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映画『ヒットマンズ・レクイエム』感想 個性派俳優の競演は見どころ十分

どうも、たきじです。

 

今回は映画『ヒットマンズ・レクイエム』の感想です。ゴールデングローブ賞で作品賞ノミネート、主演男優賞受賞(コリン・ファレル)、アカデミー賞では脚本賞にノミネートされるなど、評価の高い作品。にもかかわらず、日本では劇場未公開でした。

 

 

作品情報

タイトル:ヒットマンズ・レクイエム

原題  :In Bruges

製作年 :2008年

製作国 :イギリス、アメリカ

監督  :マーティン・マクドナー

出演  :コリン・ファレル

     ブレンダン・グリーソン

     レイフ・ファインズ

     クレマンス・ポエジー

     ジェレミー・レニエ

 上映時間:107分

 

感想(ネタバレあり)

3人の主要人物は、とてもキャラが立っていますね。


レイ(コリン・ファレル)は、会話の端々に頭の悪さが滲み出る感じで、どこか憎めないキャラクター。それに神経質。ただしこれは、過去に誤って子供を殺してしまったことのトラウマによるものと分かります。


ケン(ブレンダン・グリーソン)は、レイとは対照的に、理性的で落ち着きがあり、レイの保護者のよう。殺し屋らしからぬ優しさを持った男です。


ハリー(レイフ・ファインズ)はカッとなりやすく、そうでなくても会話の端々から恐ろしさを醸し出します。映画終盤になるまでは伝言文や電話でしか登場しませんが、それだけでもヤバい奴なのがわかります。


こうしたキャラクターをそれぞれの俳優がしっかりとした演技力で演じきっています。


さて、本作は基本的にコメディにカテゴライズされることが多いと思いますが、劇場で次々に笑いが起こるような作品ではなく、クスッとくるようなシニカルなユーモアが散りばめらた作品です。


シリアスベースにユーモアが入る感じなので、日本の劇場ではまず笑いは起きないでしょうね。欧米人は、割とシリアスなシーンでもユーモアが入ると笑うイメージですが。


まあなんにせよ、本作はかなりシリアス度が高めです。レイが、誤って子供を殺してしまう回想シーンから、特にその傾向が強まり、3人がそれぞれ死を迎えるクライマックスはそれが極まります(レイは死までは描かれませんが)。


文字通り捨て身でレイを守ろうとするケンにはウルっときますね。しかし、ケンの想いも虚しく、結局レイはハリーに体を撃ち抜かれてしまいます。この時の構図が、レイが子供を殺してしまった時と同じ。そもそも、ハリーがレイを殺そうとしたのは、子供を殺した落とし前をつけさせるためでした。ハリーもレイと同じように子供(実は小男)を殺してしまったことになり、潔く命を絶つのでした。


この結末には、ある種のカタルシスを感じるわけですが、コトがコトだけに後味はいいものではないですね。バッドエンドでもバチっと決まって、後味の悪さをあまり残さない作品もありますが、本作はそこまではいきませんでした。

 

最後に

今回は映画『ヒットマンズ・レクイエム』の感想でした。なかなかに評価の高い作品なので、少々期待し過ぎたか、やや物足りない印象。ただ、3人の個性派俳優の競演は見どころ十分でした。

 

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映画『リバティ・バランスを射った男』解説&感想 ドラマ性の深い西部劇

どうも、たきじです。

 

今回は映画『リバティ・バランスを射った男』の解説&感想です。巨匠ジョン・フォードが監督し、ジョン・ウェインとジェームズ・ステュアートが共演した西部劇です。

 

 

作品情報

タイトル:リバティ・バランスを射った男

原題  :The Man Who Shot Liberty Valance

製作年 :1962年

製作国 :アメリカ

監督  :ジョン・フォード

出演  :ジョン・ウェイン

     ジェームズ・ステュアート

     ヴェラ・マイルズ

     リー・マーヴィン

 上映時間:123分

 

解説&感想(ネタバレあり)

ドラマ性の深い西部劇

西部劇は映画黎明期の19世紀末から存在した人気ジャンルで、もともとは勧善懲悪の分かりやすい物語が主流でした。保安官がならず者をやっつける、騎兵隊が先住民をやっつける、といった具合に、強い正義のヒーローが悪者をやっつける単純明快なストーリーです。


それが、1940年代頃から見直され、複雑なドラマ性を持った西部劇が作られるようになっていきました。本作もその種の西部劇の一つに数えられるわけですが、それらの中でも、本作は特にドラマ性の深い西部劇と言えるでしょう。数々の西部劇を撮ったジョン・フォード監督作品の中でも、個人的に一番好きな作品だったりします。

 


従来の西部劇にない主人公

本作の面白いところは、従来型の西部劇の主人公とは一線を画す"文化系男"ランス(ジェームズ・ステュアート)を主人公に据え、そこにいかにも従来型の西部劇のヒーローのようなトム(ジョン・ウェイン)を絡めて、二人を軸に物語を展開させている点にあります。


ランスは、西部にやってきた若き弁護士。彼は、西部に来て早々、ならず者のリバティ・バランス(リー・マーヴィン)に襲われ、金品を奪われてしまいます。さらに、その後もリバティに因縁をつけられます。それでも、銃がものをいう西部で、法と秩序を掲げて抗おうとします。


教育や選挙によって状況を改善しようとするランスですが、密かに銃の練習をしています。無秩序な西部で暴力を振りかざす相手に対しては銃を用いるしかない。理想を求め続けたランスも、現実を直視せざるを得ないのです。


そして彼は、リバティに決闘を挑むことになります。主人公がエプロン姿で悪者との決闘に挑む西部劇を私は他に知りません。

 


従来型の西部劇の終焉

そして、そこに絡んでくるのがトム。粗暴に見えますが優しさがあり、腕っぷしも強い男です。

 

ランスとリバティの決闘で、トムはランスを守って、誰にも気づかれないようにリバティを射ちます。それは言ってしまえば騙し討ちのような形です。

 

また、彼は結婚も考えていたハリー(ヴェラ・マイルズ)のランスへの気持ちを察して身を引き、やがて一人で死んでいくのです。


このようなトムの描写は、従来型の西部劇の終焉を象徴するような描写にも見えます。トムの死に姿を決して映さなかったのは、過去の西部劇に対するせめてもの敬意でしょうか。


このように本作は、ランスとトムという2人のキャラクターを絡めることで、素晴らしい物語を構成しています。が、考えてみれば、ランスはいつも通りのジェームズ・ステュアート、トムはいつも通りのジョン・ウェインのキャラクター。その2人が交わるだけで、これほどのドラマになるのがすごいところです。

 


人々の求めるヒーロー像

最後に全ての真実を知った新聞記者はメモを破り捨てて言います。


「ここは西部。伝説は事実となり、その伝説を記事にする」


ランスに至れり尽くせりの車掌は言います。


「あなたはリバティ・バランスを射った男ですから」


やはり人々が求めるのはそうしたヒーロー像だという皮肉。ある意味で、達観して西部劇を描いていると言えます。


後にクリント・イーストウッドが撮った『許されざる者』。同作は、暴力が美化されがちな西部劇というジャンルを借りて、暴力の汚さや英雄伝の虚構を描きました。こちらも大好きな作品ですが、『許されざる者』より30年前に本作のような作品が撮られていたことは、私にとってちょっとした驚きでもありました。

 

最後に

今回は映画『リバティ・バランスを射った男』の解説&感想でした。非常にドラマ性が深く、見応えがありますので、未見の方には是非おすすめしたい作品です。

 

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↓本作の系譜を継ぐとも言える作品

↓ジョン・フォード×ジョン・ウェインの"従来型"西部劇

映画『リトル・ダンサー』解説&感想 丁寧な心理描写とエモーショナルなダンス

どうも、たきじです。

 

今回は2000年公開のイギリス映画『リトル・ダンサー』の解説&感想です。2005年にはエルトン・ジョンの作曲によりミュージカル化され、イギリスのローレンス・オリヴィエ賞、アメリカのトニー賞などで主要部門を独占するなど、好評を得ています。

 

 

作品情報

タイトル:リトル・ダンサー

原題  :Billy Elliot

製作年 :2000年

製作国 :イギリス

監督  :スティーブン・ダルドリー

出演  :ジェイミー・ベル

     ジュリー・ウォルターズ

     ゲイリー・ルイス

     ジェイミー・ドラヴェン

 上映時間:111分

 

解説&感想(ネタバレあり)

ビリーの心の動きを描く

1984年、イングランドの炭鉱の町が本作の舞台。11歳の少年ビリー・エリオット(ジェイミー・ベル)は、たまたま目にしたバレエ教室の様子に興味を持ち、やがてその中に加わります。その才能を見抜いたバレエ教室の先生サンドラ(ジュリー・ウォルターズ)は、熱心にビリーを指導し、ビリーもまたそれに応えて上達していきます。


本作は、そうしてバレエに打ち込むビリーを描くわけですが、いわゆる"スポ根もの"とは趣が異なります。本作は、ビリーの努力による技術的な上達よりも、周囲の人々との関わりを通じたビリーの心の動きにフォーカスして描いているのです。


ビリーの置かれた環境はとても過酷なものです。炭鉱労働者の父ジャッキー(ゲイリー・ルイス)と兄トニー(ジェイミー・ドラヴェン)はストライキの真っ只中で、日々の暮らしに余裕がありません。ジャッキーもトニーも常に殺気立っているように見えます。祖母は軽度な認知症。そして母とは死別しています。家族からの愛情をまともに受けることもできず、ただ母を恋しく思いながら過ごすのです。


