どうも、たきじです。
今回は1954年公開の日本映画『七人の侍』の解説&感想です。
作品情報
タイトル:七人の侍
製作年 :1954年
製作国 :日本
監督 :黒澤明
出演 :三船敏郎
志村喬
津島恵子
木村功
加東大介
宮口精二
稲葉義男
千秋実
土屋嘉男
藤原釜足
上映時間:207分
解説&感想(ネタバレあり)
世界中でリメイクされた魅力的なストーリー
オールタイムベストのようなランキングには、国内外問わず上位にランクインする本作。演出、脚本、撮影等の技術、技法といった文脈での歴史的価値は高く、まさに映画史に残る名作です。個人的には、映画としての面白さでは、『用心棒』や『椿三十郎』といった作品の方が、黒澤映画の中でも上だと思いますが、『七人の侍』が映画史に残る名作であることは何ら否定のしようもありません。
本作をモチーフとした作品は、アメリカ映画『荒野の七人』を始めとして、世界中で製作されています。そこからも分かるように、ストーリーの骨格がもう面白いです。
野武士に狙われた村の百姓が、村を守ってくれる侍を探す。金や出世にならない戦にも関わらず、それを引き受けた侍が七人。七人の侍と百姓が力を合わせて野武士と戦う。シンプルながら興味を惹かれるストーリーですよね。
七人の侍が集まる序盤から抜群に面白いです。仲間が増えていく様子は、連ドラで1人ずつじっくり描いても面白そうなところです。Netflixあたりが、巨額の予算でやってくれないでしょうか。プレッシャーが大きすぎて、誰も監督を引き受けたがらないかもしれませんね(笑)。
三船敏郎演じる菊千代の魅力
本作はそうしたストーリーの面白さに加えて、キャラクター(役柄、役者含め)が良いものですから、余計にぐいぐい引き込まれていきます。
中でも圧倒的な存在感を示すのは三船敏郎演じる菊千代。型破りな男で、登場から非常にキャラ立ちしています。また、百姓達が落武者狩りをしていたことが分かり、侍達が怒りを滲ませるシーンでの長台詞(残念ながら音が悪くて聞き取りにくいが)だったり、孤児となった赤子を抱いて「こいつは俺だ」と泣くシーンだったり、単なる型破りな男ではなく、百姓の生まれであるという背景によって魅力が増していますね。
手柄挙げようと持ち場離れて敵の火縄銃を奪うという行動も、侍として認められたいという思いからでしょう。結果的に仲間を失い、責任を感じて墓地で落ち込むシーンでも、さらに菊千代の内面が掘り下げられています。こうした菊千代のキャラクター描写によって、本作のドラマ性が高まっています。
野武士を迎え撃ち、「来やがった来やがった」と楽しそうにしてはいますが、百姓達へのシンパシーを持って戦っていることが感じ取れます。銃弾を受け力尽きながらも、執念で敵の頭領を討ち取る姿には鬼気迫るものがありました。
西部劇としてリメイクされた『荒野の七人』も面白い作品ですが、この作品では菊千代に相当するチコのキャラクターが本作ほど掘り下げられません。それ故に『七人の侍』と比較してしまうとどうしても物足りなさを感じてしまうんですよね。
黒澤映画でお馴染みの役者達
さて、菊千代に次いで印象深いのは、強さと人格を兼ね備えたリーダー勘兵衛でしょう。頭を触る仕草もいいキャラ付けです。演じる志村喬は貫禄のある堂々たる演技でした。『生きる』や『七人の侍』で主演する一方で、同時代の黒澤作品『蜘蛛巣城』や『隠し砦の三悪人』ではちょい役を演じるなど、黒澤作品における振り幅の大きい役者さんです。
ストイックな剣豪の久蔵(宮口精二)もキャラが立っていますね。1人でふらっと敵陣に潜り込んだかと思うと、火縄銃を奪取して戻ってくるというチートキャラ。『ルパン三世』の石川五ェ門のキャラクターは完全に久蔵がベースですよね。
