.be

 

最後に

今回は映画『シン・ウルトラマン』の解説&感想でした。原作にオマージュを捧げつつ、うまくストーリーを構成してまとめ上げていて、大変楽しい作品でした。個人的には2部作か3部作くらいの連作にしても良かったのではないかと思いますね。バルタン星人やジャミラとか、他の怪獣がどう再現されるのか見たいところでした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

多趣味を活かしていろいろ発信しておりますので、興味のあるカテゴリーがございましたら他の記事ものぞいていただけると嬉しいです!

はてなブログの方は、読者登録もお願いします!

 

↓ 他の映画の解説&感想もぜひご覧ください!

 

----この映画が好きな人におすすめ----