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映画『君たちはどう生きるか』考察&感想 引退作に相応しい示唆に富んだ作品

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どうも、たきじです。

 

今回は、2023年公開の映画『君たちはどう生きるか』の考察&感想です。宮崎駿が監督を務めたスタジオジブリの最新作です。

 

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その他の宮崎駿監督作品の解説&感想はこちらから(各作品へのリンクあり)

作品情報

タイトル:君たちはどう生きるか

製作年 :2023年

製作国 :日本

監督  :宮﨑駿

声の出演:山時聡真
     菅田将暉
     柴咲コウ
     あいみょん
     木村佳乃
     木村拓哉
     大竹しのぶ
     竹下景子
     風吹ジュン
     阿川佐和子
     滝沢カレン
     國村隼
     小林薫
     火野正平

上映時間:124分

考察&感想(ネタバレあり)

描きたいことを描く作風

宮崎駿監督の長編作品は全て鑑賞していますが、本作以前の最新のファンタジー作品2作『ハウルの動く城』、『崖の上のポニョ』はあまり好きにはなれない作品でした。


詳しくは各作品の記事に書きましたが、好きになれない理由は共通しています。それは、物語を紡ぐ上で描くべきことが描かれていないこと。ファンタジーとしての様々な設定が説明不足であったり、登場人物の行動の動機づけとなる心理描写が欠如していたりするということです。


行間を読ませる上での「行」自体がない、まるで「段落」や「章」がすっぽり抜けているような感覚です。結果として、物語は分かりにくく、観客は映画に入り込みにくくなります。監督の頭の中にはすべての答えがあるのでしょう。しかし、監督は描きたいことだけを描きます。それが独りよがりにも感じられました。


非ファンタジーであった前作『風立ちぬ』はそんなことはなくて、むしろ監督の作品で1番好きな作品だったりするのですが、本作は再びのファンタジー作品。おそらく、『ハウル』や『ポニョ』のような感じなんだろうなという心構えで本作を鑑賞しました。


実際、本作も『ハウル』や『ポニョ』のような説明不足は目立ちます。例えば、眞人が異世界で若いキリコに会うシークエンス一つとっても、振り返ってみると、疑問だらけ。

・門が閉じられたあの墓は誰の墓?
・なぜ墓にペリカンが押し寄せた?
・キリコはなぜ異世界で船乗り?
・あの半透明の人間は何者?
・なぜキリコはヒミと他人のような言動?
・女中達の人形はなぜ出現?
・老キリコはなぜ異世界で人形に?


という具合。「観客を楽しませる」ことよりも「描きたいことを描く」ことを重視しているかような作風は変わっていないように見えます。


一方で、後述するように、監督が描かんとしていることは割と明確に感じ取れましたし、主人公・眞人の心理描写も十分に見られたことから、私にとっては『ハウル』や『ポニョ』よりも"分かりやすい作品"でした。

 


物語の解釈

私の理解では、本作は眞人の人生の選択の物語です。


子供なりの苦難に直面する中で、眞人がいざなわれた異世界。その世界は、かつて飛来した石の力で、(眞人の母の)大おじが創造した世界です。つまり、大おじはその世界の神になったわけですね。大おじは世界の均衡を保とうと努めています(石の積み木を積み上げるという形で象徴化されています)。


でも自分にはもう限界だと。擬人化されたインコが増殖し過ぎてしまって、世界の均衡は崩れかけています。現実世界の命の元である"わらわら"は魚が獲れなくて飛び立てません。やっと飛び立てたと思ったら、同じく魚が獲れずに飢えているペリカンに食べられてしまいます。


それで大おじは後継者を求めるわけですね。後を継がせるなら血縁者じゃないといかんということで、眞人の母ヒサコや叔母ナツコ(とお腹の中の子供)、そして眞人がいざなわれたのでしょう。神の仕業で現実世界から姿を消したわけですから、文字通り神隠しにあったわけです。


もしかしたら「現実世界にわだかまりを抱えている」(=現実世界への未練が少ない)ということで彼らが選ばれたのかも。ヒサコは眞人の話に「私と同じだ」と言っているように母親を失っているようですし、ナツコと眞人は互いにギクシャクしていますから。


