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映画『セッション』解説&感想 暴力的なスリルを感じる音楽映画

どうも、たきじです。

 

今回は映画『セッション』の解説&感想です。

 

ラ・ラ・ランド』、『ファースト・マン』のデイミアン・チャゼル監督の出世作。脚本も務めたチャゼル監督は、高校時代にジャズバンドに所属しており、その時の経験が脚本に反映されていると言います。

 

厳しい指導者フレッチャーを演じたJ・K・シモンズが、アカデミー賞を始めとする数々の映画賞で助演男優賞に輝いています。

 

作品情報

タイトル:セッション

原題  :Whiplash

製作年 :2014年

製作国 :アメリカ

監督  :デイミアン・チャゼル

出演  :マイルズ・テラー

     J・K・シモンズ

     ポール・ライザー

     メリッサ・ブノワ

 上映時間:106分

 

解説&感想(ネタバレあり)

ストーリーは驚くほど単線。主役はニーマン(マイルズ・テラー)。相手はフレッチャー(J・K・シモンズ)。この2人の関係が軸です。父親や彼女とのエピソードが少々ありますが、それらが大して掘り下げられることはありません。バンドメンバーとの関係など、ほとんど描かれていません。ニーマンとフレッチャー、映画はこの2人にのみフォーカスします。


フレッチャーの行き過ぎた指導に耐えながら、ドラムを叩くニーマン。バンドはもちろんスポーツではありませんが、本作はスポ根と呼んでもまったく違和感のない映画です。


言うまでもなくJ・K・シモンズは素晴らしいです。彼はファースト・シーンからものすごい緊張感を醸し出します。休憩中に優しげに話しかけてきて、ニーマンの家族のことを聞いてきたかと思えば、練習ではそれをネタに煽るなんて、もはや鬼畜の所業。精神的に追い詰めていく彼の指導は、見ていてぞっとします。


やがてニーマンは追い詰められてフレッチャーに殴りかかり退学。フレッチャーはその行き過ぎた指導がニーマンに密告され指導者の座を追われます。


時を経て再開した2人は和解したかに見え、ジャズ・フェスでの演奏に臨みますが、それはフレッチャーのニーマンに対する復讐。ニーマンは大舞台で準備していない曲を演奏することになり恥をかかされます。


一度はステージを立ち去ったニーマンが引き返して再び演奏に挑むクライマックスは、淡々と、それでいて深く深く観客の心を揺さぶります。


私怨のぶつかり合いが極まるステージ。これは音楽なのか?もはや2人の戦闘に見えます。音楽映画で、こんな暴力的とも言えるスリルが味わえるなんて。


指揮を務めるフレッチャーから主導権を奪うニーマン。渋々指揮を合わせるフレッチャー。


ニーマンの激しいドラムソロ。


歩み寄るフレッチャー。


私怨はもはや姿を隠し、


2人だけのセッション。


圧倒的。

 

 

最後に

今回は映画『セッション』の解説&感想でした。とにかくクライマックスの興奮は凄まじいものがあります。音楽映画であることを忘れてしまうほどのスリルでした。


ちなみに原題の"Whiplush"とはムチで打つこと。作中で演奏される曲名でもありますし、ムチ打ち症の意味もあります。まさに本作のタイトルに相応しいものですが、これをそのまま邦題にしてもなかなか伝わりにくいです。


そこで本作では違う切り口で"セッション"と付けられています。原題とは違う意味の邦題を付けると、イマイチなことが多いですが、個人的にはこの邦題はなかなか本作にハマっていると思います。

 

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★デイミアン・チャゼル監督作品の解説&感想

映画『雨に唄えば』解説&感想 ポジティブな空気感に満たされたミュージカル映画

どうも、たきじです。

 

今回は映画『雨に唄えば』の解説&感想です。

 

『雨に唄えば』は1952年公開の、ミュージカル映画を代表する作品です。AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)が2006年に選出した、アメリカの歴代のミュージカル映画のランキングで1位に選出されるなど、史上最高のミュージカル映画と称されることも多い作品です。


意外と知られていないことですが、本作で使われている楽曲はほとんどが既存の曲。『ハリウッド・レヴィユー』(1929年)で歌われたタイトル曲を含め、過去のMGM作品で使われた曲が集められています。

 

作品情報

タイトル:雨に唄えば

原題  :Singin' in the Rain

製作年 :1952年

製作国 :アメリカ

監督  :ジーン・ケリー
     スタンリー・ドーネン

出演  :ジーン・ケリー

     デビー・レイノルズ

     ドナルド・オコナー

 上映時間:103分

 

解説&感想(ネタバレあり)

とにかくポジティブなミュージカルシーン

本作は、とにかくポジティブな空気感に満たされていることが魅力です。


それが画面から目いっぱい溢れ出てくるのが、やはりタイトル曲"Singin' in the Rain"のシーンでしょう。このシーンのポジティブな空気感は、他のどの映画のどのシーンにも負けることはないと言えます。


歌自体がとてもいいこともありますが、ドンを演じるジーン・ケリーのパフォーマンス無しには、ここまで素晴らしいシーンにはならなかったでしょう。このシーン、一体何テイク撮影したんでしょうね。歌、ダンス、表情、すべてが完璧に見えます。


雨というのは困難や逆境の象徴であって、その中で笑顔で歌うということはそれに立ち向かう前向きさ。本作を初めて見た後の感動は尾を引いて、しばらくは急な雨に降られてもそれを楽しむ自分がいました。


本作で、個人的に一番好きなのはコズモを演じるドナルド・オコナーによる"Make 'Em Laugh"のパフォーマンス。本当に楽しくて、人間離れした動きに圧倒されて、何度も何度も見てしまいます。落ち込んだ時に元気にしてくれる曲です。


この曲は本作のオリジナル曲ですが、『踊る海賊』(1948年)で歌われる"Be a Clown"にそっくり。パクったわけではなく意図的にアレンジしたものでしょうね。『踊る海賊』も本作と同じMGM映画ですし、"Be a Clown"を歌っているのはジーン・ケリーですから。こちらもすごいパフォーマンスを見せてくれますので、"Make 'Em Laugh"が好きな方にはおすすめです。


あとは、"Singin' in the Rain"の前に歌われる"Good Morning"。ドン、コズモ、キャシー(デビー・レイノルズ)の3人が、撮影中の映画『闘う騎士』をミュージカル映画に作り替える妙案を思いついて盛り上がります。気づけば日付は変わり、時刻は深夜1時半。外は雨ながらも、「なんて清々しい朝!」と楽しく歌い始めます。この曲もポジティブさが全面に出ていますし、ハイテンションで歌って踊る3人を堪能できる贅沢な曲です。


その後ドンを見送り戸口に立つキャシーが、「今夜は夜露が重いようだから」と言ってます。


"今夜"って言っちゃってますね(笑)

 


劇中劇はちょっと退屈

さて、このように、既存の名曲をストーリーにうまく乗せることで、ぐっと映画に引き込まれるわけですが、劇中劇のシーンはどうしてもストーリーとは切り離されるのでやや退屈に感じてしまいます。


特にシド・チャリシーが登場する『ブロードウェイ・メロディー』のくだりは長すぎです。このシークエンスはなんと13分もあります。映画本編のストーリー進行が13分も止まるわけですから、どうしてもじれったく感じてしまいます。


いや、それぞれのシーン自体は素晴らしいんですよ。でも、ストーリー抜きに素晴らしいミュージカルのパフォーマンスを見るなら、『ザッツ・エンタテインメント』(MGMミュージカルのアンソロジー映画)に勝るものはありません。


サイレントからトーキーへ

本作は、映画がサイレントからトーキーへと移っていった1920年代が舞台。そんな時代背景ならではのユーモアが満載なのも楽しいところです。


サイレント映画は声は録音されませんから、役者同士が表情で演技をしつつ口では喧嘩していたり、技術スタッフが録音という慣れない作業に四苦八苦したりと、そんな様子には笑ってしまいます。

 

演者の顔の向きによって音がマイクでうまく拾えないとか、衣装の擦れによって雑音が入るとか、音と映像がズレるとか、当時のあるあるネタかもしれませんね。試写会での「Yes, yes, yes!」「No, no, no!」のところは傑作でした。


それから、興味深かったのは、序盤でのドンとキャシーの会話。キャシーは、舞台役者と違って映画俳優は声を出さないことを取り上げてドンを煽ります。

 

今では舞台と映画の違いというのはメディアの違い(およびそれに起因する演出の違い)に過ぎないですが、当時は声の有無という明確な表現の違いがあったんですよね。当たり前のことですが、少しハッとしました。

 

映像のみの映画、声のみのラジオ、すべてをありのままに届ける舞台演劇。当時はそうだったわけで、トーキーの出現が当時の舞台演劇にとって大きな脅威だったことが想像できます。

 

最後に

今回は映画『雨に唄えば』の解説&感想でした。

 

とにかくポジティブな空気感が魅力の、素晴らしいミュージカル映画です。個人的には一番好きなミュージカル映画でこそないですが、世間的に史上最高のミュージカル映画と言われても異論はない、そんな作品です。


ひたすらポジティブな本作にあって少し引っかかるのは、本作で悪役の立ち位置のリナ(ジーン・ヘイゲン)がラストで容赦なく辱められることですかね。嫌な女ではあるけれど、あの声に愛嬌があるせいか、ちょっと可哀想になってしまうんですよね(笑)

 

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映画『トゥルーマン・ショー』解説&感想 秀逸な脚本とジム・キャリーの熱演で魅せる感動のコメディ映画

どうも、たきじです。

 

今回は映画『トゥルーマン・ショー』の解説&感想です。

 

ジム・キャリー主演で送る感動のコメディ映画。ゴールデングローブ賞ではジム・キャリーが主演男優賞、エド・ハリスが助演男優賞を受賞しています。

 

作品情報

タイトル:トゥルーマン・ショー

原題  :The Truman Show

製作年 :1998年

製作国 :アメリカ

監督  :ピーター・ウィアー

出演  :ジム・キャリー

     ローラ・リニー

     ノア・エメリッヒ

     ナターシャ・マケルホーン

     ホランド・テイラー

     エド・ハリス

上映時間:103分

 

解説&感想(ネタバレあり)

本作の1番の魅力は、秀逸な脚本にあります。


トゥルーマン(ジム・キャリー)という1人の男の生活を、"トゥルーマン・ショー"というテレビ番組として24時間生中継し続ける。巨大なドームの中に世界を創り、トゥルーマン以外の人間はすべて俳優が演じている。トゥルーマンは少しずつ世界の"異常"に気付いていき、自分の人生を求めていく。


まずこのプロットが面白いですが、本作の脚本はそれに留まらず、しっかりと肉付けされています。


例えば設定の作り込み。"トゥルーマン・ショー"はCMのない24時間放送ですから、スポンサーの商品はトゥルーマンやその周りの人間が生活の中で愛用することで宣伝されます。トゥルーマンの奥さん(ローラ・リニー)が急にわざとらしく商品を褒める様子には笑ってしまいます。


