どうも、たきじです。
エヴァンゲリオン旧作未視聴の映画好きによる、新劇場版の感想として書いてきた記事も今回で第4弾。今回は第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想です。
前作は、シンジ主観に観客を引き込む形にうまく構成された物語構造が非常によく、完結編への橋渡しとしてしっかり作られた作品でした。ここまでの三作の中で、最も「映画になっている」作品であり、"旧作未視聴の映画好き"という立場の私としては、ようやく作品の世界に深く入り込めた気がしました。
その流れを受けての最終作。
今回も、旧作を知らない立場での率直な感想をまとめていきます。
↓ 前作の感想はこちら
作品情報
タイトル:シン・エヴァンゲリオン劇場版
製作年 :2021年
製作国 :日本
監督 :庵野秀明(総監督)
声の出演:緒方恵美
林原めぐみ
宮村優子
坂本真綾
三石琴乃
山口由里子
石田彰
立木文彦
清川元夢
山寺宏一
神木隆之介
上映時間:155分
旧作未視聴の映画好きの率直な感想
あからさまに落ち着いたテンポ
本作を観てまず強く感じるのは、やけにゆったりとしたテンポ感です。前作『Q』では落ち着いてきたものの、『序』『破』は物語を前に進めることを最優先したダイジェスト的な印象が顕著でしたから、相対的に本作の前半のテンポの落ち着きが際立って感じられます。
ここまでで背景を描き切って、ようやく庵野秀明監督が新劇場版で描きたかったことに腰を据えて向き合っている。そんな印象すら受けました。
時間をかけて描かれる"再生"
前半で描かれるのは、「戦い」ではなく「暮らし」です。田舎での原始的な生活を通して、労働、食事、会話といった人間らしい営みが描かれ、映画は「生きること」に焦点を当てます。
ここで、人間らしい暮らしを学んでいくレイと、少しずつ再生していくシンジ。そのプロセスを描くために、このゆったりとした時間は不可欠だったと思います。
特に印象的なのが、人間らしい営みを拒絶していたシンジの「なんでこんなにみんな優しいんだよ」という言葉です。これまでの自分の行動の結果に罪の意識を感じるシンジ。これまで、"叱責"されることが多かったシンジが、"受容"によって再生する。これがあるからこそ、後半で彼が自ら責任を背負い立ち上がる展開に説得力が生まれています。
ストーリーテリングはスマートさを欠く
過去作でも一部で感じましたが、ストーリーテリングの面では、相変わらずあまりスマートではない部分がありました。
例えば物語中盤では、アスカとマリが物語を牽引し、主人公であるシンジが不在となる時間がかなり長く取られています。これはストーリーテリングのセオリーから言えば、これはかなり大胆、というより危険な選択です。
主人公の復帰を鮮烈に描くための「溜め」と考えれば理解できなくもありませんが、観ている側としては間延びを感じてしまうのも正直なところでした。
また、シンジに発砲しようとするヴィレの女性2人の行動にも、強い違和感を覚えました。
ニアサードインパクトで肉親を失ったという背景を考えれば、感情的になるのは理解できます。しかし、状況を打開しようと動くシンジに対し、揃いも揃ってあのような行動に出るのはやや短絡的に感じます。
そもそもヴィレのメンバーはキャラクターが濃そうな割に、ほとんど描き込まれていません。そのため、この場面なんかは、物語を動かすために便利に使われている印象を受け、脚本が雑に感じられてしまいます。
親子の対峙としてのクライマックス
そんな中で迎えるクライマックス、ゲンドウとシンジの対決は、本作の大きな見どころです。精神世界で戦い、決着するという構成は目を見張るものでした。
『エヴァンゲリオン』が単なる特撮的なロボットアニメではないことを、改めて強く印象付ける場面になっています。「父と子の物語」としての決着は、『スター・ウォーズ』の旧三部作的でもあり、物語に深みを与えています。
アスカのモノローグと構成のチグハグさ
エピローグにかけてのストーリー運びは正直に言ってかなり違和感がありました。アスカが生い立ちを語るモノローグは、かなり唐突。確かにキャラクター理解を深めるという意味では効果的ですし、かなり食いつきのいい場面ではあると思います。
ただ、他のキャラクターには同様の描写が用意されていないため、構造上、かなり浮いている印象は否めません。結果として、物語全体にチグハグさを感じてしまいました。
メタ演出への違和感
さらに、レイのシーンでは、過去作の映像がプロジェクションされます。浜辺のシーンではシンジの姿が突然、絵コンテのような描写になります。急に演出がメタ的になり、観客を現実へ引き戻すかのようです。
