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映画『ゴジラ-1.0』解説&感想 胸熱の物語と反核のエッセンス

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どうも、たきじです。

 

今回は2023年公開の日本映画『ゴジラ-1.0』の解説&感想です。アジア映画で初めてアカデミー視覚効果賞を受賞しています。

 

 

作品情報

タイトル:ゴジラ-1.0

製作年 :2023年

製作国 :日本

監督  :山崎貴

出演  :神木隆之介
     浜辺美波
     山田裕貴
     青木崇高
     吉岡秀隆
     安藤サクラ
     佐々木蔵之介

上映時間:125分

 

解説&感想(ネタバレあり)

終わっていない戦争

本作は、太平洋戦争末期の1945年から戦後の1947年を舞台としています。時代としてはゴジラ第1作の『ゴジラ』(1954年)に近く、同作と同様、本作でも戦後復興の最中の日本をゴジラが襲います(無論、第1作ではそれがリアルタイムだったわけですが)。


戦争の惨禍とゴジラが重ねられるのは共通しますが、ストーリー上の意味合いは全く異なります。本作は元特攻隊員の敷島(神木隆之介)の主観で描かれ、「俺の戦争はまだ終わっていない」を主軸として物語がうまくまとめられています。ゴジラは「終わっていない戦争」の象徴というわけですね。


戦争で特攻を成し遂げられなかった敷島。大戸島ではゴジラを撃てず、多くの兵隊を死なせてしまいました。敷島がこうしたトラウマを抱える様子や、典子(浜辺美波)とのいびつな関係を含め、ゴジラシリーズの中でも、本作のドラマ性は随一です。


終盤で、幼い明子や国を守るために特攻という策を秘めた敷島の覚悟には胸が熱くなります。しかし、本作が描くのは自己犠牲の美学ではありません。敷島は、橘(青木崇高)の助けもあって、ゴジラを倒しつつ生き残るすべを見い出します。「生きる」ことの意味を前面に押し出した本作の物語には、さらに胸が熱くなります。


ラストシーンの意味

本作は、そうして物語の骨格がしっかりしつつ、いい意味でベタにストーリーが展開するのが心地よくもあります。


飛行技術は高いが臆病だった男が、最後には意を決してゴジラに挑むという展開は熱いですし、冒頭に登場した橘が震電を整備するというのも然り。クライマックスではピンチでここぞとばかりに水島(山田裕貴)が登場。ゴジラに特攻すると思われた敷島は射出座席で無事に脱出。中盤で死んだかと思われた典子も無事に生存していました。


ところが、ラストシーンでそれは覆ります。敷島と再会を果たした典子の首元には、何やら黒いアザのようなものがうごめいています。ゴジラの放射線の影響なのか何なのか定かではないものの、これは明らかに不穏です。さらには、海中に沈むゴジラの身体には復活の兆しが見て取れます。


ここまで変に捻らずに気持ちよくストーリーが展開してきた中でのこの不穏なラストシーン。正直言って、最初は少し違和感を覚えました。しかし、よくよく考えれば、日本のゴジラ映画として、これは描くべきことだったと気づきます。


ゴジラ誕生の経緯は作品によって多少の変化がありますが、共通するのは核実験がきっかけになっているということ。第1作の『ゴジラ』は核実験によって安住の地を追われて出現したと作中で推測されています。また、本作を含む多くの作品では、核実験で放射線を浴びたことで変異したという設定です。ゴジラと核は切っても切れない関係にあり、ゴジラは核兵器のメタファーであるとも言えます。


本作においても、ゴジラの銀座襲撃のシークエンスでゴジラが熱線を吐いた後のキノコ雲のような描写や、典子を失って叫ぶ敷島に降り注ぐ黒い雨のような描写は、原爆を思い起こさせます。


ゴジラが核兵器のメタファーであり、"反核"がゴジラ映画に欠かせないエッセンスと考えれば、ゴジラの熱線による爆風を真っ向から受けた典子が、怪我だけで済むなんていう結末はありえないこと。ラストシーンの描写は、放射能の漠然とした恐怖を落とし込んだものでしょう。この辺りは、核兵器をただの強力な爆弾のように描くことの多いアメリカ映画とは一線を画しています。


また、2016年の『シン・ゴジラ』では、ゴジラは自然災害(特に原発事故を伴った東日本大震災)も想起させるものとして描かれていました。本作の場合、時節柄、コロナ禍も想起させます。つまり、ゴジラは核兵器のみならず、戦争、自然災害、パンデミックといった、人類が容易には解決できない災厄のメタファー。なればこそ、ゴジラをやっつけてめでたしめでたしとはいきません。ラストシーンにおけるゴジラ復活の兆しは、災厄は必ずまたやってくることの示唆でしょう。第1作のラストシーンでの台詞「あのゴジラが最後の一体だとは思えない」とも共通しますね。


アカデミー賞に輝いた視覚効果

『シン・ゴジラ』のゴジラは無感情で動物を超越したようなある種の神々しさがありました。一方、本作のゴジラは野生味溢れ、縄張りを荒らされた動物のような凶暴性があります。それがシン・ゴジラとはまた違った恐怖を演出しています。


銀座襲撃のシークエンスは特に印象的。上でも触れた熱線を吐くシーンもそうですし、典子の乗った列車が破壊されるシーン(第1作のオマージュ?)も痺れました。

 

冒頭述べた通り、本作はアジア映画で初めてアカデミー視覚効果賞を受賞しています。ハリウッド映画とは比べものにならないくらいの少人数、低予算で、これだけの映像を作り上げたことが評価されたとも聞きます。


山崎貴監督は、VFXを前面に押し出した作品を数々手掛けてきましたが、10年20年前の作品は、まだまだハリウッド映画の視覚効果に見劣りするものでした。それが本作ではハリウッド映画と同レベルの視覚効果を見せてくれました。


素人感覚では、視覚効果の技術は行くところまで行っていて、ある程度コモディティ化しているように感じます。技術がコモディティ化した時、勝者となるのは低コストでそれを実現できた者。いくつかの産業で日本企業が中国企業にシェアを奪われたのと同じようなことが、視覚効果の世界でも起きているのかもしれません。


その他あれこれ
  • 本作では第1作から多くのゴジラ映画で音楽を担当した伊福部昭の音楽も使われています。ゴジラの銀座襲撃のシーンで流れる『モスラ対ゴジラ』の有名な音楽や、海神作戦のシーンで満を持して流れるゴジラのテーマ曲は鳥肌モノ。ゴジラを象徴するこの2曲が流れるタイミングは完璧ですね。
  • あっという間に傷が修復してしまうゴジラの再生能力は、あまりにも現実離れしています。まあ、ゴジラという存在自体が現実離れしているのですけどね。
  • ゴジラを深海に沈めることには成功するが、引き揚げに苦戦するという展開を読んでいたかのように、絶妙なタイミングで水島達の船が応援に駆けつけるのは、ややご都合主義を感じました。
  • 主演2人もさることながら、脇を固める安藤サクラや佐々木蔵之介の演技が素晴らしく印象に残ります。アクの強いキャラクターを、臭い芝居にならずに極めて自然に表現していて、いい味を出しています。

 

最後に

今回は映画『ゴジラ-1.0』の解説&感想でした。胸が熱くなる物語、反核のエッセンス、アカデミー賞に輝いた視覚効果、それらが合わさって素晴らしいゴジラ映画に仕上がっています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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