また、例えばトゥルーマンが"異常"に気付いていく過程。空から照明が降ってきたり、死んだはずの父親らしき人物に遭遇したり、エレベーターの奥にある"舞台裏"を目撃したり。その度に、番組制作者側が、うまく誤魔化すための嘘のニュースを流すなどしてリカバーするのが面白いです。


そして、作品をドラマチックにしているのは、彼が想いを寄せるローレン(ナターシャ・マケルホーン)の存在でしょう。トゥルーマンが学生時代に出会い、別の女性と結婚してもなお忘れられずにいる女性です。


雑誌の切り抜きをコラージュして彼女への想いを馳せ、彼女がいる(と思っている)フィジーを目指すトゥルーマンと、外の世界からテレビ画面を通して彼を見守るローレン。そこが描かれているからこそ、終盤の"脱出劇"の感動が増しているのは間違いないでしょう。


本作は、映画が終盤に差し掛かるところで、ようやくプロデューサーのクリストフ(エド・ハリス)を始めとするスタッフ側の視点を見せます。ここで、ネタバラシ的にトゥルーマンの世界の仕組みを明らかにし、クライマックスへとストーリーが大きく動き出す構成になっています。


偽物の人生から脱出しようともがくトゥルーマンを、多数の視聴者が見守ります。トゥルーマンが脱出するということは、番組の終了を意味しますが、それにもかかわらず彼らがトゥルーマンを応援する姿は感動的です。


最後には、外の世界に出ようとするトゥルーマンに対し、クリストフがマイクで声をかけ、彼を説得しようとします。それに対するトゥルーマンの台詞、


「会えない時のために…、こんにちは、こんばんは、お休み。」


作中で繰り返し使われたこの台詞は、トゥルーマンの陽気な性格を表すものでしたが、今なお彼を番組に縛り付けようとするクリストフへのアンサーとして、ここぞというタイミングで使われます。


そして、この台詞と共にトゥルーマンが見せる表情。喜劇俳優ジム・キャリーが魅せる含みのある笑顔に痺れます。


さて、この"トゥルーマン・ショー"というリアリティ番組は、1人の人間の人権を完全に侵害しています。他者のプライバシーに踏み込み視聴者の関心を集めようとするマスコミの風刺が込められていますが、この番組を取り仕切るクリストフが"マスコミ嫌い"であるというのも皮肉が効いています。


また、マスコミのそうした行動を呼んでいるのは、本作の中にも描かれるように、他ならぬ"視聴者"です。彼らは、トゥルーマンの"脱出劇"に歓喜しつつも、放送が打ち切られて画面が砂嵐になった途端に次の番組を探し始めます。低俗な"ショー"を消費していく視聴者を風刺した、少しドキッとするラストでした。

 

 

最後に

今回は映画『トゥルーマン・ショー』の解説&感想でした。

 

素晴らしい脚本とジム・キャリーの熱演が光る名作ですね。ジム・キャリーはアカデミー賞の前哨戦とも言われるゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞したにも関わらず、アカデミー賞ではノミネートすらされず。喜劇俳優やアイドル系の俳優に冷ややかだったアカデミー賞なのでした…

 

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映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』感想 愛のあるツッコミレビュー

どうも、たきじです。

 

今回は、映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の感想です。漫画『ドラゴンボール』の劇場版としては第19作にあたり、第2期の第2作にあたります。この後、『ドラゴンボール超』が始まったため、『ドラゴンボールZ』の劇場版としては最後の作品となります。

 

前作に引き続き、映画としてはあまり褒められた出来ではないですが、ツッコミを入れつつ(?)楽しく見られる作品です。愛のあるツッコミレビューということでお楽しみ下さい(笑)

 

↓ 前作の感想はこちら

 

作品情報

タイトル:ドラゴンボールZ 復活の「F」

製作年 :2015年

製作国 :日本

監督  :山室直儀

声の出演:野沢雅子

     鶴ひろみ

     堀川りょう

     田中真弓

     古川登志夫

     山寺宏一

     中尾隆聖

上映時間:94分

 

感想(ネタバレあり)

本作はドラゴンボールの敵キャラの中でも屈指の人気を誇るフリーザというキャラクターをフィーチャーした作品。フリーザの魅力に頼りすぎで、ストーリー的には何も魅力がありません(笑)ツッコミを入れて楽しんでみるのが正解でしょう。


ということで、ツッコんでいきます。


復活の「F」?

本作のサブタイトルの「F」。もちろんフリーザを指してるけど、あえてこのような表現を使う意味が何もない!鳥山明がマキシマムザホルモンの楽曲「F」を気に入ったから?知らんがな!


この曲もフリーザ復活のシーンに使ってるけど作品に全然馴染んで無い!(バトルシーンで流れるインストの方はまだいいが…)好みを作品に盛り込むのはいいけど、作品を歪めちゃダメでしょう。フリーザじゃなくてメタルクウラの映画なら馴染んだかもね。メタルだけに(小声)


ソルベって何者?

フリーザ亡き後のフリーザ軍の残党のリーダーとして本作に登場するのがソルベというキャラクター。なぜこいつがリーダーになれたのか、説得力がまるでない!人望がありそうなキャラではないし、おそらく強いわけでもないでしょう。光線銃が強いから?それなら、それを量産しろ!


コルド大王の扱い…

ソルベ達がドラゴンボールで生き返らせるのはフリーザだけで、コルド大王は二の次。フリーザ世代の構成員にとって、コルド大王はもはや過去の人扱いなのか!?ソルベには"パパフリーザ"なんて言われてるし。まあ、これは"コルド大王"って言っても観客に伝わりづらいからだろうな…

 


ジャコって誰やねん!

『ドラゴンボール』と世界を共有する漫画『銀河パトロール ジャコ』の主人公ジャコが登場。『ドラゴンボール』は大好きだけど、『ジャコ』は未読なので、唐突な新キャラの登場には、「誰やねん!」て感じ。アニメ『ドラゴンボール超』にも登場するので、今ではすっかり慣れたけど…


悟飯なんでジャージなん?

道着が見つからなかったとか言って緑のジャージで戦いにやってくる悟飯…。ピッコロに服を出してもらうとか、グレートサイヤマンの衣装着るとか、他にあるやろ!


映画の"お約束"は?

本作は前作とは違って、悟空やベジータ以外のキャラにも戦闘シーンがそれなりに用意されています。であれば、本作こそ第1期の映画での"お約束"をやるチャンスだったのではないか?


みんなが順調に敵を倒す中でクリリンだけやられて「なんで俺だけ」のくだりとか、悟飯のピンチにピッコロがカッコよく登場して活躍する(その後やられる)くだりとか。


 ピッコロ: いやな予感がする


ってスター・ウォーズのお約束の台詞やっとる場合か!

 


力関係どうなってんの?

各キャラの力関係の設定がめちゃくちゃ。(これを言い出したらドラゴンボール超は全否定になってしまうか…)


ピッコロ大魔王に遠く及ばないレベルの亀仙人がフリーザ軍と同等に闘うのはおかしいやろ!


過去のフリーザより断然強いはずのピッコロがシサミに苦戦するのはどうなのよ!もしかしてシサミって、復活したてのフリーザなら一撃で倒せたんじゃ…


上にも書いたけど悟空がソルベの光線銃でやられるってどうなのよ!それならフリーザも一撃で倒せるやん!


本当に危機感があるなら、悟天もトランクスも18号もブウも連れてこようよ!(脚本的にごちゃつくのは分かってますよ)


あとどうでもいいけど、天津飯、気功砲、簡単に使うね…


仙豆のご利用は計画的に…

雑魚キャラ相手に闘って、ちょっと疲れたくらいでみんなで揃って仙豆タイム。いや学習して!いつも仙豆足りなくなってるやろ!案の定「あと一粒だ」なんて言っちゃって…


みんなの気を感じてあげて

悟空に気を感じさせて瞬間移動して来てもらうために、気を上げる地球の悟飯達。でも悟空が捉えたのはフリーザの気(少なくともそう見える演出)。いや、みんなの気を感じてあげて!

 


ゴールデンフリーザって…

第1〜3形態の白・紫・ピンク、最終形態の白・紫。フリーザを象徴する色合いはシンプルで洗練されています。それに対してゴールデンフリーザの色合いの残念なこと…。百歩譲って金色を使うにしても、紫と合わせないでほしいですね。鳥山先生どうしちゃったの…


しかも「分かりやすく金色にしてみました」ってなんやねん!

 

「してみました」って?選べるん?


「ゴールデンフリーザとでもいいましょうか」


ファンが通称で呼ぶならまだしも、自分で名乗るな!


時間を戻すって…

時間を戻すって、基本的には禁じ手だと思うんです。それをクライマックスでやるなら、丁寧に伏線を張っておかないと。「ウイスは時間を戻す能力がある」ことを示すシーンはありますが、このシーン(台詞)自体がストーリー上で意味がないものなので、伏線としてもとても弱い、取ってつけたようなものになってしまっています。

 

 

最後に

今回は、映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の感想でした。非常にツッコミどころの多い作品で、映画としては褒められたものではないですが楽しく見させてもらいました。

 

まあ結論として、1番の見どころはクリリンの携帯の着信音が、ワンピースの主題歌『ウィーアー!』であるところでした(クリリンの声優はルフィと同じ田中真弓さん)。


なんて、冗談(笑)


戦闘シーン自体はとても迫力があって素晴らしかったですよ。

 

劇場版の第2期としては、本作の後、『ブロリー 』、『スーパーヒーロー』と続きます。

 

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★ドラゴンボール劇場版の解説&感想

映画『ドラゴンボールZ 神と神』解説&感想 愛のある辛口レビュー

どうも、たきじです。

 

今回は、映画『ドラゴンボールZ 神と神』の解説&感想です。漫画『ドラゴンボール』の劇場版としては第18作にあたり、第2期の最初の作品です(詳しくは後述)。

 

今回はネガティブな感想となりますが、愛のある辛口レビューということで、ご容赦ください。

 

作品情報

タイトル:ドラゴンボールZ 神と神

製作年 :2013年

製作国 :日本

監督  :細田雅弘

声の出演:野沢雅子

     鶴ひろみ

     堀川りょう

     田中真弓

     皆口裕子

     古川登志夫

     山寺宏一

上映時間:85分

 

劇場版ドラゴンボールと本作の位置付け

漫画『ドラゴンボール』の劇場版は、『ドラゴンボール』、『ドラゴンボールZ』としてTVアニメシリーズが放送されていた頃(1986〜1996年)に17作が公開されました。これらを第1期とすると、それから17年を経て公開された本作は第2期と言えます。つまり本作は第2期の第1作にあたります。


ドラゴンボールの劇場版は、原作との関係性という観点で、3つのタイプに大別されます。


①原作のストーリーを、キャラクターや設定を変えて再構成したもの

(『神龍の伝説』『魔神城の眠り姫』など)

 

②劇場版のオリジナルストーリーで、原作のストーリーとは矛盾が生じるもの

(『超サイヤ人だ孫悟空』、『極限バトル!!三大超サイヤ人』など)

