どうも、Takijiです。
今回は映画『X-MEN:フューチャー&パスト』の解説&感想です。『X-MEN』三部作の前日譚にあたるシリーズの第二作です。
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作品情報
タイトル:X-MEN:フューチャー&パスト
原題 :X-Men: Days of Future Past
製作年 :2014年
製作国 :アメリカ、イギリス
監督 :ブライアン・シンガー
出演 :ヒュー・ジャックマン
ジェームズ・マカヴォイ
マイケル・ファスベンダー
ジェニファー・ローレンス
ハル・ベリー
エレン・ペイジ
ニコラス・ホルト
ピーター・ディンクレイジ
イアン・マッケラン
パトリック・スチュワート
上映時間:131分
解説&感想(ネタバレあり)
2つのシリーズの融合
マーヴェルの人気シリーズ『X-MEN』の映画としては、まず『X-MEN 』(2000年)、『X-MEN2』(2003年)、『X-MEN: ファイナルディシジョン』(2006年)の三部作が公開され、その後、三部作よりずっと前の時代を描いた『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』(2011年)が公開されました。そして、それに続くのが2014年に公開された本作で、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編であると同時に三部作の続編にもなっています。
というのも、本作はまず、三部作の後の時代から始まります。2023年、ミュータントを殺すために作られたセンチネルと呼ばれるロボット兵器により、ミュータントや彼らに協力する人間は次々に殺害されていきます。
プロフェッサーX(パトリック・スチュワート)、ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、ストーム(ハル・ベリー)らは、マグニートー(イアン・マッケラン)と手を組んで闘いますが、センチネルの軍勢の前に劣勢です。そこで、過去に精神を送り込むというキティ(エレン・ペイジ)の能力を使ってウルヴァリンを過去に送り込み、センチネルが作られるに至る歴史、すなわちレイブン/ミスティーク(ジェニファー・ローレンス)が起こす暗殺事件を止めようとします。そのウルヴァリンが送り込まれるのが1973年で、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の後の時代ということです。
キャストの違う2つのシリーズを一つの映画で同時に描くというのは、素晴らしい発想です。それぞれキャストの違うシリーズが合わさると、とにかく豪華です。スター性のあるヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンがストーリーの軸になることで、その点でもかなり華やかになりました。
メインのストーリーは1973年で展開するので、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編としての色の方が濃いですが、三部作を見ていないとディテールで分からない部分もあるので、しっかり楽しみたければ三部作も見ておいた方がベターです。
見たことがあるようで全く新しい映画
絶望的な未来から過去に使者を送り込むというと、『ターミネーター』シリーズを思い起こさせます。『ターミネーター』と異なるのは、ウルヴァリンの実体は未来にあるままなので、過去と未来で時間が並行して進んでいくところです。これによって、過去と未来のアクションがカットバックで繋がれ、緊迫感を高めています。
また、未来では寝ているウルヴァリンが過去で闘っているという描写は、『インセプション』を思い起こさせます(エレン・ペイジが出ているから余計に)。過去でウルヴァリンが動揺すると、未来でうなされたように爪が飛び出すといった描写も『インセプション』ぽいですね。
このように様々な映画の要素をうまく盛り込みつつ、他にない新しい映画に仕上げるというのは、とても好感が持てます。
1973年で描かれるドラマ
前作ではキューバ危機をストーリーの背景としていましたが、本作のメインの舞台となる1973年はベトナム戦争が集結に向かう時代で、本作はこの世相を反映しています。この時代のエリック/マグニートー(マイケル・ファスベンダー)が、ケネディ暗殺の罪で収監されていたり、ニクソン大統領が登場したりします。
本作はウルヴァリンをストーリーの軸に据えつつ、ドラマとしてはチャールズ/プロフェッサーX(ジェームズ・マカヴォイ)、エリック、レイブンが中心となります。前作に比べると登場人物の内面をしっかり描けているので、感情移入もしやすくなっています。
チャールズは、前作でエリックやレイブン、そして自分の脚を失いました。ミュータントのための学校を開きますが、やがてベトナム戦争で生徒や教師を徴兵にとられてしまいます。薬に頼るばかりに、テレパシーの能力も失っています。そんなチャールズが、ウルヴァリンの説得によって、レイブンのために、そしてミュータントの未来のために立ち上がり、自分と向き合っていく様子は、一つの見所でしょう。
それにしてもマグニートーがあんなに人間を敵視する方にばかり行くのは、相変わらず理解しきれません。盟友であるミスティークを殺して解決しようとしたり、テレビカメラの前で閣僚達を殺そうとしたりと、やりたい放題です。
もっとうまくやれよ!お前がこじらせてんだよ!