ビリーが母を恋しく思う様子は、極めて丁寧に描かれています。母の遺したピアノの鍵盤を叩く様子、繰り返し母の墓を訪れる様子、母が遺した18歳のビリーへの手紙に対する思い、ビリーの前に現れる母の幻影、そうした描写の一つひとつに、まだまだ幼いビリーの心情を思わされ涙が出そうになります。


ビリーは自分がなぜバレエに興味を持ったかも分からずに、ひたすら踊ることに情熱をぶつけていきます。ただ、ビリーをバレエ教室へと導いたのはピアノの音色。ビリーはピアノの音色に母を感じたと解釈できます。

 


エモーショナルなビリーのダンス

やがて、ビリーは彼の置かれた環境の閉塞感を打ち破るかのように、ダンスで自分を表現するようになっていきます。その様子にはぐいぐい引き込まれてしまいます。


クリスマスの夜、ビリーは友達のマイケル(ステュアート・ウェルズ)とボクシングジムでバレエを踊っているのを父に見つかります。ビリーは何も弁明することなく、父の目の前で全力で踊ります。このシーンは、間違いなく映画のハイライトの一つ。踊りの技術うんぬんよりも、そのエモーショナルな表現に魅せられます。


これをきっかけに父はビリーがバレエを踊ることを認め、ビリーは家族に支えられて踊るようになるのです。


父親目線でも見てしまう

本作の公開当時、私はまだ高校生で、初めて本作を見たのは学生の頃だったと思います。家庭を持った今、改めて本作を見ると、家族、特に父ジャッキーに感情移入してしまいますね。


ビリーが過酷な環境に置かれていることは間違いないですが、ジャッキーもまた貧困と闘いながら家族を養わねばならない酷な立場にあります。


そんな中、なけなしの金でボクシングを習わせているのに、バレエをこっそり習っていたビリー。たしなめると悪態をついて出て行ってしまいます。


このシーンなんて、初めて見た時は「ビリー、よく言った!」くらいに思っていたかもしれませんが、今見ると「ビリー、なんてこと言うんだ!」なんて思ってしまいます(笑)


ジャッキーが亡き妻のピアノを壊して薪として使うシーンにしても、ジャッキーは「母さんはもう死んだ!」なんてぶっきらぼうに言い放ちますが、その裏にある彼の苦悩が痛いほど伝わってきました。


ジャッキーがスト破りをして炭鉱に向かうシーンはもう涙なしには見られません。ビリーの兄トニーに対して、「俺たちは終わりだ。でもビリーにはチャンスを与えてやりたい!」と泣き崩れるシーンです。というか、上に挙げた父の苦悩が垣間見られるシーンの時点で、やがて訪れるこのシーンを思い出して何度も泣きそうになってしまいました(笑)

 


ジェンダーもテーマの一つ

さて、本作は、ジェンダーもテーマの一つと言えるでしょう。男性的な炭鉱労働やボクシングと、女性的なバレエが対比して描かれ、当初はジャッキーもビリーがバレエをやることに拒否反応を示していました。ビリー自身も、トランスジェンダーの友人マイケルから頬にキスされた時に、「バレエは好きだけど男に興味はない」と言うように、バレエが女性的なものであると認識しています。


映画終盤、ビリーはマイケルとの別れに際し、彼の頬にキスします。これは、もちろんビリーが男に興味を持ち始めたわけではありません。マイケルがビリーにしたのと同じように、ビリーは最後にキスを返した訳ですが、私にはある種の決意表明のようにも見えました。トランスジェンダーであるマイケルの個性を認めた上で、自分自身も自分の道を歩んでいくという決意です。


そう見えた理由の一つが、大人になったビリーを描いたラストシーン。ここでビリーを演じているのはアダム・クーパーというイギリスの著名なバレエダンサーです。本作のラストでビリーが演じているのはマシュー・ボーン(映画監督のマシュー・ヴォーンとは別人です。念のため…)演出の『白鳥の湖』。現実にアダム・クーパーが主演した作品です。


劇中でも語られるオリジナルの『白鳥の湖』は悪魔によって白鳥に姿を変えられた王女が、王子と恋に落ちる物語。女性ダンサーが白鳥達を演じます。一方、マシュー・ボーン版では、男性ダンサーが白鳥を演じるという大胆な翻案が施され、同性愛的なニュアンスも含んだ作品になっています。


男性の力強さと美しさで新しい『白鳥の湖』を表現するビリーと、それを男性のパートナーと見つめるマイケル。このラストシーンは、ジャッキーとビリーの父子の物語だけでなく、上述の別れ際のキスのシーンを受けた、ビリーとマイケルの物語の一つの結末でもあると感じました。

 


映画的な表現のうまさ

さて、本作は映画的な表現という点でも見どころ十分な作品と言えます。


例えば、冒頭の数シーンを見てみましょう。


朝食の準備をするビリー。祖母がいなくなっているのを見て慌てて外を探し連れ帰る。背後には物々しい機動隊が集まる。

 

家では兄と相部屋。俺のレコードを聞いたろと咎められ頭を叩かれる。

 

翌朝、ストライキのポスターを持って忙しなく出かけていく兄。ピアノの鍵盤を叩くビリーに対し「やめろ」という父。「母さんなら怒らない」と返すビリー。無言で激しくピアノの蓋を閉めて出て行く父。ビリーが悲しい表情で顔を上げると、母の写真とみんな笑顔の家族写真がある。


台詞の少ない、この冒頭の数シーンで、ビリーの自身はもちろん、厳しい父と、ぶっきらぼうで粗暴な兄と、軽度の認知症の祖母という家族の人となりをさらりと描写して見せます。同時に、彼らが貧しい労働者階級にあり、炭鉱の仕事はストライキの真っ只中であることも描いています。さらには、母が死別したこと、それによるビリーの心の影、ややギクシャクした父子関係も予見させます。


物語の背景やキャラクターを、説明的な台詞などは用いずにさらりと描写しているのは見事なものです。


また、本作においては様々な編集テクニックを駆使して、テンポ良くストーリーが進められます。


例えば、ビリーがターンの練習をするシーンは、普通は時系列をテンポ良く飛ばしたモンタージュで描きそうなところを、ここでは異なる時系列の複数のカットを並行して描いて見せています。


また、別のシーンでは、ビリーがバレエの練習をするカットと、ジャッキーやトニーが抗議活動をするカットをクロスカッティングで並行して描きます。一見馴染まないような2つのシーンを、このように対比的に並行して描くと言うのは、なかなかエッジの効いた表現と言えます。


さらに、ビリーにバレエを教えるサンドラをトニーが咎めるシーンでは、トニーとサンドラの口論を導入として、ミュージカル風のダンスシーンが始まります。この導入の編集もかっこいいですし、シーン最後では、シーンの途切れなくシームレスに季節が冬に変わるという演出も決まっています。


本作では、こうした様々な表現の工夫によって、映画序盤から中盤にかけてを、無駄のないストーリー運びでテンポ良く見せています。だからこそ、対象的にテンポを落としてじっくりと描かれる終盤(ビリーのオーディションあたりから)で、ぐっと物語に引き込まれるのだと思います。

 

最後に

今回は映画『リトル・ダンサー』の解説&感想でした。丁寧な心理描写とエモーショナルなダンス、映画的な表現のうまさと、とても魅力の多い映画です。

 

ちなみに私は、本作のミュージカル版をブロードウェイで見たことがあります。ブロードウェイの初演から間もない頃ということもあり、プレミアチケットになっていて日本円にして3万円ほどしましたが、意を決して購入し鑑賞。それなのに、時差ボケ+英語の理解力不足で、途中ウトウトしてしまうという苦い思い出になっています(笑)


それでも、映画では上述のミュージカル風のダンスシーンに相当する"Angry Dance"や、父の前で初めて踊るシーンに相当する"Swan Lake"には大変感動したのを覚えています。本作が好きな方はミュージカル版もおすすめです。

 

 

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映画『トップガン マーヴェリック』解説&感想 自らの存在価値を証明したトム・クルーズ

どうも、たきじです。

 

今回は2022年公開のアメリカ映画『トップガン マーヴェリック』の解説&感想です。1986年の『トップガン』の公開から36年の時を経て製作された続編です。

 

 

↓ 前作の感想はこちら

 

作品情報

タイトル:トップガン マーヴェリック

原題  :Top Gun: Maverick

製作年 :2022年

製作国 :アメリカ

監督  :ジョセフ・コシンスキー

出演  :トム・クルーズ

     マイルズ・テラー

     ジェニファー・コネリー

     ジョン・ハム

     グレン・パウエル

     ルイス・プルマン

     エド・ハリス

     ヴァル・キルマー

 上映時間:131分

 

解説&感想(ネタバレあり)

マーヴェリックとルースターのドラマ

前作の感想でも述べたように、前作は"迫力のドッグファイト"と"かっこいいトム・クルーズ"を見るための映画であって、ドラマ性はあってないようなもの。別の言い方をすれば薄っぺらいものでした。それが本作はどうでしょう。前作はすべて本作のフリであったかのように、前作の物語をしっかりと土台に据えつつ、ドラマを展開しています。


ドラマの軸となるのは、マーヴェリック(トム・クルーズ)とルースター(マイルズ・テラー)の関係。ルースターは、かつてのマーヴェリックの相棒で訓練中に命を落としたグースの息子。ルースターをグースと同じ目に合わせたくなかったルースターの母親の遺言を聞いて、マーヴェリックはルースターの願書を破棄した過去があります。そして、そのことでマーヴェリックとルースターにはわだかまりがあるのです。


これを巡ってのマーヴェリックの苦しみが、本作では丁寧に描かれています。グースを死なせてしまった苦しみ、ルースターと分かり合えない苦しみ、任務に就きたいルースターの気持ちを察しつつも危険に晒したくないとい想い、ルースターの父親代わりとして彼を見守りたい気持ち。さまざまな感情が入り混じっています。