 

③劇場版のオリジナルストーリーで、原作のストーリーと矛盾が生じないもの

(『銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴』、『龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる』など)


①②は原作のパラレルワールド、③は原作のストーリーに挿入可能な内容となります(正史と捉えるかどうかは別として)。


本作は③に該当し、原作で悟空が魔人ブウを倒した後のストーリーとなっています。


本作はTVアニメシリーズの『ドラゴンボールZ』の劇場版という位置付けですが、後に『Z』の続編とも言えるTVアニメシリーズ『ドラゴンボール超』の1エピソードとしてリメイクされています。

 

 

解説&感想(ネタバレあり)

前置き

第1期の劇場版作品は、他のアニメの劇場版などと同時上映されており、上映時間は40〜60分程度の中編作品でした。上映形態からして、ターゲットは基本的には子供だったと言えます。

 

翻って本作に始まる第2期は、単独上映の長編作品。原作漫画やTVアニメシリーズをリアルタイムで楽しんできた世代は30〜40代になっているので、メインターゲットも大人であると言えるでしょう。


原作者の鳥山明先生が脚本に関わったこともあり、当然、1本の映画作品としてのクオリティへの期待は高まっていました。しかし残念ながら、本作は第1期と同様、子供向けに作られたようなクオリティに終わっていると、私には見えました。


上述のように、本作は『ドラゴンボール超』としてTVアニメシリーズとしてリメイクされています。『超』は約3年の放送を経て2018年に完結しており、私も(色々とツッコミを入れつつ)最後まで楽しませていただきました。


『ドラゴンボール超』を楽しむ中で、本作での新しいキャラクターや設定、ストーリーについても、次第に受け入れるようになりましたが、本作を見た時点では受け入れ難いことも多々ありました。


前置きが長くなりましたが、ここでは、『ドラゴンボール』ファン、かつ映画ファンとして、愛のある辛口レビューをしたためたいと思います。

 

 

悪かった点

①破壊神の設定

今回、悟空達が闘う敵キャラとして、破壊神ビルスと付き人のウイスが登場します。


この破壊神という存在は、本作で初めて登場します。星や生命を破壊する神として、界王神達もその存在を認めており、彼らはビルスの目覚めにやきもきしています。


ここで疑問なのは、ビルスが界王神達に、なぜ神として敬意を持たれているかということ(界王神達はビルスの居ないところでも「様」付けで呼んでいます)。


ビルスは合理的な理由なく気まぐれで破壊しているように見えます。破壊と殺戮を楽しむバビディと何が違うのでしょうか?


また、原作ファンとしてショックなのは、フリーザによる惑星ベジータの破壊がビルスによって命じられたことになっていること。


原作のフリーザ編で、フリーザにやられて瀕死のベジータが、涙ながらに悟空に想いを伝える名シーンがあります。


「フリーザをたおしてくれ、たのむ…、サイヤ人の…手で…」


これは、フリーザにいいように使われた挙句に、故郷の星を破壊された無念からの台詞です。この場面が、これに続く悟空vsフリーザの闘いを盛り上げます。


しかし、惑星ベジータの破壊がビルスによって命じられたものだとすると、この場面の見え方が少しブレてしまいます。このように原作を破壊するような新設定はやめて欲しいです。


②ビルスのデザイン

今では見慣れてしまいましたが、ビルスのキャラクターデザインもあまり気に入りません。コーニッシュレックスという品種の猫をモチーフにしており、あえてこれまでのキャラクターとは違うデザインにしたとも聞きます。

 

鳥山先生としては、描き飽きたような"鳥山明風"キャラを避けたかったのでしょう。その気持ちも分かりますが、久々のドラゴンボール映画の新キャラクターですから、ファンとしてはやはり"鳥山明風"を求めてしまいます。


③危機感の欠如

本作では、ビルスが地球を破壊すると言い出し、それを防ぐために闘うというのが軸になります。しかしながら、ビルスは冒頭の登場シーンやブルマの誕生パーティーのシーンでコミカルなやりとりを見せているので、敵キャラとしての怖さは中和されてしまっています。

 

必死にビルスの機嫌を取るベジータに対して、悟空は余裕をかましている(実際には余裕はない)のも相まって、手に汗握るような危機感がありません。


④戦闘力のインフレ

『ドラゴンボール』は原作において、常に戦闘力のインフレを繰り返してきました。


ピッコロを倒したら、さらに強いラディッツが現れ、ラディッツを倒したら、さらに強いベジータが現れ、その後もフリーザ、人造人間、セル、魔人ブウといった具合に、敵はどんどん強くなります。それに伴い、悟空はどんどん強くなっていきます。そしてかつての仲間や強敵は、ベジータのような例外を除いて雑魚キャラ化していくのです。


こうしたインフレ自体を否定するつもりはないですが、あまりにもそれが繰り返されると辟易してしまいます。


とりわけ本作においては、スーパーサイヤ人3の悟空でもビルスの手刀一発でやられてしまうという、極端な戦闘力のインフレを冒頭で見せられます。


これでは、他のキャラとビルスの戦闘への興味も薄れてしまいますし、修行や戦い方の工夫で倒せるという期待もなくなってしまいます。結果、「スーパーサイヤ人ゴッド」なる"飛び道具"に頼るしかなくなってしまうのです。

 


⑤スーパーサイヤ人ゴッドの設定

スーパーサイヤ人ゴッドという新設定。これは私が子供の時に出会っていたとしたら、もしかしたらすんなり受け入れられたのかもしれません。ただ、大人になった今、唐突にこのような新設定が出くわすと、極めて幼稚な設定に感じられて興醒めしてしまいます。


しかもその誕生の仕方が、「5つの正しい心を持つサイヤ人が手を携え、もう1つの正しいサイヤ人の心に光注き込む」というのがまた幼稚な設定です。


正しい心のサイヤ人が1人足りない!

 ↓

ビーデルのお腹の中にいる!


これをやりたかっただけでしょうね。


そもそも、地球の神(デンデ)が作り出したに過ぎない神龍が、「スーパーサイヤ人ゴッドの作り方」を知っているのも納得がいきません。

 

さらに不満なのは、悟空が神龍を呼び出すシーンでのクリリンの台詞です。


「そうか!神龍に地球の破壊をやめさせてもらう気か!」


クリリンはそんなことは無理だと知っていると思います!クリリンはそんなこと言わない!


⑥戦闘の結末

本作で、悟空は結局ビルスには敵わず降参して終わります。この結末自体は否定しませんが、映画のクライマックスで描くべきものは不足していると感じます。


ビルスの放ったでかいエネルギー弾をなんか知らんけど消滅させたことと、ビルスが悟空の強さを認めたことが、一応のクライマックスなのでしょうが、ちょっと弱くないでしょうか?


戦い方の工夫や仲間の助けなどによって、少なくともビルスに一泡吹かせる「何か」は必要だったのではないでしょうか?

 

悟空以外のキャラに戦闘での見せ場がほとんどないのは寂しいですね。


⑦エンドロール

本作のエンドロールでは原作漫画がペラペラめくられる映像で名シーンが懐古される形になっています。


久々の劇場版だし、ドラゴンボール好きに受けるだろうと思ったのでしょう。これをやりたい気持ちは分かるし、喜んだ人もいるかもしれません。


でも、本作との直接のつながりはない演出ですよね。これは思いとどまった方が良かったと思います。


あと、時々出てくる大きいコマのチョイスも微妙。特に名シーンではないのが結構混じっている割に、各編での重要なシーンは抜けていることもあります。オリジナルコミックスじゃなくて完全版ベースなのも不満です。


⑧カメオ出演

フジテレビの軽部アナが寿司職人の役で、柔道の金メダリストの松本薫さんが警察官の役で、それぞれカメオ出演しています(いずれも本人に似せた作画)。


この2人がなぜドラゴンボールの映画にカメオ出演するのか謎です。いったい誰を喜ばせるための出演なんでしょう。


一応断っておくと、私は松本薫さんのことは好きです(軽部アナに関しては、特に興味がありません)。

 

 

良かった点

批判ばかりも何なので、最後に良かった点も2点挙げておきます。


①コメディパート

ブルマの誕生パーティーのシーンは笑いどころ満載で結構楽しめました。

 

『ドラゴンボール』初期の敵キャラだったピラフ一味をうまく使っていて、コメディ漫画だった連載初期の空気感を感じられるのが良いですね。子供の頃の悟空にそっくりの悟天の顔を見て恐れおののくシーンなんか傑作でした。

 

グレートサイヤマンになった悟飯が躍動するのも笑えます。弾いた銃弾がビルスに直撃しているのは吹き出してしまいました(笑)


一方で、ベジータを道化役にしてしまったのはあまり好感が持てません。まあ、面白いんですけど、これまでに築き上げたキャラクターは守ってほしいところです。「よくも俺のブルマを!」は狙い過ぎで少し寒いです(笑)


②戦闘シーン

作品全体に結構CGが使われていて、違和感を覚えるシーンも少なくなかったですが、戦闘シーンの背景にCGを用いているのはなかなか気に入りました。


それまでのアニメとは違う見せ方で、迫力ある戦闘シーンになっていたと思います。この点に関しては、この時代にまたドラゴンボールの劇場版をやる意味が感じられました。

 

 

最後に

今回は、映画『ドラゴンボールZ 神と神』の解説&感想でした。

 

『ドラゴンボール』ファン、かつ映画ファンだからこそ、気になってしまう点は多く、辛口レビューになってしまいました。ただ、上でも述べたように、『ドラゴンボール超』を通じて、設定面に関しては今では受け入れています。

 

劇場版の第2期としては、本作の後、『復活のF』、『ブロリー 』、『スーパーヒーロー』と続きます。

 

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★ドラゴンボール劇場版の解説&感想

映画『鳥』解説&感想 ヒッチコックのサスペンス演出が冴え渡る

どうも、たきじです。

 

今回は映画『鳥』の解説&感想です。

 

1963年公開のアメリカ映画で、アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作の一つ。個人的には彼の作品の中では特別好きな作品ではないですが、ヒッチコック演出の素晴らしさは如実に表れた作品だと思います。

 

作品情報

タイトル:

原題  :The Birds

製作年 :1963年

製作国 :アメリカ

監督  :アルフレッド・ヒッチコック

出演  :ロッド・テイラー

     ジェシカ・タンディ

     スザンヌ・プレシェット

     ティッピ・ヘドレン

 上映時間:119分

 

解説&感想(ネタバレあり)

大したストーリーはなく、明確なオチはない。されど、ヒッチコック監督による一流のサスペンス演出が終始観客を引っ張り、見終わった後に十分な満足感が得られる作品になっています。

 

まず、序盤から鳥達の奇妙な行動を少しずつ見せて不安を煽る演出が見事。鳥達がやけに群れていたり、餌を食べなくなったり、ドアに当たって死んでいたり。これがなんとも言えない不気味な雰囲気を醸し出し、後半に向けて観客の期待を高めていきます。


そして、鳥が人を襲い始めてからの恐怖演出。


その究極は、ジャングルジムにカラスが群れるシーンでしょう。


ベンチに腰掛けてタバコを吸うメラニーの後ろのジャングルジムに、1羽のカラスが止まります。次のカットでは4羽、次は5羽と、カットの度にカラスが増えていきます。


そしてメラニーが空を飛ぶカラスに気付き、そのカラスを目で追うと、カラスはジャングルジムに止まります。そこには数え切れないほどのカラスが止まっており、メラニーは驚愕する、というシーンです。


4羽、5羽と増えていく段階では、観客だけがカラスに気付いており、「メラニー、後ろ!」と、観客をやきもきさせます。そして、メラニーがカラスを目で追う段階では、メラニーの驚きを観客にも同時に体験させます。このシーンを初めて見た時は、メラニーより私の方が驚いていたと思います(笑)


本作はBGMを使わず、鳥の鳴き声と羽音の効果音だけで恐怖を演出しているところもすごいところですが、このシーンでは反対に、鳥達は音を潜め、子供達の合唱だけが響き渡っています。これがまたなんとも不気味な雰囲気を高めています。

 


食堂の外で鳥達が人々を襲うシーンも見どころ。マッチの火がガソリンに引火して車が爆発するあたりからの一連のパニック描写は圧巻です。


地上のパニックを俯瞰するカモメの群れ。電話ボックスに閉じ込められるメラニー。鳥に襲われクラッシュする車。乗り手を失い暴走する馬車。助けを求める血まみれの男。ガラスを破ってメラニーを襲わんとするカモメ。この畳み掛けの凄まじいこと!