ヒサコは異世界ではヒミと名になっていて、火を操ってわらわらを助けたりしています。ヒミという名を聞いて、私は"火の巫女"を連想しました。巫女は神に仕える者。後継者ではなく補佐役として採用されたのでしょうか。


ナツコは身重ですから、どちらかというとお腹の中の子供を当てにされたのかもしれません。立ち入るのが禁忌であるとされる産屋で守られていましたね。


そして、最終的に大おじが指名したのは眞人でした。大おじは、眞人に後継者となるよう頼みます。これはつまりタイトルにもある「どう生きるか」の問いです。それに対し眞人は、後継者になることを拒み、苦難に満ちた現実世界に戻ることを選びます。


これには監督の前作『風立ちぬ』が思い起こされます。同作で「風立ちぬ、いざ生きやめも」の一節で表されたように、「苦難に立ち向かい、生きていかねばならない」と、眞人も決意したのでしょう。


現実世界で、眞人なりの苦難に直面する中での異世界での経験。これを通して、強い決意を持って、現実世界に帰っていく。本作はそういう物語です。

 

眞人の心理描写

本作は眞人の主観で描かれる物語であり、オープニングやエンディングでは眞人のモノローグもあります。一方で、眞人の心理描写は安易に台詞に頼らずに眞人の表情や行動によってなされています。


眞人にとって、幼少期に母を失ったということは大きな心の傷。それだけでもつらいのに、すぐに義母となる女性が現れ、それが母親にそっくりな叔母。さらにはお腹には子供がいる。父親は無神経にも学校に車で乗りつけ、それを誇らしげに語る。級友からは疎ましく思われ喧嘩になる——。眞人はそんな状況に身を置かれています。


眞人は、義母のお腹に手を当てられた時には戸惑いの表情を浮かべます。義母が遠くで呼ぶ声には反応しません。やがては自分の頭を石で傷つけます。そんな行動からは眞人の父親や義母に対する複雑な感情が溢れています。序盤はやけに大人びた落ち着いた少年に見える眞人ですが、眞人は心を閉ざしているに過ぎなかったことが徐々に感じられてくるのです。


そんな眞人も次第にに変わっていきます。母が遺した本『君たちはどう生きるか』を読んだこと、アオサギとの奇妙な友情、少女期の母との出会い、それらを通じてナツコに対する姿勢も変わっていきます。そして、眞人はナツコを異世界から連れ戻すことを決意し、「父さんの好きな人」からやがて「ナツコ母さん」と呼ぶに至るのです(ただし、この変化につながる描写はもう少し厚めに描いた方が、より説得力が増したようにも感じられました)。

 


「解釈の余地」と「説明不足」

こうした眞人の感情や変化が感じ取れる一方で、ナツコの感情は見ていてあまり感じ取れません。主人公ではないとは言え、個人的にはナツコの心理描写がもう少しあってもいいのではないかと感じました。


映画を通してナツコが何を考えているのかがいまいち掴みきれないんですよね。ナツコが異世界に行ったのは、自らの意思なのか、それとも何らかの形でいざなわれたのか?産屋に来た眞人に対して「お前なんか大嫌いだ!」と言ったのは真意か、それとも眞人を想って帰すための方便か?など、はっきりしません。この辺りは物語全体の理解にも影響する要素なので、もう少し示唆があってもいいでしょう。


物語の描き方として「解釈の余地を残す」というのは一つの手法ですが、それによって何らかの効果を生み出すことが前提。例えば、ある重要なポイントをぼやかして観客の解釈に委ねることで印象付けたり、余韻を残したりといった具合です。


ですが、本作のそれはもちろんその類ではありませんし、こうした解釈の余地が全編通して溢れていますからね。それに、おそらく監督の頭の中には明確な答えがあるのでしょう。そうすると、やはりこれは単なる説明不足であり、物語の描き手としての役割を放棄しているように感じてしまうんですよね。


まあ、上述の通り、本作はまだ監督が描かんとしていることが明確で、眞人の心理描写はできている分、全体としては肯定的に捉えているのですけど。

 


感情の動きが作るクライマックス

本作には、誰もがカタルシスを感じるような分かりやすいクライマックスはありません。しかし、眞人が苦難に満ちた現実世界で生きていく決断をするシーンや、ヒミとの別れのシーンは、物語のクライマックスと言えるでしょう。