アイスマン(ヴァル・キルマー)とのシーンもこうした苦しみについての会話に終始しますし、ペニー(ジェニファー・コネリー)とのロマンティックなシーンでさえ、ルースターのことを話題にしています。


前作は大したドラマのないロマンスをダラダラと描いていた印象がありましたが、本作におけるペニーとのロマンスは、バックグラウンドで進む物語にとどめ、ドラマとしてはルースターとの関係にしっかりフォーカスしていて軸がブレません。

 

ドラマが盛り上げる興奮

こうしたドラマ性によって、クライマックスで彼らが挑むミッションの様子に気持ちが乗ります。これによって、アクションそれ自体の素晴らしさ以上に興奮できるものになっていることは間違いありません。


マーヴェリックのスピードに食らいつき、爆撃を成功させるルースター。ミサイルからルースターを守るマーヴェリック。マーヴェリックを救出するために敵地に引き返すルースター。2人の動きに目が離せません。


そして、敵地から脱出するため、今となっては古い時代の戦闘機であるF-14に乗り込むマーヴェリックとルースター。前作のグースに代わって、息子のルースターがマーヴェリックと共に飛ぶという、最高のお膳立てがなされるのです。

 

訓練から実戦への連続性

クライマックスを盛り上げる要素はドラマ性だけにとどまりません。劇中でしっかりと描写される訓練の様子が、クライマックスの実戦へと連続性をもって繋がるように描写されていることも、クライマックスを盛り上げる要素として作用しています。


前作では、訓練を通じてやっていることは仲間内でのナンバーワン争いに過ぎませんでした。また、クライマックスの実戦も、敵を倒さねばならないという大義もあいまいで、訓練から実戦への連続性も弱いものでした。


翻って本作。彼らが挑む困難なミッションの内容は、まず映画序盤で明らかにされ、彼らはそれを成功させるという明確なゴールに向かって過酷な訓練に臨みます。訓練の様子を通じて、ミッションの流れが繰り返し描写されているので、観客はクライマックスでの状況をしっかり把握できます。


さらには、ミッションの成功のためには3つの奇跡が必要であること、そしてそれがいかに困難なことかもしっかり描写されているので、クライマックスでは常に緊張感を保つことができるようになっています。

 

郷愁を誘う前作へのオマージュ

本作は前作から36年もの時を経て製作された続編。それだけの時の流れがあるだけに、前作とオーバーラップするような描写が郷愁を誘います。


前作と全く同じタイトルバック。オープニング曲と、空母から飛び立つ戦闘機の映像。滑走路から飛び立つ戦闘機とバイクで並走するマーヴェリック。教官と知らずに無礼を働く生徒。前作へのこのようなオマージュが、本作の味付けとして効いています。


そして、ペニー・ベンジャミン。前作で、かつてマーヴェリックがちょっかいを出していた女性として名前だけ出てきていた彼女が、本作でヒロインとして登場するという面白さ。演じるジェニファー・コネリーは相変わらず美しい!これはいいキャスティングでした。

 

トム・クルーズの気概に惚れる

本作の冒頭、マーヴェリックはテストパイロットとしてマッハ10に挑戦しています(『ライトスタッフ』のサム・シェパードを思い出しますね。エド・ハリスもいるし)。この超音速機のプロジェクトは凍結されようとしており、その予算は無人機の開発の方に充てられようとしていることが語られます。無人機が空中戦の主役になることによる、パイロットの時代の終わりが示唆されています。


つまり前作で描かれたF-14のような旧式の戦闘機も、それを操るパイロットも、それによる空中戦も、時代遅れということです。しかし、本作では、電磁波妨害の影響を受けない旧式の戦闘機が空中戦で活躍することになります。それを見事に操るのも、時代遅れの人間であるはずのマーヴェリックなのです。


本作のマーヴェリックには、トム・クルーズ自身が投影されているようにも感じられます。CGをはじめとする様々な映像技術が進歩した現代において、自ら危険なスタントも辞さずに体を張ってきたアクション・スター。そんなトム・クルーズが自らの存在価値をスクリーンいっぱいに表現したのが本作と言えるのではないでしょうか。


ミッションが成功可能なことを、自らデモンストレーションして見せたマーヴェリックのように、自分のような"古い"アクション・スターでも、今までにない傑作を撮ることができる、それを証明したのです。


時代が移り変わっても、これまでと変わらずに人々を魅了し続けるトム・クルーズ。その気概に惚れてしまいます。

 

最後に

今回は映画『トップガン マーヴェリック』の解説&感想でした。なんでもない映画(あえてこう言わせてもらいますが)の続編を、こんなに素晴らしいものに仕上げられることに、私は驚きを隠せません。続編が前作の価値を破壊してしまうことは数あれど、前作を続編への前フリとして価値を上げる作品なんて、そうそうないことですよ。

 

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映画『トップガン』感想 "迫力のドッグファイト"と"かっこいいトム・クルーズ"

どうも、たきじです。

 

今回は1986年公開のアメリカ映画『トップガン』の感想です。

 

 

作品情報

タイトル:トップガン

原題  :Top Gun

製作年 :1986年

製作国 :アメリカ

監督  :トニー・スコット

出演  :トム・クルーズ

     ケリー・マクギリス

     ヴァル・キルマー

     アンソニー・エドワーズ

     トム・スケリット

 上映時間:110分

 

感想(ネタバレあり)

本作の36年ぶりの続編『トップガン マーヴェリック』を鑑賞するにあたって、久々に鑑賞(20年ぶりくらいかな?)。

 

本作は、"迫力のドッグファイト""かっこいいトム・クルーズ"を描きたかったのでしょう。率直に言って、ドラマ性はあってないようなものです。


マーヴェリック(トム・クルーズ)とチャーリー(ケリー・マクギリス)のロマンスに大したドラマはなく、トム・クルーズのプロモーション・ビデオかの如くさらっと流れていきますし(ラブシーンは80年代だなーって感じで少し笑ってしまいました)、相棒のグース(アンソニー・エドワーズ)の死による自信喪失と、そこからの立ち直りなども、マーヴェリックの内面に切り込むような深い描写はありません。


何より、危険な操縦を繰り返すマーヴェリックが極めて幼稚に見えてしまって、あまり感情移入できませんでしたね。私などは、マーヴェリックのライバルのアイスマン(ヴァル・キルマー)の方に魅力を感じてしまうので、彼の視点で描いたものを見たくなるのですが、まあそれだと地味すぎて映画にならないか。まあ映画の主人公になるのはマーヴェリックのような無鉄砲なやんちゃ坊主になるのは致し方ないですね。


ドッグファイトのシーンは迫力があって素晴らしいのですが、ドラマが盛り上がっていればもっと興奮できそうなのが惜しいところです。


思えば、第1回アカデミー賞で作品賞を受賞した『つばさ』(1927年公開のサイレント映画)の時代から、映画において迫力のドッグファイトは描かれていました。およそ100年前の映画でさえ、今見てもそれなりに興奮できるのですから、本作が公開された1986年(これも今となっては昔か…)であれば、この程度は撮れて当たり前かもしれませんね。


何となく否定的な感想になってしまいましたが、本作はこれで正しいのだと思います。上述の通り、本作は"迫力のドッグファイト"と"かっこいいトム・クルーズ"を描きたかったのでしょうから、そういう意味では大成功と言っていいものですから。

 

最後に

今回は映画『トップガン』の感想でした。この感想を書いている時点で、すでに続編を鑑賞済みですが、本作の続編が、まさかあんな素晴らしい作品になるとは思いもしませんでした。こちらの感想もぜひご覧ください。

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映画『バケモノの子』感想 独特の世界観と表現力

どうも、たきじです。

 

今回は、2015年公開の細田守監督作品、映画『バケモノの子』の感想です。

 

 

作品情報

タイトル:バケモノの子

製作年 :2015年

製作国 :日本

監督  :細田守

声の出演:宮崎あおい

     染谷将太

     役所広司

     広瀬すず

     山路和弘

     宮野真守

     山口勝平

     黒木華

     津川雅彦

     リリー・フランキー

     大泉洋

上映時間:119分

感想(ネタバレあり)

細田守監督作品らしい独特の世界観と表現力で楽しい作品に仕上がっています。ただ、同監督の『時をかける少女』や『サマーウォーズ』などと違って、脚本に対して感動がなかったのは残念でした。


全体的にストーリー運びがバタバタした感じで忙しない印象があります。中盤から人間の世界とバケモノの世界を行き来するようになり、展開の広がりが生まれた一方で、これによってストーリーの軸がぶれた印象もありました。


熊徹と九太のドラマがストーリーの軸になっている中に、実の父親との再会や楓との出会い、大学を目指しての勉強といった、決して小さくない話が絡んできますからね。


『サマーウォーズ』の場合、一見ごちゃ混ぜのエンターテインメントがうまくまとめ上げられたところに作品の魅力がありましたが、本作はそれがうまくまとまりきらなかった印象が強いです。

 


また、本作で"ラスボス"となる一郎彦の描き込みも弱いと思います。映画終盤まで、彼が人間であることは伏せられているとは言え、彼は蓮と対比される立ち位置のキャラクターである以上、もっと内面を描き込む必要があったのではないでしょうか。


それにラスボスとしてはあまりに小物過ぎて、あまり緊張感が高まらないのも惜しいところ。念動力を使うとは言え、蓮が敵わなくても自衛隊なら倒せそうだな、みたいな(笑)


私が何より残念だったのは、やたらと説明的な台詞が多いところ。蓮の状況を説明する親戚の台詞とか、猪王山と戦う熊徹の手招きのポーズを見た蓮の「今と同じことをやれ?」とか、そんなのばっかり。