 

本作で、なぜ鳥達が人間を襲うのかは描かれません。鳥達が人間を襲う理由は、一種のマクガフィンのようなもので、本作においてはどうでもいいこと。鳥達が人間を襲う恐怖を描くことが本作の主題ということです。むしろ理由が分からないからこそ恐怖が増幅する面もあるかもしれませんね。


ところで、本作の鳥の群れは、調教された鳥、模型、合成、アニメーションなど、当時の技術を駆使して撮られているそうです。もちろん現代の技術には大きく見劣りしますが、1963年当時に、ここまでのものが撮れたことには感嘆します。

 

 

最後に

今回は映画『鳥』の解説&感想でした。

 

ヒッチコック演出の素晴らしさを堪能できる、サスペンス映画の名作。サスペンス好きなら一度は見ることをお勧めしたい作品です。


なお、ヒッチコック作品では、必ずと言っていいほどヒッチコック監督がカメオ出演します。本作では、冒頭にペットショップから2匹の犬を連れて出てくるヒッチコックを見ることができます。

 

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★アルフレッド・ヒッチコック監督作品の解説&感想

映画『カイロの紫のバラ』解説&感想 映画の素晴らしさが溢れたロマンティック・コメディ

どうも、たきじです。

 

今回は映画『カイロの紫のバラ』の解説&感想です。

 

本作は1985年公開のアメリカ映画で、ウディ・アレン監督の代表作の1つです。映画のスクリーンから飛び出してきたキャラクターと恋に落ちるという、ファンタジーなロマンティック・コメディ。個人的にはアレン作品の中ではダントツで好きな作品です。

作品情報

タイトル:カイロの紫のバラ

原題  :The Purple Rose of Cairo

製作年 :1985年

製作国 :アメリカ

監督  :ウディ・アレン

出演  :ミア・ファロー

     ジェフ・ダニエルズ

     ダニー・アイエロ

 上映時間:84分

 

解説&感想(ネタバレあり)

人物がスクリーンの中に入っていくというアイデアは1924年の『キートンの探偵学入門』で、バスター・キートンがやったのが最初だと思いますが、それとは反対にスクリーンから飛び出してくるのが本作です。

 

一見とんでもない設定ですが、アレン流のユーモアで見事な脚本にまとめあげられています。


なぜトム・バクスターというキャラクターがスクリーンから出てこられたのか、説明なんてありません。本作において、そんなことはどうでもいいのです。本作の登場人物達も、驚きつつも何となくこの現象を受け入れています。

 

トムがスクリーンから飛び出したことで、スクリーンに残されたキャラクターが困惑する様子はユーモアたっぷり。やがてはスクリーンの中のキャラクターとスクリーンの外の人物が会話までしてしまいます。


個人的に好きなのは、現実と映画の世界のギャップをネタにしたユーモア。現実世界では、鍵がないと車は動きませんし、キスした後にフェードアウトはしません。映画の世界のトムはこれに戸惑います。反対に、映画の世界ではシャンパンがジンジャーエールだというのも笑ってしまいます。


また、本作は単に映画の中のキャラクターと現実世界の女性が恋に落ちるというだけでなく、トムを演じた役者ギル・シェパード本人が登場して三角関係になったり、トムがセシリアを連れてスクリーンに戻ったりします。そうしたストーリー展開の広がりも素晴らしいです。


そして何と言っても本作で強く記憶に残るのはラストシーンです。


映画の世界のトムと、現実世界のギルの間で揺れたセシリアは、最終的にはギルを選び、共にハリウッドに行くことを決意します。が、ギルが待つはずの映画館をセシリアが訪れると、ギルはすでに去っており、彼女は裏切られたことに気付きます。


呆然としたセシリアが映画館に入り、ふらふらと席に着きます。やがてスクリーンに目をやると、そこではフレッド・アステアが"Cheek to Cheek(頬よせて)"を歌いながら、ジンジャー・ロジャースとダンスしています。セシリアはそのままスクリーンに釘付けになり、やがて恍惚の表情を浮かべます。


映画の素晴らしさが溢れたこのラストシーンは、映画好きなら誰もがシンパシーを感じるのではないでしょうか。どんなに辛いことがあっても、現実を忘れて楽しませてくれるのが映画です。


なお、このシーンで上映されているのは1935年公開のミュージカル映画『トップ・ハット』。1999年の映画『グリーンマイル』でもフィーチャーされて、同じシーンが効果的に使われています。

 

 

最後に

今回は映画『カイロの紫のバラ』の解説&感想でした。

 

数々のロマンティック・コメディを世に送り出したウディ・アレン。彼の作品は意外とアクが強い作品も少なくないですが、本作は万人が楽しめる作品ではないでしょうか。映画ファンなら一度は見てほしい作品です。

 

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↓映画好きならシンパシーを感じるであろう作品

バスター・キートンの長編映画のおすすめ&レビューまとめ

映画黎明期の1920年代に活躍した喜劇俳優バスター・キートン。同時代の喜劇俳優チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと共に三大喜劇王なんて言われています。当ブログでも、彼が監督し主演した作品の解説&感想の記事を10本以上アップしてきました。


並外れた身体能力を駆使し、体を張ったアクションとセンスの良いユーモアで人気を集めたバスター・キートン。しかし、少なくとも日本においては、チャップリンに比べると圧倒的に知名度が低い印象です。


そこで、今回はバスター・キートンの魅力について解説すると共に、彼が監督・主演した長編作品のレビューをまとめたいと思います(ここではネタバレなしで記載します。ネタバレありの解説&感想はリンク先の個別記事をご覧ください)。


各作品のおすすめ度も記載しますので、気になる作品をぜひご覧いただければと思います。作品の著作権保護期間は終了し、パブリックドメインとなっていることもあり、YouTubeにも作品が多数アップされています(各作品の個別記事よりご覧ください)。

 

バスター・キートンの魅力

上述の通り、チャールズ・チャップリンは知っていてもバスター・キートンは知らないという人は多いと思いますので、ここではチャップリンと比較して、キートンの魅力を解説したいと思います。


まず、チャップリンの作品は、コメディの中に悲劇や感動を盛り込み、高いドラマ性を持っていることが特徴です。時には鋭い社会風刺や政治的なメッセージを込めることもあり、社会派とも言える作風です。


これに対しキートンは、コメディの中に体を張ったアクションを織り交ぜるのが特徴です。キートンが演じる役柄は、基本的に"ダメなやつ"であることが多いですが、クライマックスに人が変わったように見事なアクションを見せ、大活躍します。そして、そのアクションが観客を笑わせつつ興奮させるのです。このように、キートンはとにかく娯楽に徹した作風と言えます。


こうした作風の違いは、ラストシーンの特徴にも現れています。チャップリン作品の場合は、彼が演じる放浪者がドタバタを繰り広げた後、一人で去っていくという哀愁漂うラストシーンが多いです。


一方、キートン作品の場合は、基本的にめでたしめでたしのハッピーエンド。それを、センスの良いユーモアで描きます。落語でいうサゲのように「うまい!」と唸ってしまう笑いで締めくくるのです。


また、表情豊かなチャップリンと違って、キートンは無表情。それは、"The Great Stone Face(偉大なる無表情)"と形容されるほど、彼の大きな持ち味となっています。そして、そんな無表情で命懸けのアクションをこなす様子がまた滑稽に映るのです。

 

 

長編作品レビュー

バスター・キートンの映画人生を、以下の4段階に分けてみました(①デビュー期、②成長期、③成熟期、④衰退期)。ここで紹介するのは、「③成熟期」に位置付けた12作品になります。


①デビュー期(1917〜1919年頃)

当時の人気喜劇俳優ロスコー・アーバックルの主演映画の脇役として多数出演していた時代。

 

②成長期(1920〜1923年頃)

監督・主演で、多数の短編映画を撮影していた時代。

 

③成熟期(1923〜1929年頃)←今回の対象

監督・主演で、長編映画を撮影していた時代。

 

④衰退期(1930年頃〜)

MGMとの契約による映画製作システムの変化や、サイレント映画の衰退により、人気が衰退していった時代。

 

キートンの恋愛三代記(1923)

 別題: 滑稽恋愛三代記

おすすめ度: ★★★★☆

石器時代、古代ローマ時代、現代という3つの時代の愛の物語。3つの時代で同一プロットを並行して描き、時代ごとの特徴を生かしたギャグ満載で綴られたラブコメディです。


完成度の高いギャグの密度は後の長編に比べてさほど高くないですが、3つの時代を並列に描く構成も相まって、なかなかに"見れる"作品です。

 

荒武者キートン(1923)

 別題: キートンの激流危機一髪!