と思いながら見てしまいました。センチネルを操れるのなら、センチネルを暴走させて、それを自分で倒すみたいに自作自演して、ヒーローになっちゃうとか、もっと穏便なやり方がいろいろあるだろ!
この結末はハッピーエンドか?
ウルヴァリンやチャールズ達の活躍によって、歴史は変わり、2023年の未来は平和になっていました。三部作の最後で死んでしまったキャラクターも生きていて、歴史が書き換わった形です。当初の目的を100%達成したのは間違いないのですが、それでもこれをハッピーエンドと捉えていいのかなとも思ってしまいます。
救われた未来で、戦争状態だった2023年の記憶があるのはウルヴァリンだけで、あとの人達は、映画で描かれた1973年の世界線の人々です。ミスティークが銃を下ろした瞬間に歴史が書き換わり、もとの2023年は消滅してしまいました。
これって、2023年で闘っていた彼らにとっては"死"と同じではないのかな?ウルヴァリンにとっても、彼が過ごした1973年から2023年の思い出を共有できる仲間はいなくなったわけですから、仲間を失ったようなものです。2023年で闘っていた彼らにとっては、自分達の世界はもう諦めて、せめて自分達が平和に暮らしている世界線を作るために奮闘したに過ぎないということです(漫画『ドラゴンボール』の未来のトランクスがやったことと同じですね)。
1973年に元々いたウルヴァリンにしても、精神を未来の自分に奪われたわけですから、穏やかではありません。未来のウルヴァリンの精神が抜け去ったことで、いったん精神を取り戻したのでしょうが(水から上げられた時)、2023年になるとまた精神を奪われるわけです(学校で目覚めた時)。これも一つの"死"です。
つまり見方を変えれば、2023年の世界ではウルヴァリン以外は死に、1973年の世界の人は救われたもののウルヴァリンは死んでしまったということになります。まあ、何もしなければ、どちらの世界線でも2023年に全員センチネルに殺されてしまうのだから、1つの世界線を救えたことはハッピーエンドだと捉えればいいのか。
スケールアップしたアクション
本作は前作に比べて、アクションは格段にスケールアップしています。
前作は未熟なヒーロー達のぎこちなさの残るアクションでしたが、本作の特に2023年ではバリバリのヒーロー達とセンチネルのハイレベルな闘いが描かれるわけですから当然と言えば当然です(彼らがセンチネルに無残に殺されるところを二度も見るのはつらいことですが)。嵐を起こしたり、炎を出したり、テレポートしたりと、映像的にとても映えます。
マグニートーは、2023年で戦闘機を操って見せたかと思えば、1973年では野球場をまるごと動かして見せます。こちらは相変わらずやることが派手です。
個人的に面白かったのは、肉眼では見えないほどのスピードで動くピーター/クイックシルバーの能力。ペンタゴンの地下深くに収監されたマグニートーを難なく脱獄させる様子をとても楽しく見せてくれます。警備員に囲まれ発砲された仲間達を助ける様子を彼の目線で見せた映像は面白いです。スローモーションで動く世界で、ゆっくり遊びながら警備員達を倒し、銃弾の軌道も変えてしまうのですから、完全にチートキャラですね。
最後に
今回は映画『X-MEN:フューチャー&パスト』の解説&感想でした。2つのシリーズを融合させるという画期的なストーリーで、とても楽しい映画でした。シリーズはこの後も続いていますが、この後の評判は今ひとつなんですよね…
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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