余計な台詞は排除し、映像やストーリーでキャラクターの状況や心情を表現するのが映画の醍醐味と考える私としては、こうした台詞は苦手です。


細田守監督も、人気になったことで大衆を意識して、分かりやすさを重視せざるをえなかったのでしょうか?もっと突っ走っていいと思うんですけどね。


なんか否定的なことばかり書いていますが、脚本が残念だっただけで、全体としては楽しい作品だったことは改めて述べておきます。


最後に付け加えて言えば、本作の声の出演者達は素晴らしかったです。私はどちらかと言えば、俳優が声を演じることに否定的ですが、熊徹を演じた役所広司さんと青年期の蓮を演じた染谷将太さんは文句なしの演技でした。


一方、女優さんが少年を演じるのはやっぱり難しいのかな、と思ってしまいましたね。本職の声優にとっては慣れっこなのでしょうが。

 

最後に

今回は映画『バケモノの子』の感想でした。大好きな『時をかける少女』や『サマーウォーズ』なんかと比べると物足りませんが、楽しい作品でした。

 

ちなみに、本作は2022年に劇団四季によりミュージカル化もされています。こちらも気になりますね。

 

 

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↓細田守監督の代表作

映画『遠い空の向こうに』感想 清々しい感動をくれる青春映画

どうも、たきじです。

 

今回は1999年公開のアメリカ映画『遠い空の向こうに』の感想です。元NASAのエンジニアのホーマー・ヒッカムの回顧録の映画化です。

 

 

作品情報

タイトル:遠い空の向こうに

原題  :October Sky

製作年 :1999年

製作国 :アメリカ

監督  :ジョー・ジョンストン

出演  :ジェイク・ギレンホール

     クリス・クーパー

     クリス・オーウェン

     ローラ・ダーン

 上映時間:108分

 

あらすじ

舞台はアメリカの小さな炭坑の町。1957年10月、ソ連が打ち上げた人工衛星スプートニクが夜空を横切るのを見た高校生のホーマー・ヒッカム(ジェイク・ギレンホール)は、それに触発され、友人達と共にロケット作りを始めます。ホーマーは、炭坑夫の父ジョン(クリス・クーパー)と対立しながらも、周囲の人々に支えられながらロケット作りに打ち込みます。

 

感想(ネタバレあり)

炭坑の町を舞台に、父親と対立しつつ夢を追う若者を描いた青春映画というと、本作の翌年公開のイギリス映画『リトル・ダンサー』と共通します。『リトル・ダンサー』では、男性的な炭坑労働と、女性的なバレエとが対比的に描かれていました。


それに対して本作では、地面の中にある"炭坑"と遠い空の向こうある"宇宙"、あるいは、斜陽産業である"石炭産業"と新興産業である"宇宙産業"とが対比されています。


ホーマーと父ジョンの対立やすれ違いは、こうして対比されたそれぞれに対する互いの理解不足からくるものです。決して互いに憎み合っているわけではありません。


ホーマーはジョンとぶつかりながらも、彼を尊敬しています。多くの男は父親に認められたいと思うもの。自分が一心に打ち込んでいることを認められない苛立ちがすれ違いを生んでいるに過ぎません。


ホーマーはフォン・ブラウン博士を尊敬はしていても、ヒーローではないとジョンに告げます。これは、ホーマーにとってのヒーローはジョンに他ならないということです。


そして、ジョンだってホーマーを大切に思っていないわけではありません。ジョンがホーマーのロケット作りに否定的なのも、炭坑労働に対する誇り故のことです。今では斜陽産業でも、かつての石炭産業はアメリカのみならず世界の産業の発展を支えた産業だったわけです。


ジョンは一見、物分かりの悪い頑固親父でも、実際には周囲への思いやりのある人物です。義父に殴られているホーマーの友達を助けるシーンでもそれは現れていますよね。そして、最後には、ジョンはホーマーのためにストライキを収束させ、科学フェアの展示物を盗まれたホーマーを助けます。


そうした2人の関係がしっかり描写されているからこそ、最後の打ち上げ実験でジョンが初めて発射場に現れ、発射ボタンを押すシーンが感動的なものになっているのだと思います(もちろん、それぞれを演じたジェイク・ギレンホールとクリス・クーパーの演技の素晴らしさも相まって)。


また、父親のみならず、ライリー先生、母親、そして町のみんながホーマー達のために協力してくれるのも感動を盛り上げます。

 

最後のロケットの発射で、どこまでも高く上がっていくロケットを人々はそれぞれの場所から見上げます。映画序盤で夜空を横切るスプートニクを見たホーマーは、「世界中のどこかで誰かが同じようにそれ見ている」ことに魅せられていました。町のどこからでも見えるロケットが空高く上っていく様子に、その台詞がリンクして、清々しい爽やかな感動を覚えました。

 

最後に

今回は映画『遠い空の向こうに』の感想でした。清々しい感動をくれる青春映画でした。

 

ちなみに本作の原題は"October Sky"。スプートニクが横切った10月の空にちなむタイトルですね。ホーマーがロケットを作るきっかけになったとは言え、タイトルにするほどかという気はしますが、実はこれには意味があります。これはアナグラムになっていて、"October Sky"の文字を並べ替えると"Rocket Boys"になるのです。なかなか凝ったタイトルですね。

 

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映画『もののけ姫』感想 素晴らしいエンターテイメント作品

どうも、たきじです。

 

今回は、スタジオジブリのアニメ映画『もののけ姫』の感想です。日本の興行収入記録を『E.T.』以来15年ぶりに塗り替えた大ヒット作。スタジオジブリ設立後の宮崎駿監督作品としては、『紅の豚』に続く5作目となります。

 

その他の宮崎駿監督作品の解説&感想はこちらから(各作品へのリンクあり)

 

作品情報

タイトル:もののけ姫

製作年 :1997年

製作国 :日本

監督  :宮崎駿

声の出演:松田洋治

     石田ゆり子

     田中裕子

     小林薫

     西村雅彦

     美輪明宏

     森繁久彌

上映時間:133分

 

感想(ややネタバレあり)

本作は、人間と自然の対立がテーマとなっています。これを軸として、キーポイントとなるシシ神の存在、シシ神を狙うジコ坊達の存在、たたら場を狙う侍達の存在が絡み合って進行するストーリーは、非常にうまく構成されていると思います。

 

本作では、人間と自然、それぞれの立場がしっかりと描かれています。人間と対立する山犬やイノシシは、自分達の縄張りを守ろうとしているに過ぎません。一方、自然の立場から見れば悪であるエボシは、たたら場においては民の信頼を集める人格者でもあるのです。

 

両者の間で忙しく立ち回るアシタカを見て、ジコ坊が「あいつはどっちの味方なんだ」とつぶやくように、単純な善と悪では語れない様々な利害関係が絡み合ってストーリーが展開していくのです。

 

そしてこの物語を構成する魅力的なキャラクター達


主人公のアシタカの清々しい好青年ぶり。松田洋治さんの堂々とした声の演技も素晴らしいです。


タイトルロールのもののけ姫=サンは、やや迫力に欠けるものの、山犬に育てられた姫という設定は非常に魅力的です。


そして何と言ってもサンの"母"である山犬のモロ。デザインこそシンプルながら、美輪明宏さんの迫力あるパフォーマンスでこの上なく魅力的なキャラクターになっています。「黙れ小僧!」なんて、公開当時、結構真似してましたね(笑)


シシ神は、その神々しさや、夜になるとディダラボッチになるという設定が面白いですが、個人的に、キャラデザインはあまり好きにはなれません。あの何とも言えない顔がね…(笑)


それから、忘れてはならないのがコダマ。ストーリーに直接絡んでくるキャラクターではありませんが、とても愛くるしく、少し気持ち悪い、絶妙なキャラクターです。『となりのトトロ』の"まっくろくろすけ"しかり、宮崎駿監督はこういう味付けがうまいですね。


さて、最後に加えて言えば、本作はアクションシーンの迫力も素晴らしいです。アシタカが、タタリ神となったイノシシと闘うオープニングからかなり飛ばしています。サンが山犬に乗って駆けるシーンなんかもいいですね。とにかく躍動感が素晴らしいです。セルアニメの頂点と言っても過言ではないのではないでしょうか。


また、本作では、タタリ神の力をまとったアシタカの放つ矢により、侍の首が飛んだり、腕が切れたりといったグロテスクなシーンも描かれているのも印象的。本作の劇場公開時、私はまだ子供だったので、劇場で思わず目を覆ってしまったのを覚えています。


自主規制の多いこの時代に、こういうシーンもノーカットで地上波で放送されるのはジブリ映画くらいかもしれませんね。

 

最後に

今回は映画『もののけ姫』の感想でした。人間と自然の対立をテーマとして、秀逸な脚本、魅力的なキャラクター、躍動感あふれるアクションで、素晴らしいエンターテインメント作品に仕上がっています。

 

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短編アニメ映画『頭山』解説&感想 映像化不可能な落語をアニメ化

どうも、たきじです。

 

今回は2002年公開の短編アニメ映画『頭山』の解説&感想です。同名の古典落語(上方落語においては『さくらんぼ』)を原作とした作品で、アカデミー賞の短編アニメ賞にノミネートされるなど、世界的に評価されています。

 

↓ YouTubeで公式に無料公開されています。

 

 

作品情報

タイトル:頭山

製作年 :2002年

製作国 :日本

監督  :山村浩二

声の出演:国本武春

上映時間:10分

あらすじ(結末までネタバレあり)

ケチな男が、拾ってきたさくらんぼを食べます。男は、もったいないからと種まで食べてしまいます。やがて男の頭から芽が出て、桜の木に成長。春になると綺麗な花を咲かせます。


すると男の頭に花見客が押し寄せるようになります。苛立った男は、桜の木を抜いてしまいます。しかし、木を抜いたために頭には穴が空いてしまい、そこに水が溜まって池ができます。すると今度は、釣りや泳ぎを楽しむ人が集まるようになります。