おすすめ度: ★★★★☆

敵対する家の男女が恋仲になったことから繰り広げられるドタバタ喜劇。実際に19世紀のアメリカで起こったハットフィールド家とマッコイ家の争いをモチーフにしています。


なかなか凝ったストーリー展開が生む笑い、大規模なロケーションでのダイナミックなアクションが見どころで、前作より完成度の高い作品です。

 

キートンの探偵学入門(1924)

 別題: 忍術キートン

おすすめ度: ★★★★★

探偵に憧れる冴えない映写技師が、映画のスクリーンの中に入り込んで名探偵シャーロックJr.として活躍する物語。最高のコメディと最高のアクションを開拓してきたキートンの魅力が詰まった代表作です。


センスのいいユーモアとスラップスティックで畳みかけられる笑い、あっと驚く演出、命懸けのアクロバットなど、あまりに見どころの多い作品キートン初心者にもおすすめです。

 

 

海底王キートン(1924)

おすすめ度: ★★★☆☆

金持ちのボンボンが、富豪の令嬢と蒸気船に2人きりで漂流する物語。映画の内容からすると"?"な邦題ですが、当時としては画期的だった海底シーン(湖の底に潜って撮影)にちなみます。


船上というシチュエーションで繰り広げられるドタバタ喜劇活劇は十分に見どころがありますが、キートンの他の作品に比べると全体として物足りない作品です。

 

キートンのセブン・チャンス(1925)

 別題: キートンの栃麺棒

おすすめ度: ★★★☆☆

当日の午後7時までに結婚すれば、祖父からの莫大な遺産が手に入ることが判明し、大慌てで結婚相手を探す男の物語。


映画後半の、数にものを言わせたスラップスティックは一度は見ておくべき価値のあるもの。とはいえ、ストーリーにやや残念な部分もあり、全体的には及第点といったところです。

 

キートンの西部成金(1925)

 別題: キートンのゴー・ウェスト!

おすすめ度: ★★★☆☆

一文無しで天涯孤独な男が西部の牧場で働くことになり、一頭の乳牛と心を通わせていく物語。


綺麗にまとめたストーリーや、クライマックスのスケール感は素晴らしいものの、キートンらしいアクロバティックな笑いはなりを潜め、少し物足りない作品です。

 

 

キートンのラスト・ラウンド(1926)

 別題: 拳闘屋キートン

おすすめ度: ★★★☆☆

ほれた女性と結婚するため、同姓同名のボクサーになりすますことになってしまった男の物語。1922年のミュージカル劇を原作として翻案したもので、ストーリーはなかなか良くできています。


運動神経抜群のキートンが運動音痴を演じるその芸は光っているものの、キートンらしい人間離れした動きによる笑いは控えめキートンファンとしては少し物足りない作品です。

 

キートンの大列車追跡(1927)

 別題: キートン将軍

             キートンの大列車強盗

おすすめ度: ★★★★★

南北戦争下のアメリカ南部を舞台に、北軍の兵士に奪われてしまった恋人と機関車。それらを取り戻すために奮闘する機関士を描いた大活劇。キートンの最高傑作とされることの多い作品です。


機関車をたっぷり使った攻防で、危険すぎるアクションを生身でこなすキートンの姿には見入ってしまいます。スリルと笑いが見事に同居しており、コメディ映画というよりも笑いが散りばめられたアクション映画という方がしっくりきます。

 

キートンの大学生(1927)

 別題: キートンのカレッジ・ライフ

おすすめ度: ★★★☆☆

学業では成績優秀ながら運動は苦手な大学生の男が、恋する女性の気を引くために運動にチャレンジする物語。運動神経抜群のキートンが運動音痴を演じるからこそ、その表現も洗練されています。


全体としてはやや単調ではありますが、クライマックスの約2分間の盛り上げ方は文句なしに素晴らしいです。

 

 

キートンの蒸気船(1928)

 別題: キートンの船長

おすすめ度: ★★★★★

都会育ちの軟弱な小男が、ミシシッピ川沿岸の街を訪れ、父の蒸気船の運航を手伝う物語。


最高の見どころは、やはりクライマックス。ダイナミックな特撮と、キートンの体を張った超人的なアクションが楽しめます。サイレント期にアクションコメディというジャンルを開拓したキートンの魅力が詰まった作品です。

 

キートンのカメラマン(1928)

おすすめ度: ★★★★☆

静止画のカメラマンの男が、ニュース映画会社で働く女性に恋をし、そこで雇ってもらうために、動画のカメラマンに転身して奮闘する物語。キートンが自身の撮影所を手放し、大手映画会社MGMと契約しての一作目です。


抑揚の効いたストーリーに、笑いもたっぷり織り交ぜられていて楽しい作品です。MGMとの契約を契機に衰退していくキートンですが、少なくとも本作では、キートン映画の魅力は失われておらず、むしろキートンとMGMが交わったシナジーが感じられる作品になっています。

 

キートンの結婚狂(1929)

 〜準備中〜

 

 

最後に

今回はバスター・キートンの魅力について解説すると共に、彼が監督・主演した長編作品のレビューをまとめさせていただきました。


体を張ったアクションとセンスの良いユーモアで魅せるキートン作品。中には今ひとつな作品もありますが、そんな作品でも必ず見どころがあるのもすごいところ。


「チャップリンは好きだけど、キートンはよく知らない」、「サイレント映画なんて見たことない」、そんな方がキートンの魅力に触れるきっかけになれば幸いです。


今回は長編映画のレビューをまとめましたが、実はキートン作品は短編映画の方がおすすめだったりもします。キートンがより若い頃ということもあってアクションもキレキレですし、短編だけにギャグとアクションの密度も濃いですからね。こちらもいずれ記事にできればと思います。

 

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映画『ヒックとドラゴン』感想 多くの人の目に触れて欲しい名作アニメ

どうも、たきじです。

 

今回は、映画『ヒックとドラゴン』の感想です。

 

2010年に公開された、ドリームワークス・アニメーションが送るアニメ映画です。ディズニー・ピクサー信仰が熱い日本では、公開当時そこまで話題にならなかったと記憶していますが、それがもったいないと感じるほどよくできた作品です。

 

作品情報

タイトル:ヒックとドラゴン

原題  :How to Train Your Dragon

製作年 :2010年

製作国 :アメリカ

監督  :ディーン・デュボア

     クリス・サンダース

声の出演:ジェイ・バルチェル

     ジェラルド・バトラー

     アメリカ・フェレーラ

     クレイグ・ファーガソン

上映時間:98分

 

感想(ネタバレあり)

本作は、起承転結きっちりの脚本がお手本のようによくできています。起承転結に沿って、本作の素晴らしさを述べたいと思います。


まず、「起」のオープニング。迫力のアクションシーンの中で、映画の舞台設定や世界観、登場人物を簡潔に紹介しています。それと同時に、主人公ヒックの皮肉っぽい語り口から、彼のキャラクターもしっかり描写し、ヒックの主観で語られるストーリーの中に観客を引き込みます。


「承」では、ヒックとトゥースが交流を深めていく様子と、子供達のドラゴン退治の訓練の様子が同時進行でテンポよく描かれます。


ヒックとトゥースのシーンでは、両者に友情が芽生えると同時に、それよってヒックがドラゴンの生態を知ることが、訓練に活かされるという構成が見事です。


ヒックのライバルとなる子供たちの個性豊かなキャラクター設定もなかなか。作中の時代設定には馴染まない、現代っ子なキャラクターが楽しいです。


闘技場でのドラゴンとの闘いは完全に『グラディエーター』を意識していますね。ヒック達が最初に闘技場に立った時のカメラワークはそのまんまでした。


また、爽快感たっぷりに描かれるトゥースの飛翔シーンは素晴らしい映像でした。美しい飛翔シーンというと、本作の前年に公開された話題作『アバター』が思い浮かびますが、それにも匹敵する美しい映像と言っても過言ではないと思います。

 


「転」となる映画終盤では大きくストーリーが動きます。ヒックと父の間には溝ができ、トゥースは捕らえられ、バイキング達はドラゴンの巣窟へと向かっていきます。事態を収束すべく、村に残されたヒック達が立ち上がります。映画がクライマックスへ向かって進んでいることをはっきり感じさせ、興奮が高められます。


そして「結」となるクライマックスでは、子供達が手懐けたドラゴンに乗って、巨大なドラゴンと闘います。このクライマックスは、ここだけを切り取ってもお手本のような脚本ですね。


子供たちは自分達の持ち味を発揮して活躍し、ヒックと父は和解し、トゥースは解き放たれ、そして一対一の闘いが繰り広げられる、という風に、盛り上がりポイントを畳み掛けながら、大クライマックスへと繋げています。

 

ただでさえ、迫力ある映像に引き込まれる上に、このようなストーリーの盛り上がりが乗っかることで、興奮は最高潮。何度見ても、かなり汗をかいてしまいます。


最後は、オープニングと対になるヒックの語りによるエンディングで締められます。ヒックが片脚を失い、義足になるというのは意外な展開でした。これは尻尾の片翼が義翼であるトゥースと重ねているのでしょうね。

 

 

最後に

今回は、映画『ヒックとドラゴン』の感想でした。起承転結きっちりまとまり、片時も退屈させない脚本と、素晴らしい映像表現によって、名作に仕上がっています。もっともっと多くの人の目に触れて欲しい作品です。

 

アカデミー賞では、長編アニメ映画賞にノミネートされながら惜しくも受賞は逃しています。受賞したのは『トイ・ストーリー3』。なんたるハイレベルな戦い!


最後に付け加えておくと、本作の日本語吹替版は、芸能人声優ではなく本職の声優さん達が声を担当しています。これも違和感なく作品を楽しめる重要な要素になっていると思います。

 

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★ドリームワークス・アニメーション作品の解説&感想

映画『お熱いのがお好き』解説&感想 アメリカ映画史上最高のコメディ

どうも、たきじです。

 

今回は映画『お熱いのがお好き』の解説&感想です。

 

ビリー・ワイルダーが監督し、トニー・カーティス、ジャック・レモン、マリリン・モンローが共演した作品。今となっては少し古くなりましたが、AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)が2000年に選出したアメリカ喜劇映画ベスト100では1位に選出されるなど、アメリカ映画を代表するコメディ映画です。

 

作品情報

タイトル:お熱いのがお好き

原題  :Some Like It Hot

製作年 :1959年

製作国 :アメリカ

監督  :ビリー・ワイルダー

出演  :トニー・カーティス

     ジャック・レモン

     マリリン・モンロー

     ジョージ・ラフト

     ジョー・E・ブラウン

 上映時間:120分

 

解説&感想(ネタバレあり)

本気のビリー・ワイルダー演出

夜の市街を走る霊柩車の中で、神妙な面持ちで棺桶を囲う男達。やがて霊柩車を追いかけてパトカーが現れ、霊柩車との間で銃撃を伴うカーチェイスが始まる。なんとかパトカーを撒いた霊柩車の中で、銃弾を受け棺桶に開いた穴から漏れる液体。男が棺桶を開くと、ぎっしり詰まった酒瓶が現れる。そして画面に現れる字幕、"Chicago, 1929"。


これが本作のオープニングです。


禁酒法時代のシカゴを舞台に、葬儀屋を隠れ蓑にして酒場を営むマフィア。これを最高に格好よく、さらりと描いています。


ビリー・ワイルダー監督は、『サンセット大通り』や『七年目の浮気』のように、主人公のモノローグが印象的な作品も多いです。本作では反対に、この台詞なしの一連のシーンで、映画の背景を無駄なく説明しています。


なんと素晴らしいオープニングでしょう!男2人が女装してマフィアから逃げるというコテコテのコメディ映画で、こんな本気の演出やります?やっちゃうのがワイルダーなんです。