ラストシーンに至っては実写映像。ホームにいるシンジとマリ。向こうのホームには他の登場人物たちが立ち、シンジとマリは彼らとは別の方向へ向かっていきます。
ここまで紡いできた物語をぶった斬って現実に引き戻すというのはかなり大胆な終わらせ方です。もちろん、こうした終わらせ方は本作が初めてというわけではありません。
例えば、イスラエルのアニメ映画『戦場でワルツを』(2008年)のラストでは現実の生々しい映像が実写で映し出され虐殺の事実を伝えます。『シンドラーのリスト』(1994年)のラストでは映画で描かれた人物本人と、その人物を演じた俳優が手を取り合います。あるいは、『チャップリンの独裁者』(1940年)のラストでは、チャップリン演じる床屋が演説を行いますが、それはこれまでの床屋のキャラクターをある意味無視していて、まるでチャップリン本人の演説のようです。
ここで例に挙げた作品も、ある意味でラストシーン直前で映画を終わらせ、観客を現実に引き戻しています。いずれも戦争に関わる作品であることもあって、ラストのメタ的な構造に明確な意図やメッセージがありました。
しかし、本作の場合は、私はその意図を汲み取れませんでした。観客の没入をあえて壊す演出だとすればそれは成功したと言えるでしょうが、その意図が伝わっていないとすれば、それはただの自己満足に終わってしまいます。
また、レイのシーンで過去作の映像が映されたように、エヴァ旧作も存在する現実に世界を広げられてしまうと、目の前の作品にだけ向き合ってきた私のような旧作未視聴者は、途端に突き放された印象を受けてしまいます。
この結末の理解に旧作の知識が必要なのだとすれば、結局この4部作は旧作からのファンに向けた作品ということなので、これ以上、私が語ることはないんですよね。
最後まで釈然としないマリという存在
この結末の理解と関係するかもしれませんが、本作を通じて、最も釈然としなかったのがマリというキャラクターです。
「ワンコくん」みたいなあだ名呼びや、「〜にゃ」という喋り方に軽い嫌悪感を覚えた、という個人的感想はさておき、それ以上に物語上の立ち位置が最後まで曖昧なキャラクターでした。登場人物との関係性は中途半端。ドラマの深層には入り込まない。それでいてメインキャラのように扱われます。
また、冬月との会話や、「ゲンドウくん」「ユイさん」呼びなど、彼らの関係者であることが示唆されるものの、結局はよく分からないままです。その曖昧な存在が最後に重要な役を担うというのは、どうしても腑に落ちませんでした。
圧倒的だったシンジの声の演技
シリーズを通して特筆すべきは、シンジ役の緒方恵美さんの声の演技です。
声の良さという生来の魅力もそうですが、それよりも演技としての表現力に魅了されました。声の震え、抑揚、間の取り方といった演技表現が群を抜いています。
正直、この声がなければ物語の説得力はここまで成立しなかったのではないかとすら感じました。
結論:最後の最後で旧作未視聴者を突き放した
4作を通じて、物語の世界に徐々に入り込み、後に行くほど楽しく、先の展開にワクワクしながら観られたのは事実です。シンジに感情移入させられましたし、父との対峙とその決着にも納得感はありました。アスカやレイとの関係、その結末に一抹の切なさを覚えたのも確かです。そういう意味では、ある程度このシリーズにのめり込み、魅力はそれなりに理解できたと思います。
しかし、不明な点を残しすぎている部分はあまり好きになれません。一部に解釈の余地を残すというストーリーテリングの手法は嫌いじゃないですが、本作の場合、「解釈の余地」というより「説明不足」。この辺りは『君たちはどう生きるか』のレビューでも詳しく書きましたが、物語の描き手としての役割を放棄しているように感じてしまうんですよね。
余白がある物語 → 観客への信頼
説明不足の物語 → 観客への責任の押し付け
本作は、私には後者に見えました。その責任を喜んで引き受けられるファンにとっては、楽しいでしょうが、私には製作者の怠慢に感じられました。
もっとも、私がそう感じてしまったのは、旧作未視聴だからこそかもしれません。しかし、ここまで一映画好きとして、作品に向き合って観てきたところで、最後の最後に突き放された印象を受けてしまったのは事実。全体としては楽しんでいただけに、モヤモヤする後味は残ってしまいました。
個人的な満足度:7/10
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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