男は気が触れて、自分の頭の池に身を投げて死んでしまいます。

 

 

見どころ

本作には上記のあらすじを踏まえて、2つの見どころがあります。


1つは、「どう映像化するのか?」という点。頭の上で花見が始まるとか、自分の頭の池に身投げするとか、映像がない落語だからこそ成立したカオスな物語をどうアニメで映像化するのか?ということです。


もう1つは、「観客に何を感じさせるか?」と言う点。落語というものは、聴き手が頭の中で映像を思い浮かべることが前提となっています。それ故に、本作の原作の落語の場合、現実には起こり得ない、映像化不可能な展開が笑いになるわけです。「頭の上で花見…いやいやw」、「自分の頭の池に身投げ…っておいw」という感じです。


だからこそ、「死」という深刻な事態がオチにも関わらず、笑いとして昇華されるんですね。桂枝雀の「緊張の緩和」理論で言えば、「死」という緊張が、「んなわけあるかい!」で緩和されて笑いになると言えるでしょう。


映像化不可能であることが笑いになっていたものを、本作では映像化してしまうわけですから、それによって観客に何を感じさせるのか、これが見どころというわけです。

 

 

解説&感想(ネタバレあり)

手書きの筆跡が見えそうな、ある種の荒々しさを持ったタッチで描いたアニメーション。そこに浪曲師の国本武春による語りと三味線が重なります。古風にも映る作画に、浪曲という演芸が交わることで、本作は原作の落語のニュアンスも多分に残した作品になっています。


そして、上で見どころとして挙げた「どう映像化するのか?」「観客に何を感じさせるか?」について。まず、頭の上に観衆が集まる様子をどう描いたか。本作では、頭に木の生えた男の様子と、頭の上に観衆が集まった様子を別次元のように切り分けて描くことで表現していています。これは「頭の上で花見…いやいやw」という、落語を聴いた印象にかなり近い印象です。


頭の上の木におじさんが立ちションをして、男の頭から汗のように尿が流れてくる描写や、酔っぱらいが脱いだ革靴が男の食べているカップ麺の中に(原寸大で)飛び込む描写が、現実次元と頭上次元につながりを持たせています。


そして最大の見どころであるラストシーン。今度は頭の上の池に集まってきた観衆達に耐えかねた男は、発狂したかの如く夜の街を駆け出します。映画冒頭から、背景にそびえるぐにゃぐにゃと曲がったビルが異様でしたが、このシーンでは夜の摩天楼の集合体として男の背景にそびえ、さらに不安を煽るかのようです。


そして男はいつしか自分の頭の上に迷い込むのです。頭の上にいる自分、その頭の上にいる自分、その頭の上に…。合わせ鏡の如く無限に繋がっていく映像。激しく重なる三味線の音色。男の焦燥が極まった時、男は身を投げるのです。


アニメーションならではの鬼気迫る表現には唸らされました。「死んじまった」という語りは、気の抜けたような声で発せられますが、落語のように笑いに至るようなものではないでしょう。落語では、「自分の頭の池に身投げ…っておいw」と笑いになるところ、本作では、どちらかと言えば『世にも奇妙な物語』よろしくミステリアスな感情を観客に抱かせます。また、本作の場合は、オチを笑いとして昇華していない分、男の死に対して、物悲しさや憂いを残すようにも感じました。


皆さんはどう感じたでしょうか?

 

 

最後に

今回は短編アニメ映画『頭山』の解説&感想でした。

 

話芸で噺を聴かせることで場面を想像させるのが落語なので、それを映像化するのは野暮だと考えてしまいがちですが、考えてみれば小説を映画にするのも同じこと。単に物語の題材が同じであるだけであり、小説には小説の、映画には映画の良さがあります。同様に、落語には落語の、アニメにはアニメの良さがあるはずで、本作もそこを楽しめばいいのでしょうね。

 

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映画『フィールド・オブ・ドリームス』解説&感想 爽やかな感動作

どうも、たきじです。

 

今回は映画『フィールド・オブ・ドリームス』の解説&感想です。1989年公開のアメリカ映画で、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』を映画化した作品です。

 

 

作品情報

タイトル:フィールド・オブ・ドリームス

原題  :Field of Dreams

製作年 :1989年

製作国 :アメリカ

監督  :フィル・アルデン・ロビンソン

出演  :ケビン・コスナー

     エイミー・マディガン

     レイ・リオッタ

     ジェームズ・アール・ジョーンズ

     バート・ランカスター

 上映時間:107分

 

解説&感想(ネタバレあり)

最後に分かる"本作は何の映画か"

"それを作れば、彼はやってくる"


謎の声に導かれ、とうもろこし畑を潰して野球場を作った男。やがて、その野球場に奇跡が起こる。


本作はどんな映画か、ネタバレを控えて話そうとすると、そういうぼんやりしたことしか言えません。そのため、実際に本作を見るまでは、どんな内容なのか今ひとつ想像がつかなかったという人も多いのではないでしょうか?


私もその1人で、初見時は、


「あれ、もう野球場完成しちゃうの?」

「野球映画ではないんだっけ?」

「なんかロードムービーみたいになってきたな」

 

って感じでした(笑)


それが最後の最後になって、ようやく本作が何の映画なのか分かるのです。

 

そうです。本作は、父と子の映画なのです。

 

"野球"の後ろに隠された"父と子"のドラマ

本作は、"野球"がストーリーの軸になっています。主人公のレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)は、謎の声に導かれて野球場を作ります。そこにかつて八百長事件でメジャーリーグから追放されたシューレス・ジョー(レイ・リオッタ)達8人の選手(いずれも故人)が現れます。


その後も、レイは謎の声に導かれ、作家のテレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)、医師のアーチー・グラハム(バート・ランカスター)に会います。


マンは、かつてエベッツ・フィールド(ニューヨークのブルックリン)でブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンと野球をすることを夢見た野球ファン。しかしドジャースはロサンゼルスに移り、エベッツ・フィールドも後に無くなります。


グラハムは、メジャーリーグで1試合だけ出場した元メジャーリーガー。その1試合では、守備についたのみで、一度も打席に立つことなく終わっています。


ジョー達8人も、マンも、グラハムも、野球に何らかの未練を残していたという共通点があります。レイの亡き父ジョンもまた、メジャーリーグには上がれずに終わった元野球選手でした。そして、ジョーが死後の世界から連れてきた野球選手の中にジョンの姿もあり、レイは仲違いしたまま死に別れた父との再会を果たすのです。


本編中、レイはモノローグにおいても、家族との会話においても、マンとの会話においても、何度も父のことを話していました。レイは子供の頃に父から野球の夢を託され、やがてそれが重荷になり、14歳でマンの著書に感化されて父を拒絶しました。そして、17歳で家出して、そのまま死別したのです。


ストーリーの裏で、父と子の物語が隠されるように動き、そして最後に2人の再会に帰結させる、この構成は秀逸だと思います。

 

キャッチボールが象徴する"和解"

このシーンのジョンは若い姿なので、レイのことはおろか、2人に確執があった記憶は持っていないと思われます。しかし、グラハムが老人の姿に戻った時に、直前まで野球をしていた記憶を持っていたことを踏まえれば、おそらくはグラウンドを去った後のジョンは、全てを理解していることでしょう。


そう考えると、2人がキャッチボールするラストシーンは、感動せずにはいられません。多くのアメリカ人男性にとって、父親とのキャッチボールというのは子供にとって特別なこと。どんな会話を交わすよりも、説得力のある"和解"のシーンになっていると思います。


キャッチボールをする彼らの背後に、多くの自動車の列が見えてくるラストカット、そしてエンドロールの最後に出る"For Our  Parents.(全ての親たちに捧げる)"が駄目押しの感動を呼びます。

 

謎の声の主は?

レイが父と再会できたことは、もちろん偶然ではないでしょう。「それを作れば、彼はやってくる」の彼はジョーではなく、父だった。つまり、一連のレイの行動の成果として父が現れたということです。


レイは、謎の声を聞いた時、型破りなことを何もしなかった父の二の舞は嫌だ、と行動を起こしました。そして、謎の声自体も、レイの心の声であったと理解できます。もちろん「それを作れば、彼はやってくる」ことをレイの心が知っているわけはないですから、神の啓示的な、何らかの霊的な要素も含まれていると思われますが、父との喧嘩別れに対する後悔と、それを解消したいという思いはレイの心に秘められていたということでしょう。


なお、"この声を演じたのは誰か"については、現在までに明らかにされていません(様々な憶測はありますが、いずれも信憑性が不確かなのでここには記載しません)。エンドロールでは、"The Voice(声)"を演じたのは"HIMSELF"となっています。"himself"、"herself"は本人役の時に使われる表現ですね。要するに、「"声"を演じたのは"声"です」と言っているようなもので、これはジョークでしょう(「レイの心の声だから"HIMSELF"ってことはケビン・コスナーだ」と書かれているものを見たことがありますが、これは全くの誤りです)。

 


ファンタジーの設定にあいまいさも

本作はファンタジー要素の設定があいまいなところがあるので、解釈を難解にしている部分があると思います。

 

  • 野球場でプレーしている選手達の姿が見える人と見えない人の違いは何なのか?
  • なぜマンにも謎の声が聞こえたのか?
  • なぜレイはグラハムに会いに70年代に行けたのか?
  • なぜ若い姿のグラハムは、野球場ではなく道端に現れたのか?
  • 野球場から出たグラハムはなぜ老人の姿になり、なぜもう若い姿に戻ってプレーできないのか


などです。設定に筋が通っているのが見えない分、その辺りは少しご都合主義にも思えてしまいますね。原作では説明されているのでしょうか?