他にも、小道具を印象付ける演出も注目ポイント。本作と同じビリー・ワイルダー×ジャック・レモンの『アパートの鍵貸します』も小道具の使い方がとても印象深い作品ですが、本作もなかなか。


シュガー(マリリン・モンロー)が隠し持ったウィスキー、ジョー(トニー・カーティス)が変装に使うメガネ、銃弾で穴が空いたジェリー(ジャック・レモン)のベース、オズグッド(ジョー・E・ブラウン)からジェリーとジョーを経てシュガーへと渡るダイヤのブレスレットなど、ストーリー上で意味を持った小道具が満載です。


特に印象深いのは、マフィアのスパッツ・コロンボ(ジョージ・ラフト)が着用しているスパッツ(ややこしいので人名の方は以後コロンボとします)。ここで言うスパッツは日本で言うスパッツではなく、足の甲から足首の上にかけてを覆う、いわゆる脚絆(ゲートル)のことです。


終盤、ジョーとジェリーが机の下に隠れるシーンでは、机の下から見えたスパッツを見て、コロンボがそこにいることに気付きます。このシーンの為に、序盤からコロンボのスパッツを観客にしっかり印象付けています。


コロンボの初登場シーンで酔っ払いに酒をこぼされてスパッツを汚されるのを皮切りに、その後の登場シーンではコロンボは必ず足元からフレームインします。さらには手下にスパッツのボタンを止めさせるシーンまであります。


こうしたシーンが、コロンボをオシャレにこだわる男としてキャラ付けすると同時に、上に挙げたシーンへの伏線になっているのですから、演出が細かいですね。

 

 

コメディとして完璧なプロット

さて、上にも述べたように、本作はワイルダーによってキレキレの演出がなされていますが、内容はコテコテのコメディです。よく練られたプロットは、コメディとして完璧に仕上がったものと言えます。


サックス奏者のジョーとベース奏者のジェリーは、コロンボ一味による殺人現場を目撃してしまったことから、彼らに命を狙われます。そこで2人は女装して、ジョセフィン(ジョー)とダフネ(ジェリー)として女だけの楽団に入り、楽団の滞在先であるフロリダに逃げます。


プロットの軸となるこの設定もさることながら、フロリダでのストーリー展開もよく練られています。ジョーはシェル石油の御曹司を装ってシュガーにアプローチ、一方のジェリーは金持ちのおじさんオズグッドに言い寄られるという展開です。


上手に金持ちっぽさを装ってシュガーを虜にするジョーの巧みな話術の楽しさ。ジェリーがどれだけ拒んでもオズグッドに惚れ込まれていく面白さ。そして両エピソードがうまく絡み、オズグッドのヨットや上述のブレスレットをジョーが上手く利用するのも面白いです。


ヨットでジョーとシュガーがキスするシーンと、ジェリーとオスグッドが陽気に踊るシーンのクロスカッティングなんて、もう最高!


ジョーとジェリーの女装は誰にも見破られません。これはツッコミどころではありません。製作者と観客の間の暗黙の了解です。ここに、古き良き映画の心地良さがあります。


最後には、マフィアがフロリダに現れてドタバタの展開。そして4人の逃避行。


ダフネ(ジェリー)が何を言って拒んでも結婚を諦めないオズグッドに対して、遂にカツラを取って男であることを告げるジェリー。それにも一切動じないオズグッドの台詞。


"Well, nobody's perfect."

完璧な人はいない


思わずニヤけてしまう伝説的なラストシーンです。ちなみにこの台詞は、上述のAFI選出のアメリカ映画名台詞ベスト100で48位にランクインしている有名な台詞です。

 

脂の乗り切った俳優の共演

本作はトニー・カーティス、ジャック・レモン、マリリン・モンローの3人が主役と言っていいでしょう。


女装や変装でバタバタと変化を演じたトニー・カーティスもいいですが、やはり私はジャック・レモンが好き。彼の喋り、表情、佇まい、どれをとっても一流の喜劇俳優。まあ、私にとってはジャック・レモンのベストは『アパートの鍵貸します』ですが、本作でもその才能は遺憾なく発揮されています。


オズグッドとのシーンでのふてくされたような演技は最高ですし、彼と一晩過ごして吹っ切れたようにハイテンションになっているシーンも笑ってしまいます。


そして忘れてはならないのがマリリン・モンロー。本作は、彼女の魅力が最も現れている作品ではないでしょうか。色気もキュートさも抜群です。


本作で彼女が歌った"I Wanna Be Loved by You"は、本作以前からの既存の曲ですが、今ではこの曲と言えばマリリン、マリリンと言えばこの曲と言っていいくらい、彼女のイメージと結びついています。


マリリン・モンローというと、私が生まれるより20年以上前に亡くなっていたわけですが、往年の映画スターの代表格。少なくとも私の世代では、映画好きじゃなくても誰もが知っています。


以前、同世代の友人がこんなことを言っていました。


「オードリー・ヘプバーンは分かるけど、マリリン・モンローの良さは分からない」


それだけで、本作を見ていないことが分かります(笑)

 

 

最後に

今回は映画『お熱いのがお好き』の解説&感想でした。

 

本気のビリー・ワイルダー演出、コメディとして完璧なプロット、偉大なるジャック・レモンのコメディ演技、全盛期のマリリン・モンローの唯一無二の魅力…。「これがあるから素晴らしい」という魅力が溢れた作品です。

 

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----この映画が好きな人におすすめ----

↓ビリー・ワイルダー × ジャック・レモン

↓ビリー・ワイルダー × マリリン・モンロー

映画『桐島、部活やめるってよ』解説&感想 青春の苦悩や焦燥を炙り出す群像劇

どうも、たきじです。

 

今回は映画『桐島、部活やめるってよ』の解説&感想です。朝井リョウの同名の小説を原作とする青春群像劇です。

 

作品情報

タイトル:桐島、部活やめるってよ

製作年 :2012年

製作国 :日本

監督  :吉田大八

出演  :神木隆之介

     橋本愛

     東出昌大

     清水くるみ

     山本美月

     松岡茉優

     前野朋哉

     太賀

     大後寿々花

 上映時間:103分

 

解説&感想(ネタバレあり)

誰もが共感できる群像劇

バレー部のキャプテンで県選抜にも選ばれた桐島が部活を辞める。そんな"事件"を背景にして、本作は、彼の同級生達の数日間を描きます。


桐島が何故部活を辞めるのか?桐島は今後どうするのか?それは本作では描かれませんし、劇中において、そもそも桐島は顔すら見せません。本作において桐島は、いわゆるマクガフィン。同級生達の置かれた状況や、彼らの心の動きを見せるためのきっかけに過ぎません。


本作では、登場人物のそれぞれが抱える苦悩や焦燥が描かれています。自分が当時体験したこと、しなかったことに関わらず、非常にリアルにそれらが炙り出されていると感じます。


学内のヒエラルキー(いわゆるスクールカースト)、一生懸命や真面目に対する嘲笑、グループを外されまいと相手の顔色を伺う偽物の自分、恋する人に気付いて欲しい気持ち、自分の才能の限界、将来への不安…


高校生活を経験した人なら、必ずどこかで共感を覚え、誰かに感情移入するのではないでしょうか。

 

 

登場人物の関係性がうまく絡み合う

登場人物が抱える苦悩や焦燥はそれぞれ異なるものの、彼らの関係性がうまく絡み合ってストーリーは進行します。


例えば、桐島がいなくなったことで試合に出られるようになったバレー部の風助(太賀)は、自分の才能の限界に苦しみます。バドミントン部の実果(清水くるみ)は、そんな風助にシンパシーを感じ、風助を笑う沙奈(松岡茉優)に反抗します。

 

また、吹奏楽部の沢島(大後寿々花)は、放課後にバスケで遊ぶ宏樹(東出昌大)に恋心を抱いています。彼女は彼に姿を見せるため、屋上でサックスを吹きますが、そこで撮影したい映画部と衝突します。


そうして絡み合う人間関係を、学校の屋上での乱闘劇に帰結させるのは見事なもの(ここで彼らを屋上に集めるのはマクガフィンたる桐島)。吹奏楽部の演奏に乗せて描かれるこのシーンは、間違いなく本作のハイライトです。


個人的には、映画部の前田(神木隆之介)に最も感情移入しながら見ていたので、彼がバレー部に立ち向かうこのシーンは熱くなります。


「ロメロだよ!それくらい見とけ!」


最高の台詞です(笑)


そして映画の最後を締めるのは桐島の親友の宏樹。いわゆるイケてるグループにいて、スポーツも万能。しかし何にも一生懸命になれない。


彼は、夏の大会が終わっても部活を続ける野球部のキャプテンや、映画監督にはなれないと分かっていても情熱的に映画部で活動する前田(神木隆之介)に触れ、今の自分を顧みて涙します。おそらく彼は、桐島というカリスマの側にいて、人と比較して感じる無力さを誰よりも感じていたのではないでしょうか。

 

苦悩と焦燥は続いていく

体育の授業の後、サッカーで決めた得点のことを話して盛り上がる同級生達に対し、映画部の武文(前野朋哉)はぼやきます。


「体育の授業で何点取ったってな、無意味。Jリーグ行くんだったら別だけど」


直接言えよと言われた武文は、


「言わない。好きなだけ不毛なことさせてやる」


と言い放ちます。この台詞にはやや痛快さを感じつつ笑いました。


この台詞には、ヒエラルキーの上層の人間への妬みも含まれているでしょう。彼らを否定する武文もまた、将来の仕事にするとも分からない映画に青春を捧げています。


学内のヒエラルキーの上層に立っていようと、狭い世界で威張っているだけの無知な高校生に過ぎず、社会的には何の意味もないことは事実です。


ただ、そうは言いつつも、彼らのような人間は社会でもうまくやっていくし、結局幸せになっていくのも事実であったりします(演じる東出氏にはいろいろありましたが…)。


映画部にシンパシーを抱きながら見ていた私としては、青春時代からずっと続いていくそうした苦悩や焦燥、やるせなさをくすぐられる作品でした。


乱闘劇の後の夕暮れの屋上で、映画部の俳優が前田に確認する台詞があります。


「俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだ」


大事なことだから2回言ったんですよね。

 

 

最後に

今回は映画『桐島、部活やめるってよ』の解説&感想でした。単なる青春群像劇に終わらない、非常にセンスのある作品でした。

 

そうそう、エンディングに流れる高橋優の『陽はまた昇る』は、本作にぴったりハマった主題歌になっています。MVでは、神木隆之介が、前田のその後を演じていますので、貼っておきますね。

 

 

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映画『生きる』解説&感想 黒澤明×志村喬の渾身の一作

どうも、たきじです。

 

今回は映画『生きる』の解説&感想です。

 

監督・黒澤明×主演・志村喬による人間ドラマの傑作。市役所の市民課長として空虚な日々を送ってきた男が、胃癌により余命いくばくもないことを知り、残された命で公園の建設に尽力する物語です。

 

