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映画『バビロン』解説&感想 1920年代ハリウッドの光と影を描く、映画への敬意に満ちたドラマ

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どうも、たきじです。

 

今回は2022年公開のアメリカ映画『バビロン』の解説&感想です。

 

 

作品情報

タイトル:バビロン

原題  :Babylon

製作年 :2022年

製作国 :アメリカ

監督  :デイミアン・チャゼル

出演  :ブラッド・ピット
     マーゴット・ロビー
     ディエゴ・カルバ
     ジーン・スマート
     ジョヴァン・アデポ
     リー・ジュン・リー
     トビー・マグワイア
     ルーカス・ハース
     フリー
     スパイク・ジョーンズ

上映時間:185分

 

解説&感想(ネタバレあり)

パーティーと撮影現場の熱狂

デイミアン・チャゼル監督の『バビロン』は、1920年代のハリウッドを舞台に、サイレント映画からトーキー映画への転換期に翻弄された映画人たちの光と影を描いた壮大なドラマです。

 

映画の歴史が大きく動いたこの時代に混在した情熱と狂気、創造と破壊、歓喜と悲哀。本作はそのすべてを鮮烈に描き出しながら、映画という芸術に最大限の敬意を捧げています。

 

映画は圧倒的なエネルギーをもって幕を開けます。序盤のパーティーシークエンスは、本作のテンションと世界観を一気に観客に叩き込む力強い場面です。

 

群衆の狂乱、象までも登場する無秩序。時代の活気と、無軌道で退廃的な空気が混在した空間。チャゼル監督らしい躍動感あふれる音楽と、長回しに象徴される臨場感たっぷりのカメラワークがその空間を醸成し、観るものを圧倒します。同時に、マーゴット・ロビー演じるネリーの奔放な姿を強烈に印象づけています。

 

パーティーシークエンスに続く撮影現場のシークエンスも同様に素晴らしいです。このシークエンスの冒頭でも長回しが効果的に使われています。カメラがワンカットでセットをぐるっと回り、最後にセットを訪れたネリーを映し出します。その映像は、単なる"臨場感"を超えて、空間にあふれる情熱をありありと伝えます。

 

そして、序盤の一つのハイライトとも言えるのが、その後の撮影シーン。ネリーが代役としてチャンスを掴む撮影現場と、数々のトラブルに見舞われながら撮影が進むジャックの撮影現場とを並行して描く場面です。

 

活気と情熱、ノスタルジー

ネリーは、男を誘惑してカウンターで踊るシーンの撮影。監督の注文に応えて多様な泣きの芝居を見せ、現場の視線を集めていきます。一方、ジャックは現場のトラブルをよそに楽屋で酒を煽り泥酔しますが、カメラが回ると覚醒したかのように素晴らしい芝居を見せます。

 

カメラを求めてマニーが車を飛ばす様子や、ネリーの現場での火事の発生に伴うドタバタが、シーンにスピード感をもたらします。そして、ジャックの現場でのキス、大砲の発射、ネリーの"一滴の涙"がリズミカルな編集で描かれ、興奮はピークに達します。それぞれのシーンで「カット」の声。凄まじく高揚感のあるシーンです。

 

このように、序盤の撮影シーンは、混沌としながらも活気と情熱に満ち、サイレント期のノスタルジーも感じられます。そして、ジャックの撮影現場におけるマジックアワーの夕景に象徴されるように、映画の魔法、映画の力を強烈に感じさせるシーンになっています。

 

時代の波に翻弄されるスターたち

エネルギッシュな演出という点で言えば上述の撮影シーンがピーク。物語がサイレントからトーキーの時代に移ると、一気に閉塞感が増していきます。それもそのはず、本作が描くのは映画業界の光と影。栄華に満ちたハリウッドの裏にある暗部です。上述の、情熱に満ちた撮影現場と狂乱のパーティの対比もそう。そしてもう一つが、時代の移り変わりによるスターたちの栄光と転落です。

 