野球讃歌として

本作は、いわゆる野球映画ではないながらも、野球讃歌としての側面も持った作品と言えるのではないでしょうか。


追放されてからの野球への渇望を語るジョーの台詞も、メジャーリーグでの打席に立つ夢を語るグラハムの台詞も、アメリカの国の歴史の一部たる野球の素晴らしさを語るマンの台詞も、強く胸を打ちます。


そしてそれに応えるかのように、映画の公開から30年以上の時を経た2021年、"MLB at Field of Dreams"と銘打って、とうもろこし畑の野球場でMLBの公式戦が行われました。


映画のために作られた野球場はMLBの試合を行う基準を満たさないため、隣に作られた新球場にはなるものの、これはロマンのある話ですよね。ケビン・コスナーの登場の後、とうもろこし畑の中から選手達が現れる様子は鳥肌ものでした。2022年も開催されるので、こちらも楽しみです。

 

↓ こちらは2021年の映像です。

 

最後に

今回は映画『フィールド・オブ・ドリームス』の解説&感想でした。ラストには爽やかな感動が待つ素敵な映画です。ただ、これが父と子のドラマだというのは最後まで分からないので、未見の人に本作を薦める時には困ってしまうのが難点ですね。

 

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映画『ジュラシック・ワールド 炎の王国』解説&感想 そつなくまとまった娯楽大作

どうも、たきじです。

 

今回は2018年公開のアメリカ映画『ジュラシック・ワールド 炎の王国』の解説&感想です。1993年の『ジュラシック・パーク』に始まるシリーズの第5作であり、『ジュラシック・ワールド』三部作の第2作にあたります。

 

 

↓ 過去作の解説&感想はこちら

 

作品情報

タイトル:ジュラシック・ワールド 炎の王国

原題  :Jurassic World: Fallen Kingdom

製作年 :2018年

製作国 :アメリカ

監督  : J・A・バヨナ

出演  :クリス・プラット

     ブライス・ダラス・ハワード

     レイフ・スポール

     ジャスティス・スミス

     ダニエラ・ピネダ

     ジェームズ・クロムウェル

     トビー・ジョーンズ

     テッド・レヴィン

     B・D・ウォン

     イザベラ・サーモン

     ジェラルディン・チャップリン

     ジェフ・ゴールドブラム

 上映時間:128分

 

解説&感想(ネタバレあり)

本作は遺伝子操作の倫理的な側面が過去作以上に色濃くなっています。遺伝子操作によって人工的に現代に蘇った恐竜達が、再絶滅しようとしている、本作では、その阻止に人が介入すべきか否かがテーマの一つとなっているのです。


個人的には、そりゃ自然に任せるべきでしょと思って見ていたのですが、それでもやはり、島に取り残されて火砕流に飲まれていくブラキオサウルスを見ると心が痛みます。恐竜達と同じく遺伝子操作で生まれたクローンであるメイジーが、シアンガスで死にゆく恐竜達を解放する、そのラストは必然に思えました。


その世界を生きる人々にとっては絶望的なラストではありますが、マルコム博士の"Welcome to Jurassic World(ジュラシック・ワールドへようこそ)"。の台詞にはある種のカタルシスを感じます。


このストーリーを踏まえると、副題の"Fallen Kingdom"(壊滅した王国)には、複数の意味が込められていると考えられます。恐竜の王国が火山によって壊滅したということ。あるいは、人間の王国の秩序が恐竜達によって破壊されようとしていることの示唆。あるいは、遺伝子操作によって人工的に生物を作り出してしまったことで、動物界がすでに壊滅したとの意味もあるかもしれません("Kingdom"には分類学における"界"の意味もあります)。いずれにしても、邦題の"炎の王国"では一部しか表現しきれていませんね。


さて、本作はそうした高尚な(?)テーマを持ちつつも、基本的にはエンターテイメントに振り切った内容です。その点で、個人的に最も興奮させられたのはオープニングのアクションです。前作でモササウルスによって湖に引きずり込まれたインドミナス・レックスのDNAを採取しにきた傭兵達に、恐竜達が襲い掛かります。


夜の闇の中、潜水艇の光で浮かび上がるモササウルスや、稲光によって一瞬浮かび上がるティラノサウルスなど、光と闇の演出が効いています。ティラノサウルスから逃れてヘリコプターに乗り込もうとする手に汗握る逃走劇の最後を締めるモササウルス。前作のファンも大喜びのオープニングではないでしょうか。


その後も、島、船、屋敷と舞台を移しながら、それぞれのシチュエーションに応じた緊張感のある展開で楽しませてくれます。


屋敷を舞台にしたインドラプトルとの戦いでは、荷物用のエレベーターの扉がなかなか閉まらないとか、ラプトルが爪で床を叩くとか、第1作好きには嬉しいオマージュもありましたね。


ここぞというところでブルーが登場するシーンや、インドラプトルを操作する銃をうまく利用してインドラプトルを倒すシーンなども見どころ、ということになるでしょうが、意外とあっさりしていて個人的にはさほど興奮しませんでした。それより、クレアはあの傷でよくあそこまで登ってきたな、なんて余計なことが頭をよぎってしまいました(笑)


このシーンもそうですが、ツッコミどころというか、ちょっと引っかかるところは前作に引き続き多いですね。


例えばクレアのキャラクター。前作の序盤のクレアは、恐竜は展示物に過ぎないという態度でしたが、本作では恐竜愛護の活動家みたいになっています。前作の体験で考え方は変わったにせよ、いくらなんでも振り切れ過ぎでは?と思って違和感を覚えてしまいます。火山がいつ噴火するとも分からない島にみんなで向かうことにしても、あまりに無謀すぎて…


まあ、こういうの気にしたら負けなんでしょうね(笑)

 

最後に

今回は映画『ジュラシック・ワールド 炎の王国』解説&感想でした。特別な傑作という訳ではないですが娯楽大作としてそつなくまとまった作品でした。

 

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★シリーズ作品の解説&感想

 

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映画『ジュラシック・ワールド』解説&感想 娯楽大作として見どころ十分

どうも、たきじです。

 

今回は2015年公開のアメリカ映画『ジュラシック・ワールド』の解説&感想です。1993年の『ジュラシック・パーク』に始まるシリーズの第4作であり、『ジュラシック・ワールド』三部作の第1作にあたります。公開当時、世界興行収入が歴代3位という大ヒット作です。

 

 

↓ 過去作の解説&感想はこちら

 

作品情報

タイトル:ジュラシック・ワールド

原題  :Jurassic World

製作年 :2015年

製作国 :アメリカ

監督  :コリン・トレヴォロウ

出演  :クリス・プラット

     ブライス・ダラス・ハワード

     ヴィンセント・ドノフリオ

     タイ・シンプキンス

     ニック・ロビンソン

     オマール・シー

     B・D・ウォン

     イルファーン・カーン

 上映時間:125分

 

解説&感想(ネタバレあり)

第1作を踏襲したストーリー

前二作は無理やりストーリーを作って製作した続編という感じで、正直いまいちな出来でした。それに対して本作は、第1作のような歴史に残る名作とまでは言えなくとも(興行収入は歴史に残るものですが)、娯楽大作としての見どころは十分な作品でした。


本作の公開は『ジュラシック・パーク』の公開から22年後、前作の『ジュラシック・パークIII』の公開から数えても14年後ですから、映像表現の自由度は当然上がっています。それも本作の成功要因の一つでしょう。


もう一つ、本作の成功要因として忘れてはならないのがストーリーです。本作は、第1作の22年後という時間的な連続性を持ちつつも、第1作のストーリーを踏襲したかのようなストーリーになっています。


恐竜のテーマパークを運営する者(第1作のハモンド/本作のクレア)がいて、その親類の子供(孫/甥)がテーマパークを訪れ(弟の方は恐竜大好き)、やがてテーマパークのトラブルで子供達が危険に晒され、恐竜を熟知した主人公(グラント博士/オーウェン)が彼らを守る。裏では悪巧みする者も(ネドリー/ホスキンス)。


そんなストーリーに、本作のオリジナル要素である、遺伝子操作で作られたインドミナス・レックスや、飼い慣らされたヴェロキラプトル達が加わり、エキサイティングなストーリーを展開しています。常に先の展開が楽しみで、ワクワクしながら映画を観ることができました。

 


ツッコミどころは多い

とは言いつつ、本作が手放しで賞賛できるようなものだったかというと、そうでもないのが正直なところ。


まず、本作は結構ツッコミどころというか、雑なところが多いんですよね。例えば、オーウェンとクレアが子供達を探しに向かう場面。危険に晒された子供達を一刻も早く救助しなければならない状況のはずが、死にかけたアパトサウルスに寄り添ってもたもたしています。このシーンは、恐竜を展示物としか見ていなかったクレアの心変わりのきっかけになるシーンであることは分かります。ただ、それを入れたいがために、自然なストーリーの流れを乱しています。


子供達がジープを修理するという展開もどうでしょう。お祖父さんの車を修理した経験があるという唐突な設定には苦笑い。こういうのをご都合主義というのです。


テーマパークが翼竜の襲撃でパニックに陥るシーン(まるでヒッチコックの『』)では、オーウェンのピンチをクレアが救って、2人は熱烈なキス!これには「はぁ?」という感じでした(笑)。まだ翼竜飛び回っているのに、キスしとる場合か!


