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映画『スミス都へ行く』解説&感想 正義のための孤独な闘い

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どうも、たきじです。

 

今回は1939年公開のアメリカ映画『スミス都へ行く』の解説&感想です。『モンタナから来た紳士』を原作として、フランク・キャプラ監督によって映画化された作品です。

 

 

作品情報

タイトル:スミス都へ行く

原題  :Mr. Smith Goes to Washington

製作年 :1939年

製作国 :アメリカ

監督  :フランク・キャプラ

出演  :ジェームズ・ステュアート

     ジーン・アーサー

     クロード・レインズ

     エドワード・アーノルド

     ガイ・キビー

     トーマス・ミッチェル

     ハリー・ケリー

 上映時間:129分

 

あらすじ

アメリカのとある田舎の州の上院議員が急死し、代わりに地元のボーイスカウトのリーダーを務めるスミス(ジェームズ・ステュアート)が担ぎ上げられます。子供達に人気で票が望めること、そして政治経験のない若者なので簡単に操れることを見込んでのこと。全ては州で新聞社を経営する権力者テイラー(エドワード・アーノルド)が裏で糸を引いているのでした。


理想に燃えるスミスは、故郷の自然の中に、子供達のためにキャンプ場を作るという法案を作ります。しかし、テイラーの意志により、同じ土地にダムを作る法案が出されていることを知ります。しかも、信頼していた先輩議員ペイン(クロード・レインズ)もテイラーに操られ、それに加担していることを知ります。さらには、スミスはテイラーの策略で罪をでっちあげられて告発されてしまいます。


汚い現実に絶望したスミスは故郷に帰ろうとしますが、秘書のサンダース(ジーン・アーサー)に励まされて奮起。議会で闘うことを決意し…。

 

解説&感想(ネタバレあり)

正義のための孤独な闘い

主人公のスミスは、やや滑稽にも映るほどに純粋すぎる男ではありますが、愚直に理想を追い求める姿にはやはり共感し、感情移入してしまいます。


フランク・キャプラ監督の過去作『オペラハット』とストーリーの骨格は同じです(その辺の事情は『オペラハット』の記事を参照)。しかし、国会という舞台で、巨悪を相手に命懸けで闘うという特性上、本作の方がクライマックスの盛り上がりは大きく感じます。


一度議長から発言権を与えられたら、それを人に譲らない限り喋り続けられることを利用し、スミスは喋り続けます。最初はテイラーの不正を訴え、やがては独立宣言書や合衆国憲法をひたすら読み上げ、合衆国の理念を訴えるのです。フィリバスターと呼ばれるこの議事妨害が、正義のための孤独な闘いとして、非常に画になります。


もしスミスが行う議事妨害が、日本の国会で時々見られる牛歩戦術だったら映画になりませんからね。スミスが牛歩してる様子を想像して笑ってしまいました(笑)


また、スミスが法案提出時に初めて議会で演説した時とは打って変わって、堂々と人々に訴えかける演説をすることも感動的です。最初の時の緊張して声が震える感じなんて、私のモノマネかと思うくらい頼りないものでしたからね(笑)

 


リンカーンというモチーフ

本作において、正義の政治の象徴として、エイブラハム・リンカーンというモチーフが非常にうまく使われています。スミスがワシントンD.C.に到着して間もなくリンカーン・メモリアルを訪れ、リンカーン像に目を輝かせる序盤。そして現実に絶望したスミスが、再びリンカーン・メモリアルを訪れ、1人涙を流す終盤。この希望と絶望のコントラストが効いているからこそ、スミスが再び立ち上がる高揚感が増しています。


スミスを励ますサンダースの台詞もいいですね。

 

Your friend Mr. Lincoln had his Taylors and Paines.

リンカーンにだってテイラーやペインみたいな敵はいた。


So did every other man whoever tried to lift his thought up off the ground.

理想を貫こうとした人はみんなそう。


Odds against 'em didn't stop those men. They were fools that way.

勝算がなくても彼らは馬鹿みたいに突き進んだ。


All the good that ever came into this world came from fools with faith like that.

そんな信念を持った馬鹿が世の中をよくしてきたのよ。


この台詞でもリンカーンというモチーフが効いています。


余談ですが、以前、私はワシントンD.C.を訪れた際にリンカーン・メモリアルを訪れたことがあります。リンカーンについてさほど詳しくない私としては、スミスのようにリンカーンの政治に思いを馳せるのではなく、本作のスミスに思いを馳せてしまいましたね(笑)

 


ラストはちょっと引っかかる

上述の通り、本作はクライマックスにかけての盛り上がりも、クライマックス自体も素晴らしいのですが、ちょっと引っかかるのはラスト。ペインが改心して自殺を図るとともに、全ての真実を打ち明けるのです。この展開はあまりに唐突であっけなく感じられます。


確かに、ペインが改心するきっかけは描かれています。ペインは、スミスが力を振り絞って一人で何時間も喋り続ける姿を見ています。テイラーによって作られた世論の抗議文の山を前にしても、スミスは心折れることなく立ち上がります。かつてスミスの父と共に理想を追ったペインに対し、父の言葉"失われた大義"を使って語りかけ、やがて力尽きて倒れます。この一連のスミスの行動は、ペインの心に訴えかける力を持っていることは理解できます。