特に後者のシーン。未来に火事による死が待ち受けることを知りつつも現実世界に戻るというヒミ。「眞人の母親になれる」ことに希望を見出して戻っていきます。眞人にとって、死に目に会うこともできずに迎えた母の喪失は、大きな心のつっかえだったはず。その母が、どんな思いで自分を産んだか(例えヒミとしての記憶が現実世界で失われたとしても)を知ったことは、心の解放につながったことでしょう。


アクション映画的な盛り上がりはなくても、登場人物の決断や感情の動きがクライマックスになる。こういう映画、私は好きです。

 

物語に隠された裏テーマ

本作の物語についての私の解釈は上述の通りですが、もう一つ、本作は宮崎駿監督が自身の経験や立場を重ね合わせたかのような裏テーマが隠されているように感じました。


監督の幼少期、父親は航空機の部品製造会社を経営。母親は病気で寝たきり。戦時中は、東京から地方へ疎開。これらは、本作の主人公・眞人の境遇と重なります。監督は、眞人に自分を重ね合わせたのでしょう。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』に影響を受けた点でも共通します。そうした点からは、本作は監督の少年期の思考や感情を、ファンタジーという形で抽象的に表現したものと見ることができます。


しかし、物語が進むにつれて大おじもまた監督を重ねたキャラクターであることが見えてきます。異世界の神のような存在である大おじは、アニメの世界を牽引してきた監督とも重なりますよね。


私は、眞人=宮崎駿として見ていたので最初は全く大おじと監督を重ねて見ていなかったのですが、13個の石の積み木を3日に1回積み上げるという話でハッとしました。宮崎駿の劇場用の監督作品は短編の『On Your Mark』を含め本作で13作目。平均するとおよそ3年に一度のペースで作品を制作しています。上記の話は、監督の作品制作を重ねているように感じられます。


劇中の大おじと同様に、監督もまた正当な後継者と言える存在は見つかっていません。一方で、自身が様々な小説や映画から影響を受けたのと同じように、監督は様々なクリエイターやアーティストに確実に影響を与えています。


映画のラストで、眞人は大おじの後継者になることを拒みつつも、落ちていた石の積み木を持ち帰ります。積み木がクリエイターの創造物(あるいはその元となるアイデア)のメタファーだとすると、落ちていた積み木を持ち帰ったことは、断片的ではあれど、大おじの一部を受け継いだということ。こうして芸術は継承されていくという示唆が感じられます。


本作で、主題歌に米津玄師、声優として菅田将暉やあいみょん、木村拓哉ら、業界のトップで活躍するアーティストを起用したことからも、それが感じられました。


米津玄師やあいみょんは、まさに古いものにも多分に影響を受けながら、全く新しいものを創り続ける天才アーティスト。菅田将暉は若手で最も勢いのある俳優の1人ですし、木村拓哉はアイドルとして一時代を築き、現在も俳優として第一線で活躍しています。


考えてみれば、宮崎駿監督が、米津玄師のようなメジャーで活躍するトップアーティストを主題歌に起用するのは異例のこと(『魔女の宅急便』や『風立ちぬ』でユーミンを起用した例はありますがいずれも既存曲を使用)。あいみょんに声優をやらせることも、菅田将暉にアオサギ役をやらせるのも必然性が感じられません。それに、本作は劇場公開に際して宣伝を行わず、出演者や主題歌も公開日まで未公表でしたから、ビッグネームを起用する宣伝効果も公開後の口コミに限られますからね。


にもかかわらず、本作では彼らを起用したわけで、それは"芸術の継承"という本作の裏テーマに沿ったものであると、私は解釈しています。


監督は何度も引退宣言をしては撤回を繰り返していますが、本作で描いた内容を踏まえると、本作こそが引退作に相応しい作品だと思います。

 

最後に

今回は、映画『君たちはどう生きるか』の考察&感想でした。説明不足なせいもありますが、非常に示唆に富んだ作品なので、観終わった後にじっくり考察してしまいました。上述の通り、この内容を踏まえると、本作こそが宮崎駿監督の引退作に相応しい作品と言えるでしょう。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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