というか、この2人が惹かれ合うことに全く説得力がないと思うのは私だけでしょうか?恐竜に敬意を持って接するオーウェンと、展示物としか見ないクレアって、価値観が完全にずれていますよね。最初に2人が話すシーンも、"お互い好きだけど素直になれない2人"というよりは、"根本的に合わない2人"にしか見えませんでした。


それから、本作はやたらとキャラクターがステレオタイプなのも残念なところ。よく見る悪役軍人的なキャラクターのホスキンスなんかもそうですが、最も典型的なのはクレアでしょう。上にも述べたように、恐竜は展示物でしかなく、訪ねてきた甥っ子達も疎かにして、とにかくビジネスのことしか頭にない女。


冒頭から"嫌な女"感が強いので、てっきり恐竜に食べられるキャラかと思いきや、まさかのヒロインでした(笑)。ストーリーが進むにつれて、クレアの肌の露出が徐々に増えてセクシーになっていくのは狙ってやってますよね。ちょっと笑ってしまいました。

 


ティラノサウルスに大満足!

さて、そういう気になるところはいろいろあるんですが、やはりインドミナスとのラストバトルは全てを吹き飛ばす興奮がありました。


飼い慣らされたラプトルとの共闘というのもいいのですが、極め付きはやはりティラノサウルスでしょう!クレアがパドック9へと向かう時点で「ティラノ来るか?」とドキドキしたのですが、クレアが発煙筒に点火した瞬間は大興奮でした。


発煙筒と言えば、第1作で初めてティラノサウルスが登場するシーンで、ティラノサウルスを誘導するのに使われました。本作でも同じように発煙筒に導かれるように動き出すティラノサウルス。テーマ曲のモチーフが流れ、ティラノサウルスはゲートを出て走り出します。第1作へのオマージュが多い本作ですが、これ以上のオマージュはないでしょう!


私がこのシーンに興奮した理由はもう一つ。前作『ジュラシック・パークIII』では、映画序盤でティラノサウルスがスピノサウルスにやられてしまうシーンがありました。スピノサウルスの強さを見せる為の噛ませ犬に使われてしまったわけです。前作の感想で述べましたが、私はこれが大いに不服だったのです。


翻って本作では、ティラノサウルスは最後の切り札として勇壮に登場するわけで、前作の汚名を返上する活躍を見せるのです。これはティラノ推しの私にとっては大満足!ツッコミどころが多いとか、キャラクターがステレオタイプだとか、そんなことはもうどうでも良くなってしまいました(笑)


最後に、湖まで追い詰められたインドミナスは、水中から現れたモササウルスにガブリとやられ水中に消えます。このシーンも第1作でラプトルがティラノサウルスに食われるラストを彷彿とさせます。これもオマージュの一つでしょうか。

 


第1作へのオマージュ

上でも触れましたが、本作は第1作へのオマージュがとても多いです。ジュラシック・パークのビジターセンターの廃墟で、第1作のラストシーンの骨格標本や横断幕を松明として使うなんて、ニクい演出です。これに続くシーンでは、暗視ゴーグルやジープも登場します。


また、ガリミムスの群れが疾走するシーンは、画面の構図が第1作と似ていますよね。第1作ではグラント博士と子供達がガリミムスと並走しますが、本作では観光客を乗せた車が並走していました。


それから、クレアが着ている白い服は、第1作でハモンドが着ていた服をモチーフにしているのでしょう。上でも述べたように、本作のクレアは、第1作のハモンドに相当するキャラクターですからね。


個人的に一つ残念なのは、第1作でグラント博士達が恐竜達を初めて目にしたシーンのように、登場人物が恐竜を目にして感動するシーンが無いこと。第1作におけるこのシーンは、映像表現の革新性も相まって、映画を見る我々もグラント博士達と一緒に感動できる、記憶に残るシーンでした。


もちろん、本作で描かれた年代では、もはや恐竜は珍しいものでなく、動物園で象を見るようなものだという説明はありました。でも、動物好きの子供が象のテーマパークで象の群れを目の当たりにしたら、感動するでしょう。一応、ジャイロスフィアで恐竜の群れを見た時に少しそれっぽいシーンはありましたが、タイミングがかなり遅いですし、演出も中途半端でした。そこは少し残念でしたね。

 

最後に

今回は映画『ジュラシック・ワールド』解説&感想でした。ツッコミどころは多いですが、娯楽大作として見どころ十分の作品に仕上がっていました。ただ、本作の成功要因の一つが第1作を踏襲した原点回帰的なストーリーにあるとすれば、この後の続編は如何に?

 

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映画『ジュラシック・パークIII』感想 ちょっとご都合主義が過ぎるか

どうも、たきじです。

 

今回は映画『ジュラシック・パークIII』の感想です。本作は、1997年の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』に続くシリーズ第3作。前作まで監督を務めたスティーヴン・スピルバーグは製作総指揮に回り、本作ではジョー・ジョンストンが監督を務めています。

 

↓ 過去作の解説&感想はこちら

 

作品情報

タイトル:ジュラシック・パークIII

原題  :Jurassic Park III

製作年 :2001年

製作国 :アメリカ

監督  :ジョー・ジョンストン

出演  :サム・ニール

     ウィリアム・H・メイシー

     ティア・レオーニ

     アレッサンドロ・ニヴォラ

     トレヴァー・モーガン

     ローラ・ダーン

 上映時間:94分

 

感想(ネタバレあり)

本作は、随分とご都合主義的な作品になっています。意図的にご都合主義的にストーリーを展開して、観客を楽しませる作品も存在しますが、本作はそれにあたりません。


登場するキャラクターの設定はあまりに安直。「今回はティラノサウルスより強いスピノサウルスがメインを張ります。怖いでしょ」、「今回のラプトルは"言葉"でコミュニケーションを取って連携してきます。怖いでしょ」みたいな。


ティラノサウルスより強くて泳ぎもできるスピノサウルスを主役にして盛り上げたかったのは分かるんです。でも、ティラノサウルスは強いだけでなく、ビジュアルがめちゃかっこいいわけですよ。おまけに人気俳優のように高いギャラは取らない。そんなスーパースターをあっさり降板させるなんてもったいない(笑)


それに登場人物も恐竜達も、映画的に都合のいいように動かされてる感が強いです。前作でもそれは感じられましたが、本作はさらに極まっています。


前作のジュリアン・ムーアがそうであったように、本作ではティア・レオーニ演じるアマンダがやたらと大声を出してみんなを危険に晒します。グラント博士(サム・ニール)の助手のビリー(アレッサンドロ・ニヴォラ)もラプトルの卵を持ち帰ろうとするという暴挙に出ます。誰がどう見てもやばいことを専門家がやってしまうのです。このようにキャラクターを強引に動かして緊張感を作ろうとしても、ご都合主義が鼻についてしまいます。

 


他にも、何の手がかりもなく歩いているだけで、たまたま森の中でベンの遺体に遭遇したり。特別なサバイバルの素養があるわけでもないエリック(トレヴァー・モーガン)が一人で2ヶ月間生き延びていたり。


それから、ラプトルが襲ってくることに対してはしっかり理由付けしているくせに、スピノサウルスがやたらと追いかけてくる理由は特に示されません。第1作のティラノサウルスやラプトルは、目の前に現れた獲物を襲っている感じでしたけどね。本作のスピノサウルスは、人間に何か恨みでもあるかのように執拗に追いかけてきていますよね(笑)


SFにリアリティを求めすぎるのは良くないですし、リアリティから離れたところに映画的な興奮は生まれるものでしょう。しかし、本作の場合、ご都合主義や突飛さが際立ってしまっています。


とは言え、見る価値のない退屈な映画と切り捨てる気はないです。例えば、プテラノドンとの一連の闘いは、なかなかエキサイティングな見どころの一つでしょう。深い霧の中で老朽化した橋を渡る緊張感の中、目の前にプテラノドンが姿を現すシーンは素晴らしかったです。


スーパーヒーローでもないビリーがパラグライダーでエリックを助けるのはやはりご都合主義的で、無茶するなよwって見てましたが、なんだかんだこういう自己犠牲的なシーンは熱くなりますよね。その後ビリーはプテラノドンにめちゃ突かれながら川に消えていってかわいそうでしたけど。でも、最後にはしっかり救助されていてホッとしましたよ。


ビリーがグラント博士に帽子を手渡すラストはどうでしょうね。本編中であの帽子に特別フォーカスされてなかったので、少し唐突な印象も受けました。

 

これがインディ・ジョーンズなら、彼が帽子を被ったところでジョン・ウィリアムズのテーマ曲が流れて、最高に盛り上がるエンディングになるんでしょうけどね。

 

最後に

今回は映画『ジュラシック・パークIII』の感想でした。前作同様、第1作には遠く及ばないですし、ご都合主義が目立つ作品ではありますが、94分というコンパクトな上映時間も相まって、退屈することなくそれなりに楽しめる作品ではありました。

 

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映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』感想 前作に勝る点のない続編

どうも、たきじです。

 

今回は映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の感想です。1993年の『ジュラシック・パーク』の続編で、前作に続きスティーヴン・スピルバーグが監督を務めています。

 

↓ 前作の解説&感想はこちら

 

作品情報

タイトル:ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク

原題  :The Lost World: Jurassic Park

製作年 :1997年

製作国 :アメリカ

監督  :スティーヴン・スピルバーグ

出演  :ジェフ・ゴールドブラム

     ジュリアン・ムーア

     ピート・ポスルスウェイト

     アーリス・ハワード  

     リチャード・アッテンボロー

 上映時間:129分

 

感想(ネタバレあり)

強引さの目立つ脚本

今回、公開当時に鑑賞して以来、久々の鑑賞でした。結論から言うと、歴史に残る名作であった前作とは打って変わって、本作は凡作に終わっています(初見時と同じ感想)。それなりに楽しんで見ることはできたのですが、続編として良いところがほとんど無く、作る必要のない続編であったと言わざるをえません。


全体として、脚本には強引さが目立ちます。続編のストーリー展開のために、"サイトB"という飼育用の島があったことにする、とか、マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)が島に行く動機付けのために、恋人のサラ(ジュリアン・ムーア)が先に島に行ったことにする、とか…。娘のケリーがこっそりついてくるのも、やっぱりか(苦笑)…という感じです。