作品情報

タイトル:生きる

製作年 :1952年

製作国 :日本

監督  :黒澤明

出演  :志村喬

     小田切みき

     藤原釜足

     日守新一

     金子信雄

 上映時間:143分

 

解説&感想(ネタバレあり)

主演の志村喬は数々の黒澤映画に出演していますが、本作の彼は、他のどの映画の彼とも違うものでした。彼のリアリティ溢れる演技は、鬼気迫るものがあります。


映画のストーリーとしては前半と後半に大きく分かれます。前半は、とにかく陰鬱な空気感で物語は進みます。


職場では、市民課長として判を押すだけの仕事。市民からの陳情は他の課へたらい回し。部下からは、いてもいなくても変わらない存在として見られています。


やがて自分が胃癌を患っていることを知り、今までの生き方を振り返りつつ絶望する渡辺。早くに妻を亡くし、一人息子を一人で大切に育てて来ましたが、息子からは軽んじられ、嫁からは疎まれています。


仕事を無断欠勤して金を使って遊ぶも気分は晴れず。家族からは女を作って浪費していると思われます。


そんな風に、とにかくネガティブな描写が畳み掛けられ、渡辺の絶望が丁寧に描かれます。


個人的にうならされたのは、渡辺が胃癌を知った後の、自宅での1シーン。2階から自分を呼ぶ息子の声を聞き、急いで階段を上がろうとしますが、「下の戸締り頼みます」とぶっきらぼう放たれた声が聞こえてきます。


階段下の深い闇の中、階段に突っ伏す渡辺。渡辺の息子への感情と深い悲しみが表現されています。


全てに絶望する渡辺に対し、かつての部下が「何か作ってみたら」と提案します。それに対し、


「もう…、遅い…」


30秒以上の長い間があって、


「いや、遅くない」


物語が動き出す瞬間です。


隣で行われている誕生パーティの"ハッピーバースデー"の歌が、あたかも渡辺に向けられているように歌われます。


そう言えば、渡辺が浪費して遊ぶシーンで、小説家の男の台詞に以下のようなものがありました。


「マダムなんざ胃癌と宣告されたらその瞬間から死んじまうよ。ところがこの人は違うんだ。その瞬間から生き始めたんだ


この時の台詞は、「これまでの人生で遊ぶことをしなかった渡辺が、人生を楽しみ始めた」という文脈で放たれたものでした。一方、上述の"ハッピーバースデー"のシーンでは、今までミイラのようだった渡辺が、生きる意味を見つけた瞬間であり、この瞬間こそが、本当に"生き始めた"瞬間と言えるでしょう。この"ハッピーバースデー"は、新しく生き始めた渡辺の誕生を祝福する歌です。


ここで"ハッピーバースデー"を使うのは、少々安易な気がしなくもないです。しかし、公園建設に動き出す次のシーンで、BGMとして再び流れる"ハッピーバースデー"は、確かに心に響くものがありました。

 


そして映画後半では、渡辺の通夜における同僚達の回想という形で、公園建設のために尽力した渡辺の姿が描かれます。


断片的な回想からでも、渡辺が公園の建設にいかに心血を注いだかが容易に想像でき、感動させられます。


渡辺は、公園建設を実現しながらも、市の上層部の連中に手柄を横取りされた形になります。そして、その公園で1人寂しく亡くなったといいます。


そんな浮かばれない話の中、警察官がお焼香を上げに来ます。渡辺が亡くなる前に、公園にいる彼を見たというその警察官は言います。


「あんまり楽しそうだったから」

「しみじみと歌を歌っておられたんです。それは不思議なほど、心の奥底まで染み渡る声で」


この言葉を聞いて私は涙しました。彼は1人寂しく亡くなったのではなかった。彼が(第2の)人生を捧げて建設した公園で、第2の人生を真っ当して亡くなったのです。


そんな感動が込み上げてくる中、画面には、公園で亡くなる前の渡辺の姿が映し出されます。雪が舞う公園、ゴンドラの唄を口ずさみながらブランコを漕ぐ姿。何とも美しい映像です。


現状を打破し、何かを変えること。これは本当に難しいことです。ラストで描かれるように、通夜では渡辺の行動に奮起させられながらも、結局は変われない市民課の面々。これが現実です。

 

しかし、それと同時に、子供達の笑顔で溢れる公園もまた、尽力の結果として生まれる確かな現実でしょう。


私が本作を初めて見たのは学生の時で、その時も感動しました。ですが、社会に出て10年以上経ち、様々な現実を身をもって体験した今見ると、さらに心を動かされるものがありました。


「生きる」とは本当にいいタイトルをつけたものです。


私は今、生きているだろうか?

 

 

最後に

今回は映画『生きる』の解説&感想でした。

 

こういう"人の生き様"を描いた作品というのは、本当に力を与えてくれます。また数年後に鑑賞しようと思います。


そう言えば10年以上前に、本作をトム・ハンクス主演でハリウッドでリメイクするという話がありました。どうなったのかと調べてみましたが、その後特に動いていないようですね。


残念だなと思っていたら、ビル・ナイ主演でイギリスでリメイクするようで。脚本はカズオ・イシグロ。期待して待ちましょう!

 

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↓本作と同様、"人の生き様"を描いた作品

★黒澤明監督作品の解説&感想

映画『硫黄島からの手紙』解説&感想 見るものの感情を揺さぶる力を持った作品

どうも、たきじです。

 

今回は映画『硫黄島からの手紙』の解説&感想です。

 

クリント・イーストウッド監督が、太平洋戦争末期の大激戦"硫黄島の戦い"を日米双方から描いた二部作の内の一作。同年、先に公開された『父親たちの星条旗』がアメリカ側から描いた物語であるのに対し、本作は日本側から描いた作品です。


元々は原作のある『父親たちの星条旗』の映画化から企画がスタートし、付属的に本作が製作されたと記憶しています。それが、結果的には本作の方が評価され、全編日本語の作品ながら、アカデミー賞で作品賞にノミネートされました。

 

作品情報

タイトル:硫黄島からの手紙

原題  :Letters from Iwo Jima

製作年 :2006年

製作国 :アメリカ

監督  :クリント・イーストウッド

出演  :渡辺謙

     二宮和也

     伊原剛志

     加瀬亮

     中村獅童

 上映時間:141分

 

解説&感想(ネタバレあり)

イーストウッド監督が描きたかったこと

アメリカ側の視点で描かれた『父親たちの星条旗』は、激戦を制して摺鉢山に星条旗を立てた若い兵士達の物語。戦中、戦後を通して英雄として祭り上げられ、それに苦悩する姿が描かれました。一方で本作は、日本の兵士達が、全滅覚悟で闘う過酷な戦場そのものを描いています。


クリント・イーストウッド監督が、この2部作を日米双方の視点で描いた目的はなんでしょうか?それは、少し平易な表現で言えば、"戦争とは、戦う双方が傷付くものだ"ということを描きたかったからでしょう。


どちらの作品においても、戦争という不条理の中で傷付く人々が描かれています。双方の視点で見ることで、敵国の兵士にも、それぞれに家族がいて、恐怖も悲しみも抱く同じ人間であることを実感するでしょう。


本作だけを見ても、西中佐(伊原剛志)とアメリカ人捕虜の会話や、アメリカ人捕虜の母親の手紙を通じて、それは描かれています。清水(加瀬亮)は、鬼畜と言われていたアメリカ人も、自分たちと同じだと知るのです。


戦う双方が傷付く"戦争"。それを描くために、イーストウッド監督は極めて冷静に、日本軍を描写していると感じました。


栗林中将(渡辺謙)や西中佐が人格者とて描かれる一方で、日本軍が過度に美化されることはありません。米軍が5日で終わると見込んでいた戦いを1ヶ月以上戦った日本軍の奮闘がフォーカスされることもありません。


過酷な状況で命を散らした日本人

さて、日本人にとっては、本作にはさらにもう一つの意味があると思います。かつて国を守るために、こんな過酷な状況で命を散らした日本人がいたこと。それを本作を通じて知った人も多いと思うのです。


映画の中で再現された戦争。そしてそこにいる人々の姿を通して伝わってくる感情は、テレビのドキュメンタリーなどとはまた違った力があります。硫黄島で戦った彼らがどんな気持ちで戦ったのか、痛いほど感じられるのです。


栗林中将は言います。


「家族のために死ぬまでここで戦い抜くと誓ったが、家族がいるから死ぬことをためらう自分も…」


この台詞だけでも、現代の私達が通常置かれることのない、過酷な状況を物語ります。


西郷(二宮和也)は、妻のお腹にいる我が子に語りかけます。


「誰にも言っちゃいけないぞ」

「生きて帰ってくるからな」


生きて帰るとも大っぴらに言えないような状況。現代に生きる私達の、誰が体験したことがあるでしょうか。


現代の人に戦争の過酷さを伝えるという点では、この西郷というキャラクターは重要な役割を担っています。西郷は当時のステレオタイプな軍人ではなく、現代の若者に近い感性を持ったキャラクターとして設定されていることは明らかです。そんな彼の視点で戦争を見せることで、現代の人が、より感情移入しやすくなっています。


湧き上がる、追悼の思い

個人と個人が憎み合っているわけでもないのに、人間同士が殺し合うなんて、なんと馬鹿馬鹿しいことでしょうか。そんな馬鹿馬鹿しいことによって命を落とさなければならないなんて、なんと悲しいことでしょうか。

 

こうした過酷な状況で死んでいった人々への追悼の思い。それが本作を見て最初に湧き上がった感情でした。

 

映画のラスト、決して届くことのなかった硫黄島からの手紙が袋からこぼれ落ちます。そこから彼らの声が溢れ出した瞬間、涙が溢れました。


そして感じたのは、タイトル通り、この映画こそが、硫黄島からの手紙であったということです。


最後の突撃を前に、栗林中将は皆に言います。


「いつの日か国民が、諸君らの勲功を讃え、諸君らの霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう」


多くの日本人にとって本作を見た日が、”いつの日か”になったことでしょう。

 

 

最後に

今回は映画『硫黄島からの手紙』の解説&感想でした。

 

観るものの感情を揺さぶる力を持った作品。こういう映画がアメリカで評価されたことはとても素晴らしいことですね。

 

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↓本作と合わせた二部作の内の一作

↓戦争の不条理を描いたスピルバーグの力作

映画『キートンのカメラマン』解説&感想 キートンとMGMが交わったシナジー

どうも、たきじです。

 

今回は映画『キートンのカメラマン』の解説&感想です。映画黎明期の喜劇王バスター・キートンが監督・主演を務めた長編作品として第十一作にあたる作品です。

 

前作『キートンの蒸気船』を最後に、バスター・キートンは自身の撮影所を手放し、当時の最大手の映画会社の一つであるMGMと契約しました。本作は、キートンにとってMGMでの第一作ということになります。

 

↓ その他のバスター・キートン作品はこちらから

 

※作品の著作権保護期間は終了し、パブリックドメインとなっています。

 

