どうも、たきじです。
今回は1955年公開のフランス映画『悪魔のような女』の解説&感想です。
作品情報
タイトル:悪魔のような女
原題 :Les Diaboliques
製作年 :1955年
製作国 :フランス
監督 :アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
出演 :シモーヌ・シニョレ
ヴェラ・クルーゾー
ポール・ムーリス
シャルル・ヴァネル
上映時間:114分
解説&感想(結末のネタバレあり)
本作の物語の中心は、校長ミシェル、その妻クリスティーナ、そしてミシェルの愛人ニコルの3人。クリスティーナとニコルは互いの関係性を理解しながらも普通に接し合う奇妙な関係。さらには、2人で共謀してミシェルの殺害を企てるのですから、何ともいびつな3人の関係です。この関係性が物語の基盤となり、その上にスリルとサスペンスが築かれます。
アリバイ偽装のために、2人はミシェルを密かに小学校から遠方のニコルの家に呼び出し、そこでバスタブに沈めて殺害します。そして、遺体を箱に隠して小学校に戻り、遺体をプールに沈めます。
ここまでの展開を見ると、この後は「2人は警察の追及から逃げられるのか」が主軸になりそうな流れです。2人が容疑者になる伏線にもなりそうなシーンがたくさんありますからね。ミシェルが列車でニコルの家に向かう途中に女性に目配せするシーンとか、ニコルの部屋の上階の下宿人が、2人が風呂を入れる音に気づいて時刻をメモするシーンとか、2人が小学校に戻る道中のガソリンスタンドの男性がニコルの言動を怪訝そうに見るシーンとか。これらはミスリードのために意図的に入れたのでしょうかね。
そう、実際には、映画はそのような展開にはなりません。なかなか遺体が発見されないことに業を煮やした2人は、一計を案じてプールの水を抜かせますが、そこにミシェルの遺体はないという急展開。そして、まるでミシェルがどこかで生きているかのような不可解な出来事の畳みかけ。このミステリーは見事です。
本作の一番の見どころはやはり結末ということになるのでしょう。実はミシェルは生きていて、全てはミシェルとニコルが仕組んだ罠だったという真実が明らかになります。クリスティーナは元々心臓が悪く、ミシェルがバスタブから立ち上がる姿を見て、発作を起こし死んでしまうのです。
映画の最後に、「ここで見たことは友達に話してはいけない」との字幕が出ることからも、本作はこの衝撃の結末が売りであったと推測できます。しかし、私の場合は不幸にもこの結末が読めてしまったので、あまり驚きもなく、どうしても満足度は低くなってしまいました。
悪いのはこの邦題ですよ。『悪魔のような女』と言われると、クリスティーナは悪魔には見えないし、ニコルに裏があるのかな?と睨みながら見てしまいますよ。
一方、原題の「Les Diaboliques」は「悪魔のような者たち」というニュアンスの複数形になっています。ミシェルを殺した(殺そうとした)クリスティーナとニコルのことかとミスリードしつつ、実際にはクリスティーナを騙して死に追いやったミシェルとニコルのことだったというのが非常にうまいです。このタイトルが素晴らしいだけに、邦題が余計に残念でならないです。
クライマックスのネタばらしに至るスリリングな演出はよかったし、クリスティーナが絶命するシーンの演技も凄まじかったですけどね。ヴェラ・クルーゾーの演技は恐怖そのものでした。
ちなみに、ヴェラ・クルーゾーは本作の公開から5年後、クリスティーナと同じように浴室で心臓発作を起こして亡くなっています。本作の監督であり、ヴェラの夫であるアンリ=ジョルジュ・クルーゾーが、ブリジット・バルドーといい仲になったことを案じての自殺という説もあります。三角関係の痴情のもつれが絡んだ浴室での死。本作とかぶるのが何とも奇妙です。
最後に
今回は映画『悪魔のような女』の解説&感想でした。中盤の急展開からのミステリアスな演出が光る作品でした。邦題のせいで衝撃の結末を楽しみきれなかったのは残念でなりません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
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