トーキーの撮影シーンでは、サイレント時代の活気に満ちた風景は消え失せ、息苦しいシーンが続きます。録音の邪魔になる空調を入れられないことによる暑さ、マイクが拾うノイズ、声のボリューム調整のシビアさに苦戦する現場。字幕作成の仕事が失われる一方、俳優は"台詞覚え"に悪戦苦闘します。物語の展開上、仕方ないとは言え、序盤のエネルギッシュな演出に感激した身としては、少々沈んでしまうところではあります。

 

このサイレントからトーキーへの移り変わりは、映画の歴史上の大きな転換点であり、映画の進化の大きな一歩。しかしそれによって、ジャックやネリーは時代に取り残されていきます。「声が良くない」、「声がイメージと合わない」、「声の演技が下手」、「喋ることで神秘性が無くなる」、「過ぎ去った時代のスターというイメージ」——。サイレント期のスターが居場所を失っていった理由は様々考えられますが、どこか同情を誘います。

 

映画の概念を覆した大事件

このようなテーマは、過去にも多くの作品で扱われてきました。

 

1950年の『サンセット大通り』では時代に取り残されたサイレント期の大女優が描かれました(本作でジャックがプールに落ちて死んだように浮かぶシーンは『サンセット大通り』へのオマージュにも感じられました)。

 

2011年の『アーティスト』ではトーキーの時代に入って居場所を失っていくサイレントのスター俳優と、ブレイクしていく若手女優が描かれました。『アーティスト』で居場所を失っていく俳優は、サイレント期の俳優ジョン・ギルバートがモデルとのことですが、実は本作のジャックもギルバートがモデルだとか(ちなみにネリーのモデルの1人は『つばさ』のクララ・ボウ)。

 

そして、本作で大きくフィーチャーされる『雨に唄えば』も、トーキー時代の到来によるハリウッドの荒波を描いています(詳しくは後述)。

 

このテーマでこれだけ多くの名作が生まれてきたことからも分かるように、トーキー時代の到来は映画の概念を覆えす大事件だったということでしょう。トーキー映画を初めて観た(「体験した」というべきか)マニーが、慌てて電話ボックスに駆け込んで、「全てが変わる」とジャックに報告するシーン。まるで映画の歴史が動いた瞬間に立ち会ったかのようで、興奮せずにはいられません。

 

ここで上映されているのは世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』 。冒頭の演奏シーンの後の"You ain't heard nothin' yet!"という台詞は、トーキー時代の到来を高らかに告げる象徴的な台詞です(本作の中では日本語字幕が出ていませんでしたが、「お楽しみはこれからだ」という意訳も有名)。この高揚が、ジャックやネリーにとっては転落の始まりであるわけですが…。

 

台詞に込められた映画への敬意

私が本作に心を掴まれたのは、映画の光と影を描きながらも、本作の本質的な部分には、映画への敬意が溢れていて、まさに映画という芸術を讃える側面を持っていると感じるからです。

 

まず、登場人物たちの台詞にもそれは溢れています。

 

"重要で長く続く何か"

I just want to be part of something bigger. something important, something that lasts, that means something.

もっと大きな何かの一部になりたい。重要で長く続く、意味のある何かの一部に。

 

若き日のマニーが映画に対する想いをネリーに語る台詞。映画への情熱や永遠性への憧れが溢れ、真摯な想いが感じられる台詞です。

 

"世界で最も魔法に満ちた場所"

It's the most magical place in the world.

世界で最も魔法に満ちた場所だ。

 

マニーに対して、映画の撮影現場について語るジャックの台詞。マニーがスペイン語で「Eso dicen.」(そう聞きました)と答えると、画面いっぱいにタイトルが表示されます。ジャックの自信や誇り、マニーの希望が溢れたところでタイトルバックに移行する、痺れる瞬間でした。

 

"スクリーンに映る世界には意味がある"

It's not a low art, you know.

映画は下等な芸術なんかじゃない。

 

What I do means something to millions of people.

俺のやっていることは、何百万もの人たちにとって意味のあることなんだ。

 

My folks didn't have the money or the education to go to the theater.

うちの両親には、演劇を観る金も教養もなかった。

 

So they went to the vaudeville houses, and then the nickelodeons.

だからボードビルや5セント映画館に通ったんだ。

 

And you know what? There's beauty there.

でもな、そこには夢があるんだ。

 

What happens up on that screen means something.