作品情報

タイトル:キートンのカメラマン

原題  :The Cameraman

製作年 :1928年

製作国 :アメリカ

監督  :エドワード・セジウィック

     バスター・キートン

出演  :バスター・キートン

     マーセリン・デン

     ハロルド・グッドウィン

上映時間:70分

 

解説&感想(ネタバレあり)

新天地での第一作

キートンはMGMとの契約を機に、映画制作における主導権を奪われていき、やがてそれが彼の人気が衰退した一因になったとも聞きます。新天地での第一作となる本作では、キートンはエドワード・セジウィックと共同で監督を務めており(ノンクレジット)、まだ映画制作をコントロールできていたと考えられますが、製作においてはプロデューサーとの衝突もあったようです。


とは言え、少なくとも本作は、これまでのキートン映画の魅力は失われていませんでした。


本作でキートンが演じるのはカメラマン。路上で鉄板写真のポートレートを撮る静止画のカメラマンでしたが、ニュース映画会社(「MGM News Reel」)で働く女性サリー(マーセリン・デン)に恋をし、そこで雇ってもらうために、動画のカメラマンに転身します。


当時はテレビのない時代ですから、動画が見られるのは映画館だけ。長編映画と同時上映という形で、ニュース映画が流されました(『ニュー・シネマ・パラダイス』にも出てきますよね)。当時は映画黎明期ですから、こうした動画カメラマンは新しい花形職業の一つであったと推測されます。


本作は、そんな時代性のあるMGMらしい題材を採用しつつ、キートン映画の王道プロットで楽しませてくれる作品になっています。


王道プロットとはすなわち、

・少し足りないところのある小男のキートンが、

・女性に恋をし、

・女性の方もまんざらではなく、

・でも2人が結ばれるには困難(本作では恋敵や仕事での失敗)が立ちはだかり、

・最終的にドタバタありつつ困難を乗り越えハッピーエンド

というものです。


そんな作品ですから、新天地での第一作として、本作は期待を裏切らない作品になっています。公開当時も、本作は興行的にも批評的にも成功を収めています。

 

 

恋する男のドタバタ喜劇

本作は、サリーとの恋模様とカメラマンとしての悪戦苦闘の二軸で描かれ、そこに笑いがたっぷり織り交ぜられています。


貯金箱がなかなか割れず、代わりにベッドやら壁やらを壊してしまうというギャグも好きですが、個人的に特に笑ったのは、キートンがオフィスの入口の窓を割る"かぶせ"のギャグ。

 

①オフィスを出るときに三脚をぶつけて割ってしまう

②オフィスの外でカメラを担いだ時にカメラをぶつけて割ってしまう

③ぶつけないようにそぉーっとオフィスを出るも、強風でドアが激しく閉まった衝撃で割れてしまう

④ガラスが格子でがっちり補強されている

 

と、1シーンごとに笑いを発展させていくのがうまいです。


映画中盤では、サリーとのデートでキートンがひたすら失敗を繰り返すことで笑いを取ります。バスのシーンでの、キートンらしいアクロバティックな笑いは悪くないですが、正直言って、プールのくだりは少し退屈でした。


特に、1人用の狭い更衣室でおじさんと"相部屋"になって悪戦苦闘するシーンは、4分近くも続いて冗長な印象は否めません。


コメディ映画の傑作と名高い、マルクス兄弟の『オペラは踊る』(1935年)では、船室に大勢の人が入り込む有名なシーンがあります。このシーンは、キートンの発案とされていて、本作の更衣室のシーンを発展させたものと言えるでしょう。私はこれについても何がそんなに面白いのか理解できていません(笑)


私の場合、上に挙げたようなギャグに加えて、キートンのピュアな恋模様を微笑ましく見ていました。サリーからの電話を待ってソワソワする様子とか、共同住宅に一つだけの電話が鳴って猛ダッシュで電話に向かう様子とか、笑いつつ感情移入してしまいます。考え事をしながら階段を歩いていると、目的のフロアを通り越して上りすぎる(下りすぎる)なんていうのは、私にも何度か経験があるので共感して笑ってしまいました。

 

 

チャイナタウンでの決死の撮影

サリーからの情報提供を受け、キートンがチャイナタウンで勃発した犯罪組織の衝突のスクープを撮影するシーンは本作の見どころの一つ。劇中でTong Warsと呼ばれている抗争は、サンフランシスコを中心として各地のチャイナタウンで数十年に渡って繰り広げられた抗争で、実際にあったものです。

 

ここで、必死にやり合う両者の間を縫って、無表情でひたすらカメラを回すキートンの仕草は、それだけで滑稽に見えてきます。


三脚の脚2本が銃弾で折られてしまってバランスが悪いから、もう一本もわざと撃たせるとか、カメラを回す動作がガトリング砲を撃つ動作と間違えて狙われるとか、いかにもサイレント映画らしい"うまいギャグ"にはニンマリしてしまいます。


キートンが陰で密かに両者を争わせるように仕向けたり、揉み合う2人が落としたナイフを持たせたりといった行動は、今見るとメディアへの風刺っぽくも映りますが、当時は純粋なギャグとしてやっていそうですね。

 

気持ちのいいハッピーエンド

キートンがスクープを撮影し、会社に戻ってカメラを開けると、フィルムが入っていなかったというショッキングな展開。一眼レフを持ってきたけど、バッテリー忘れたとか、メモリーカード忘れたとか、実際よくある話であるだけに、よりシンパシーを感じてしまいます。


さらには、キートンは身を挺して海で溺れたサリーを救助したにも関わらず、その手柄を恋敵(ハロルド・グッドウィン)に横取りされてしまいます。キートンを残して去っていく恋敵とサリー。

 

キートン映画には珍しく、悲恋に終わるのか?

そういうのはチャップリンがやればいいんだよ!キートン!

 

と思ったその時、相棒の猿が必死にカメラを回す様子がフレームイン。この安心感!


スクープを収めたフィルムも無事に見つかり、救助の真実もすべて明らかになり、2人が結ばれる気持ちのいいハッピーエンドです。


こんな風に、ここまで落としてから持ち上げるハッピーエンドというのはこれまでのキートン映画ではあまりなかった印象。こういうのはMGMと交わったことによるシナジーかな、なんて思ったり。


でもこの後キートンは衰退していくんだよな…。

 

 

最後に

今回は映画『キートンのカメラマン』の解説&感想でした。個人的には、キートンにはアクロバティックな笑いを求めるので、そういう点ではやや物足りませんが、映画の出来はとてもいい作品でした。

 

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↓ バスター・キートンの代表作

映画『博士の異常な愛情』感想 キューブリックによるブラックコメディの傑作

どうも、たきじです。

 

今回は映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』の感想です。

 

本作は、スタンリー・キューブリック監督によるブラックコメディの傑作。長いタイトルですが、通称は『博士の異常な愛情』(原題ベースだと『Dr. Strangelove』)。"Dr. Strangelove"は本作に出てくるキャラクター"ストレンジラヴ博士"のことですから、この邦題は、訳としてはおかしいですね。

 

作品情報

タイトル:博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

原題  :Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb

製作年 :1964年

製作国 :イギリス

監督  :スタンリー・キューブリック

出演  :ピーター・セラーズ

     ジョージ・C・スコット

     スターリング・ヘイドン

     スリム・ピケンズ

 上映時間:93分

 

感想(ネタバレあり)

本作は、1人の司令官の暴走によって核戦争へと突き進んでいくというスリリングな物語。それを、ブラックなユーモアを交えて描き、人間の狂気をあぶり出しています。その巧みさはキューブリック監督ならではです。


当時は米ソ冷戦の真っ只中。キューバ危機も経験し、偶発的な核戦争の勃発が、極めて現実的だった時代です。当時の人は、鋭い風刺の効いたコメディに笑いつつも、ゾッとしたのではないでしょうか。


本作の登場人物は、すべての元凶となったリッパー将軍(スターリング・ヘイドン)のみならず、タージドソン将軍(ジョージ・C・スコット)やストレンジラヴ博士(ピーター・セラーズ)、パイロットのコング少佐(スリム・ピケンズ)に至るまで、多くが狂気を持ち合わせています


リッパー将軍は、極端な反共による妄想に取り憑かれています。水道水へのフッ素の添加は、アメリカ人の体液を汚染するためのソ連の陰謀だとか、性愛行為によって異常な疲労を味わったのは、女に"エッセンス"を奪われたからだとか、異常な思考に終始しています(この"エッセンス"ってなかなかのパワーワードではないか)。


タージドソン将軍は、爆撃機がターゲットに向かう状況下で、早々にそれらを止めることを諦め、一気にソ連を壊滅させるべきだと説きます。彼の発言には、異常なほどソ連を憎み、見下したような感情が溢れています。


ストレンジラヴ博士は、核戦争が避けられなくなった途端、わずかな者だけでも生き残る方法を平然と語り始めます。さらには、大統領を総統と呼び間違えたり、ナチスに取り憑かれたような言動をするようになります。彼が語る内容も、優秀な者だけを残そうというナチス的な思想であるにもかかわらず、タージドソン将軍や大統領はそれに何の疑いも持ちません。


コング少佐は、核爆弾にしがみついてターゲットめがけて落ちていきながら、カウボーイさながらに歓喜の雄たけびをあげます。


彼らの狂った様は、恐ろしく、同時に、笑えます。

 


映像の素晴らしさもさすがはキューブリック。特に目を見張るのがペンタゴンのシーン。だだっ広く薄暗い会議室。人物の顔に頭上から当てられた照明が独特の影を作り出し、辺りにはタバコの煙が漂っています。現実とはかけ離れたこの物々しい空間造形が、作品の世界観にぴったりマッチしています。


他にも、葉巻をくわえたリッパー将軍のスリリングなクローズアップや、コング少佐が爆弾と共に落ちていく様子を追う有名なシーンなども、映像にインパクトがあります。


また、それぞれの役者達の演技も印象的。


リッパー将軍を演じたスターリング・ヘイドンは、同じキューブリック作品で、自身が主演した『現金に体を張れ』や、小さな役ながら印象に残る警察署長を演じた『ゴッドファーザー』の印象が強いです。いずれも真面目な役でしたが、本作ではぶっ飛んだ狂人の役で強い印象を残しています。


タージドソン将軍を演じたジョージ・C・スコットは『パットン大戦車軍団』のアカデミー主演男優賞を辞退したエピソードが有名です。気難しいイメージが強い役者ですが、本作ではバリバリのタカ派の将軍をややコミカルなオーバーアクトで楽しく演じています。


そしてなんと言っても本作はピーター・セラーズ抜きには語れません。ストレンジラヴ博士、マンドレイク大佐、大統領の3役を1人で演じており、それだけでも称賛もの。何より素晴らしいのは、いかにも狂人じみたストレンジラヴ博士の演じっぷり。怪演という表現がぴったりの演技です。


でも、まあ1人で3役やる必然性はあまり感じませんけど。

 

 

最後に

今回は映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』の感想でした。

 

本来ならシリアスになるはずの物語を、絶妙な塩梅でブラックコメディに仕上げたキューブリック監督の手腕に、改めて感心させられる作品でした。

 

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