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映画『フィールド・オブ・ドリームス』解説&感想 爽やかな感動作

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どうも、たきじです。

 

今回は映画『フィールド・オブ・ドリームス』の解説&感想です。1989年公開のアメリカ映画で、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』を映画化した作品です。

 

 

作品情報

タイトル:フィールド・オブ・ドリームス

原題  :Field of Dreams

製作年 :1989年

製作国 :アメリカ

監督  :フィル・アルデン・ロビンソン

出演  :ケビン・コスナー

     エイミー・マディガン

     レイ・リオッタ

     ジェームズ・アール・ジョーンズ

     バート・ランカスター

 上映時間:107分

 

解説&感想(ネタバレあり)

最後に分かる"本作は何の映画か"

"それを作れば、彼はやってくる"


謎の声に導かれ、とうもろこし畑を潰して野球場を作った男。やがて、その野球場に奇跡が起こる。


本作はどんな映画か、ネタバレを控えて話そうとすると、そういうぼんやりしたことしか言えません。そのため、実際に本作を見るまでは、どんな内容なのか今ひとつ想像がつかなかったという人も多いのではないでしょうか?


私もその1人で、初見時は、


「あれ、もう野球場完成しちゃうの?」

「野球映画ではないんだっけ?」

「なんかロードムービーみたいになってきたな」

 

って感じでした(笑)


それが最後の最後になって、ようやく本作が何の映画なのか分かるのです。

 

そうです。本作は、父と子の映画なのです。

 

"野球"の後ろに隠された"父と子"のドラマ

本作は、"野球"がストーリーの軸になっています。主人公のレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)は、謎の声に導かれて野球場を作ります。そこにかつて八百長事件でメジャーリーグから追放されたシューレス・ジョー(レイ・リオッタ)達8人の選手(いずれも故人)が現れます。


その後も、レイは謎の声に導かれ、作家のテレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)、医師のアーチー・グラハム(バート・ランカスター)に会います。


マンは、かつてエベッツ・フィールド(ニューヨークのブルックリン)でブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンと野球をすることを夢見た野球ファン。しかしドジャースはロサンゼルスに移り、エベッツ・フィールドも後に無くなります。


グラハムは、メジャーリーグで1試合だけ出場した元メジャーリーガー。その1試合では、守備についたのみで、一度も打席に立つことなく終わっています。


ジョー達8人も、マンも、グラハムも、野球に何らかの未練を残していたという共通点があります。レイの亡き父ジョンもまた、メジャーリーグには上がれずに終わった元野球選手でした。そして、ジョーが死後の世界から連れてきた野球選手の中にジョンの姿もあり、レイは仲違いしたまま死に別れた父との再会を果たすのです。


本編中、レイはモノローグにおいても、家族との会話においても、マンとの会話においても、何度も父のことを話していました。レイは子供の頃に父から野球の夢を託され、やがてそれが重荷になり、14歳でマンの著書に感化されて父を拒絶しました。そして、17歳で家出して、そのまま死別したのです。


ストーリーの裏で、父と子の物語が隠されるように動き、そして最後に2人の再会に帰結させる、この構成は秀逸だと思います。

 

キャッチボールが象徴する"和解"

このシーンのジョンは若い姿なので、レイのことはおろか、2人に確執があった記憶は持っていないと思われます。しかし、グラハムが老人の姿に戻った時に、直前まで野球をしていた記憶を持っていたことを踏まえれば、おそらくはグラウンドを去った後のジョンは、全てを理解していることでしょう。


そう考えると、2人がキャッチボールするラストシーンは、感動せずにはいられません。多くのアメリカ人男性にとって、父親とのキャッチボールというのは子供にとって特別なこと。どんな会話を交わすよりも、説得力のある"和解"のシーンになっていると思います。


キャッチボールをする彼らの背後に、多くの自動車の列が見えてくるラストカット、そしてエンドロールの最後に出る"For Our  Parents.(全ての親たちに捧げる)"が駄目押しの感動を呼びます。

 

謎の声の主は?

レイが父と再会できたことは、もちろん偶然ではないでしょう。「それを作れば、彼はやってくる」の彼はジョーではなく、父だった。つまり、一連のレイの行動の成果として父が現れたということです。


レイは、謎の声を聞いた時、型破りなことを何もしなかった父の二の舞は嫌だ、と行動を起こしました。そして、謎の声自体も、レイの心の声であったと理解できます。もちろん「それを作れば、彼はやってくる」ことをレイの心が知っているわけはないですから、神の啓示的な、何らかの霊的な要素も含まれていると思われますが、父との喧嘩別れに対する後悔と、それを解消したいという思いはレイの心に秘められていたということでしょう。


なお、"この声を演じたのは誰か"については、現在までに明らかにされていません(様々な憶測はありますが、いずれも信憑性が不確かなのでここには記載しません)。エンドロールでは、"The Voice(声)"を演じたのは"HIMSELF"となっています。"himself"、"herself"は本人役の時に使われる表現ですね。要するに、「"声"を演じたのは"声"です」と言っているようなもので、これはジョークでしょう(「レイの心の声だから"HIMSELF"ってことはケビン・コスナーだ」と書かれているものを見たことがありますが、これは全くの誤りです)。

 


ファンタジーの設定にあいまいさも

本作はファンタジー要素の設定があいまいなところがあるので、解釈を難解にしている部分があると思います。

 

  • 野球場でプレーしている選手達の姿が見える人と見えない人の違いは何なのか?
  • なぜマンにも謎の声が聞こえたのか?
  • なぜレイはグラハムに会いに70年代に行けたのか?
  • なぜ若い姿のグラハムは、野球場ではなく道端に現れたのか?
  • 野球場から出たグラハムはなぜ老人の姿になり、なぜもう若い姿に戻ってプレーできないのか


などです。設定に筋が通っているのが見えない分、その辺りは少しご都合主義にも思えてしまいますね。原作では説明されているのでしょうか?


野球讃歌として

本作は、いわゆる野球映画ではないながらも、野球讃歌としての側面も持った作品と言えるのではないでしょうか。


追放されてからの野球への渇望を語るジョーの台詞も、メジャーリーグでの打席に立つ夢を語るグラハムの台詞も、アメリカの国の歴史の一部たる野球の素晴らしさを語るマンの台詞も、強く胸を打ちます。


そしてそれに応えるかのように、映画の公開から30年以上の時を経た2021年、"MLB at Field of Dreams"と銘打って、とうもろこし畑の野球場でMLBの公式戦が行われました。


映画のために作られた野球場はMLBの試合を行う基準を満たさないため、隣に作られた新球場にはなるものの、これはロマンのある話ですよね。ケビン・コスナーの登場の後、とうもろこし畑の中から選手達が現れる様子は鳥肌ものでした。2022年も開催されるので、こちらも楽しみです。

 

↓ こちらは2021年の映像です。

 

最後に

今回は映画『フィールド・オブ・ドリームス』の解説&感想でした。ラストには爽やかな感動が待つ素敵な映画です。ただ、これが父と子のドラマだというのは最後まで分からないので、未見の人に本作を薦める時には困ってしまうのが難点ですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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