また、スミスに汚職の濡れ衣が着せられる前に、ペインはスミスのことを思いやって田舎に帰そうとしていたように見えますし、テイラーにも手加減してくれと頼んでいます。このように、一応、スミスを想う気持ちがあることも描かれてはいます。


それなのに、やはりラストで改心するのが唐突に感じられるのはなぜか。それは、スミスに罪を着せる時のペインは全く容赦がなく、何の迷いもなくスミスを攻撃しているように見えるからでしょう。毎回完全に振り切れてるんですよね。この辺の描写にペインの迷いや葛藤が見えれば、もっとラストが入ってきやすかったのかなと思うばかりです。

 


サンダースの心理描写

ペインの内面の描き込みはやや不十分に感じられる一方で、秘書のサンダースは丁寧な心理描写で内面が描かれている印象です。


最初は他の人達と同様に、スミスをやや馬鹿にしている節のあったサンダースですが、やがて変化が出てきます。きっかけとなるのは2人で法案作りに取り組むシーン。そこでスミスはサンダースに故郷のことを語ります。その中で、彼は父親によく言われていたことを語ります。 

 

Son, don't miss the wonders that surround you.

周りにある脅威を見逃すな。


Because, every tree, every rock, every ant hill, every star is filled with the wonders of nature.

木も岩も蟻の巣も星も、すべて自然の脅威に満ちている。


Have you ever noticed how grateful you are to see daylight again after coming through a long, dark tunnel?

長く暗いトンネルを抜けて光の中に出ると感動するね?


Always try to see life around you, as if you'd just come out a tunnel.

いつもその感度を抱いて生きていくんだよ。

 

"長く暗いトンネル"のようなところで生まれ育ったサンダースにとって、この台詞は刺さったことでしょう。故郷にキャンプ場を作り、国中の子供達に自然を体験させたいというスミスの理想のルーツを理解し、スミスという人間が単に純粋な馬鹿ではないと理解したはずです。うっとりした表情でスミスの話に聞き入るサンダースのクローズアップからもそれは読み取れます。


また、後のシーンでは、スミスが議会に立つことについて「子供を送り出す母親の気分」だと語ったり、「彼が打ちのめされるのは見たくない」と語るなど、ストーリーが進むごとに彼女のスミスに対する心情が描写されています。


加えて言えば、スミスとサンダースが名前の呼び方について話すシーンもいいシーンです。"サンダース"と呼び捨てにしていいかという話から入り、ファーストネームの話になります。最初は隠していた彼女ですが、やがて、"クラリッサ"だと白状します。スミスはそれを聞かなかったことにして、結局"サンダース"と呼ぶのが可笑しいですね。


このシーンは2人が打ち解けるきっかけの1つとなっていると同時に、リンカーン・メモリアルのシーンへの伏線になっています。サンダースに励まされたスミスが、「クラリッサ、一杯やらない?」と言って立ち上がるのです。


絶望に打ちひしがれていたスミスが復活するこのシーンで、初めてサンダースをファーストネーム呼びするという演出は、"スミス復活"の高揚感を高めています。


まあ、日本人には"クラリッサ"という名前から受ける微妙な印象が分からないのが悔しいところですが。

 


リメイクの可能性

本作ほどの名作でストーリーの骨格もしっかりした作品が、80年以上経った今日でもリメイクされていないのは意外ですね。


名作のリメイクには賛否両論あるでしょうが、現代のセンスでリメイクすれば、クライマックスはもっとエキサイティングになりそうな気がしないでもないです。


例えば、本作において、テイラーが自社の新聞でスミスを糾弾する記事を書き民衆を扇動するのに対し、ボーイスカウトの子供たちが真実を伝える新聞を手作りしてそれに対抗するシーンがあります。これは、良いシーンではあるものの、やや消化不良に終わっている印象もありました。


この辺り、現代の映画ならもっとうまく処理しそうだなと思いながら見ていました。上で述べた、少し残念なラストシーンも然り。


また、本作が撮られたのはまだテレビがない時代であり、新聞やラジオを牛耳る権力者が、事実を簡単に捻じ曲げて世論を操れるということが本作の肝となっています。テレビやインターネットが普及した現代では、映像の存在がある分、事実を捻じ曲げることは難しくなっています。それでも、フェイクニュースやSNSによる世論の誘導の問題は存在しており、この点は普遍的なテーマと言えるでしょう。その点でも、現代の人にも刺さる内容だと言えます。

 

リメイクするとした場合の一番の問題は、ジェームズ・ステュアート以上にスミスにはまる俳優が存在するとは思えないということかもしれませんね。

 

最後に

今回は映画『スミス都へ行く』の解説&感想でした。一部に残念なところはあるものの、本作の"キャプラ的理想主義"、および、それを体現したジェームス・ステュアートは素晴らしく、好きな映画の一つであることは揺るぎないですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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