若侍の勝四郎(木村功)は、キャラクター自体に魅力は感じないのですが、物語を彩る上で必要なキャラクター。勘兵衛に憧れて着いていくけですが、久蔵の活躍を見たら今度は久蔵に憧れたり、百姓の娘と恋に落ちたり、青臭さがいい感じに出ています。百姓の娘とのロマンスは小恥ずかしくて好きではないのですが、後述するように本作の重要なファクターである侍と百姓との軋轢を描く上では必要なエピソードでしょう。
その他の侍、五郎兵衛(稲葉義男)、七郎次(加東大介)、平八(千秋実)は、他の4人に比べて描き込みは弱い印象です。
さて、この七人の侍を演じた役者以外にも、藤原釜足や土屋嘉男など、本作には黒澤映画お馴染みの役者達が集まっています。黒澤監督も役者達も、本作時点ですでに十分な実績があるわけですが、本作以降ももっともっと活躍していく人達です。そんな役者達が集結した"初期作"である本作は、なんだか青春の輝きのような魅力も感じます。
侍と百姓の軋轢
さて、金にも出世にもならない戦に命を賭ける七人は紛れもなくヒーローですが、本作は単なるヒロイックな活劇には終わらず、リアルなドラマを描いているところも魅力でしょう。上でも触れたように、侍と百姓の軋轢が物語の重要なファクターとなっています。
百姓達は、侍達を頼りにしつつも彼らを恐れ、誰も出迎えようとはしません。万造(藤原釜足)に至っては、娘が侍に手籠にされることを恐れ、娘の髪を短く切り男として振る舞わせます(実際に娘は勝四郎と恋仲になる)。また、百姓達が落武者狩りをしていたという事実は、侍達を動揺させます。
身分の違う百姓と侍が、交流を重ねるうち、信頼し合っていく。本作を観る前は、私はそんなパターンを想像していました。勘兵衛の「勝ったのはあの百姓達だ。わし達ではない」という台詞は知っていましたが、これは「百姓達が頑張ってくれたから勝てた」みたいなニュアンスかと想像していました。
実際には、百姓達と侍達の間にはある程度の信頼関係は築かれるものの、最後まで距離は埋まっていないように感じられます。ラストシーン、すぐに日常を取り戻し、楽しく歌いながら田植えをする百姓達に対し、4人の侍の墓の前でたたずむ3人の姿からは、それを強く感じさせられました。
菊千代が「百姓ぐらい悪ずれした生き物はねえんだぜ」と言ったように、百姓達は強かです。上述の勘兵衛の台詞も、まんまと望む通りの結果を得たのは百姓達であるということでしょう。金にも出世にもならない戦を戦い、半数以上が命を落とした侍達は勝者ではないのです。
大雨の中のクライマックス
さて、本作を語る上で欠かせないのはクライマックス、大雨の中での決戦シーンでしょう。このシーンを毎回楽しみにしている私としては、前夜に雨が降り始めた瞬間に、心の中で「来やがった来やがった!」と叫んでしまいます(笑)。
単純に映像や音響を比べたら現代のハリウッド映画に敵うはずはないのですが、このシーンはそれらに勝るとも劣らない迫力を感じます。激しい雨と風、馬のいななきと足音、巻き上がる泥水、その中で泥だらけで必死に戦う侍と百姓達。泥の匂いが感じられるような迫力です。CGのない時代の生の迫力、このライブ感は現代の映画には出せない部分でしょうね。
加えて言えば、ストーリーの盛り上がりもまた、このクライマックスをお膳立てしています。前夜に墓の前で肩を落としていた菊千代が威勢よく復活し、刀を何本も土に突き刺す様子、侍達が刀を抜く様子、そして「勝負はこの一撃で決まる!」という勘兵衛の叫び。たまりませんね。
最後に
今回は映画『七人の侍』の解説&感想でした。映画好きなら一度は見るべき、映画史に残る名作。3時間半の長尺ながら、全くダレることなく一気に見られる作品でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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