スクリーンに映る世界には意味があるんだよ。

 

友の死を知らされて動揺する中、舞台女優である妻にに対して激昂しながら映画への想いを語るジャックの台詞です。ボードビルや5セント映画館(ニッケロデオン)といった庶民文化を引き合いに、映画の民主的な側面を強調します。時代の流れの中で、自分の存在意義が揺らいでいくことへの焦燥が表れた台詞でもあります。余談ですが、映画と演劇の対比は、『雨に唄えば』の中でも議論になっていました。

 

"あなたはこれからずっと、永遠を生きていく"

In a hundred years, when you and I are both long gone, any time someone threads a frame of yours through a sprocket, you will be alive again.

100年後、あなたも私もとっくにこの世を去ったときでも、誰かがあなたの映画の1コマを映写機に通せば、あなたは再び生き返る。

 

Your time today is through, but you'll spend eternity with angels and ghosts.

現世での時は終わっても、あなたはこれからずっと、天使や亡霊たちと一緒に、永遠を生きていくの。

 

否定的な記事を書かれて怒り心頭のジャックに対し、エリノアが映画に出ることの意味を説く台詞。上記のマニーの台詞と同様、映画の永遠性を讃える台詞になっています。ごく一部を抜粋しましたが、この長台詞は映画の本質を捉えた印象的な台詞です。

 

映画の永遠性を讃えるラストシーン

※『カイロの紫のバラ』、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンへの言及があります。

 

本作が最も胸を打つのは、映画への敬意が溢れたラストシーンです。月日は流れ、ハリウッドに戻ってきたマニーが1人で映画館に入ります。そこで上映されていたのは『雨に唄えば』。トーキーの時代の到来に翻弄される女優リナにネリーの姿を重ね涙するマニー。しかし、やがて目に入ったミュージカルシーンに心奪われ微笑むのです。

 

『雨に唄えば』は、まさにそういう力を持った作品なので、このような使い方にはうってつけですね。『雨に唄えば』の解説記事でも書きましたが、あのタイトル曲"Singin' in the Rain"のシーンのポジティブなエネルギーは、他のどの映画のどのシーンにも負けることはないと言っても過言ではありません。

 

しかし、まさか『雨に唄えば』で悪役の立ち位置であるリナに、マニーを感情移入させるとは。本作『バビロン』の中では、ネリーがリナのモデルになったというふうに解釈することもできるのがうまいです。このラストシーンから逆算して本作のストーリーを作ったのかと勘繰ってしまうほど、見事に決まっています。

 

「落ち込んだ主人公がスクリーンを見つめ、ミュージカルシーンに心を奪われて微笑む」というラストシーンは『カイロの紫のバラ』と同じ構図です。映画好き、特にミュージカル好きなら共感せずにいられない構図ですよね。

 

もう一つ、このラストシーンで印象的なのは、『雨に唄えば』のシーンに挿入される、映画の歴史を描いたモンタージュです。このシーンでは、『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンを思い出す人も多いでしょう。主人公が映画館で映画を観ている状況と、感情を掻き立てるようなモンタージュの取り合わせは両シーンに共通します。『ニュー・シネマ・パラダイス』では、主人公トト個人の感情にフォーカスした情緒的な演出として描かれたのに対し、本作は映画という芸術そのものにフォーカスし、その永遠性を讃えます。

 

『月世界旅行』や『大列車強盗』など、映画黎明期の有名なカットから、『ターミネーター2』、『ジュラシック・パーク』、『マトリックス』、『アバター』といった、作中の時代以降の作品まで、映画の進化の歴史の中心にいた作品の映像が駆け巡ります。

 

個人の成功と挫折、栄光と破滅など超越し、映画は永遠に続く——。そこには、マニー、ジャック、ネリーの人生も交錯しています。スクリーンには映らないマニーを含め、彼らは、その歴史の中に確かに存在したのだと、強く感じさせられるラストシーンでした。

 

最後に

今回は映画『バビロン』の解説&感想でした。サイレント映画からトーキー映画への転換期に翻弄された映画人たちの光と影を描きながら、映画という芸術への敬意に満ちています。映画好きとして、心の琴線に触れるシーンの多い作品でした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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