また、前作でサム・ニールが演じたグラント博士は、恐竜への熱意や知識がしっかり描かれていて、行動にも説得力がありました。一方の本作のサラは、学者らしからぬ軽率な行動で、仲間を何度も危険に晒してしまいます。


怪我をしたティラノサウルスの子供を連れ帰ったり、血のついた服を着たまま歩いたり…。もちろん、脚本上では、これがストーリーを動かす役割を担っているわけで、登場人物の"軽率な行動"がその役割を担うことは常套手段かもしれません。でも、その役割を学者に与えてしまうのはね…。少し強引な印象が否めません。


こういう雑なところが見えてしまうと、ストーリーにうまく乗れませんよね。前作のような感動は生まれず、各シーンが次々に流れていくような印象を受けてしまいます。

 


前作に勝る恐怖なし

恐怖演出という点でも前作のような素晴らしさは感じられません。ティラノサウルスの数が増えたり、前作以上に多種多様な恐竜が現れる分、パニック要素は増えているかもしれません。しかしながら、ジリジリと恐怖が迫るような"静"の緊張感は控えめになった印象です。


前作のティラノサウルス登場シーンにおける、コップの振動の演出は素晴らしいですが、本作でもそれを意識し過ぎたのかな?中盤のティラノサウルスの登場シーンで、やたらと水溜りに波紋ができますが、あの水溜りに振動を与えたとて、ああはならないような(笑)


恐怖シーンとして一番記憶に残ったのは、序盤で車が崖から落とされるシーン。ガラスのヒビ、電話の落下、ロープの外れなど、ピンチの畳み掛けによってスリリングなシーンになっていました。ゲームの『アンチャーテッド』シリーズみたいでしたね(いや、『アンチャーテッド』が"映画みたいなゲーム"なのか)。


でも、本作は恐竜映画ですからね。一応ティラノサウルスに襲われた結果のシーンとは言え、一番のシーンが車が落ちるシーンというのはね…。


終盤のラプトルの襲撃も見どころの一つではあるでしょうが、前作より怖さはしぼんでいますね。ケリーが体操経験を活かして、鉄棒のごとくクルクル回ってラプトルを撃退するシーンは何とも漫画的。序盤で体操についての話が出てきて、これが一応の伏線になっていますが、ちょっと伏線の張り方が雑ですね(笑)


ちなみにマルコムとケリーは少し特殊な親子関係(シングル・ファーザーで人種も違う)にあるので、ティラノサウルス親子との対比なんかも入れつつ、もっと掘り下げられるのかと思いました。が、その辺の描き方は中途半端に終わってしまいましたね。


スピルバーグ版"キング・コング"?

彼らはヘリコプターで何とか島を脱出し、舞台はサンディエゴに移ります(「このヘリ絶対墜落するな」と思ってしまったあなたはカプコンのゲームのやりすぎです笑)。


島の次は街で恐竜に暴れさせるのは安易だとか、怪獣映画は他でやれとか言われがちですが、ここでスピルバーグ(というか脚本のデビッド・コープ?)がやりたかったのは、最先端技術による『キング・コング』でしょうね。


「恐竜がいる島に行ったクルーが、金儲けのために"モンスター"を連れ帰り、それが脱走して街で暴れる」って、そのまんまです。船の名前がベンチャー号というのも同じですしね。

 

でも、2005年にピーター・ジャクソン監督が『キング・コング』をやった今、その点での面白味はもはや皆無といっていいかもしれません。

 

最後に

今回は映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の感想でした。すごく酷評な感想となってしまいましたが、冒頭述べたように、それなりに楽しんで見られる作品にはなってはいます。それでもやっぱり残念な続編というのは揺るぎないですね。スティーヴン・スピルバーグが監督して何でこうなってしまうのでしょう…。同監督による続編なのに、二番煎じの真似事のようでした。

 

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映画『ジュラシック・パーク』解説&感想 スピルバーグ演出の賜物

どうも、たきじです。

 

今回は映画『ジュラシック・パーク』の解説&感想です。1993年公開のアメリカ映画で、日本の興行収入記録としては、当時『E.T.』に次ぐ大ヒットとなった作品です。

 

作品情報

タイトル:ジュラシック・パーク

原題  :Jurassic Park

製作年 :1993年

製作国 :アメリカ

監督  :スティーヴン・スピルバーグ

出演  :サム・ニール

     ローラ・ダーン

     ジェフ・ゴールドブラム

     リチャード・アッテンボロー

     アリアナ・リチャーズ

     ジョゼフ・マゼロ

     サミュエル・L・ジャクソン

 上映時間:127分

 

解説&感想(ネタバレあり)

当時の最先端の映像技術

琥珀の中の蚊に残された恐竜の血液のDNAによって、恐竜を現代に蘇らせる。このアイデアがまず素晴らしい。当時科学大好き少年だった私にとって、この設定だけでワクワクでした。


それを、脂の乗り切ったスティーヴン・スピルバーグ監督が、当時の映像技術を駆使して描くわけですから、当時の観客の本作への期待は想像に難くないと思います。


その映像技術とは、すなわち、CGアニマトロニクスです。


90年代の映像技術については『ターミネーター2 』の記事でも詳しく述べましたが、当時はCGを始めとする映像技術が日進月歩の時代でした。これまでは見たことのないような視覚効果が話題となる映画が数年ごとに公開されていました。


本作も『ターミネーター2 』と同じく、CGはILM、アニマトロニクスはスタン・ウィンストンが手がけています。アニマトロニクスというのはロボットを使って撮影する映像技術。本作では、恐竜が走るシーンなど、恐竜の全身が映るシーンではCGを使い、頭部のアップなどのシーンではアニマトロニクスが使われています。

 

この使い分けが重要なところで、最先端のCGを使いつつも、当時のCG技術では表現し切れない細部にはアニマトロニクスを使うことで、驚くほど自然な映像で動く恐竜を再現しているのです。


当時はこのように自然に動く恐竜をスクリーンで見ることが無かったわけです。それ故に、多くの人にとって、恐竜が出てくる一つ一つのシーンがもうワクワクだったのです。


特に、グラント博士達が生きている恐竜を目の当たりにするシーンでは、博士達と一緒に、スクリーンを見つめる観客も感動していたと思います。


ここで流れるジョン・ウィリアムズによるテーマ曲が、この感動を盛り上げてくれるのは言うまでもありません。

 

スピルバーグの恐怖演出

本作が今見てもこんなに面白いのは、色褪せない魅力を放つスピルバーグ演出の賜物でしょう。映画ファンなら"スピルバーグっぽい演出"ってなんとなくイメージできると思うのですが、そのイメージは本作の演出から来ているものも少なくないと思います。


例えばティラノサウルスが現れるシーン。ギリギリまでティラノサウルスの姿は見せない。コップの振動、響き渡る重低音、ヤギがいない!の畳み掛け。


ティラノサウルスが現れてからも、それはとどまることを知らず。グラント博士達はティラノサウルスに気づかれまいと息を潜める。レックスが懐中電灯を照らしてしまい、車が狙われる(光を浴びた瞬間だけ瞳孔が閉じてる!)。車が横転させられる。泥水が流れ込んでくる。ティムが足を挟まれて動けない。グラント博士とレックスは息を潜めてやり過ごそうとする。車ごと崖っぷちに追いやられる。この畳み掛けです。


息を潜めるという"静"と、まさにティラノサウルスの攻撃を受ける"動"。この静と動の緊張感による緩急もまた素晴らしいところです。


他にもスピルバーグっぽさを強く感じるのは、エリーが電力を復旧させる場面です。いつ恐竜に襲われるか分からない緊張感の中、電力復旧を急ぐエリー。ちょうどその頃、電源が切れた高電圧フェンスによじ登っているグラント博士と子供達。2つの場所をカットバックで交互に描きます。


エリーの立場では、早く電力を復旧して安全な場所へ戻りたい。しかし映画を見る我々は、今電力が復旧されるとグラント博士達が危ないことを知っています。この状況が緊張感を生み出しています。


電力復旧の手順がやたら複雑になっているのは、今見ると少し滑稽にも見えますが、この点は現実性よりも映画としての演出を優先しているのでしょう。この複雑な手順を踏んだ電力復旧が、このシーンのサスペンスを盛り上げていることは確かです。

 


ヴェロキラプトルの恐怖

そして、スピルバーグの恐怖演出が極まるのが、なんと言っても子供達がヴェロキラプトルに襲われるクライマックスでしょう。


ラプトルのヤバさは、冒頭から繰り返し印象付けられています。グラント博士が生意気な子供をビビらせるように解説するシーンや、牛一頭を餌として与えるシーンです。


インパクト的にティラノサウルスがラスボスの立ち位置かと思いきや、マジでやばい真のラスボスは、小回りの良さとコンビネーションで襲ってくるラプトルというわけです。エリーやパークのスタッフを襲うことで、その姿を現すわけですが、クライマックスで子供達を襲うのです。


ゼリーを持つレックス手が震え、ラプトルの絵にラプトルの影が重なるという登場シーンから決まっています。


厨房に逃げ込む2人を追って厨房のドアの窓から顔を覗かせるラプトル。ギョロリとした目。鼻息で曇る窓。この演出がたまりません!


厨房という閉鎖された空間をたっぷり使った2対2の追いかけっこ。おたま、棚の扉、ステンレスの反射、冷凍庫と、そこにあるものを使い切るかのような演出の畳み掛けに痺れます。


最後にはティラノサウルスに助けられるというまさかの結末。ここでもジョン・ウィリアムズの旋律が勇壮に流れ、ティラノサウルスが雄叫びを上げます。そこへ、"WHEN DINOSAURS RULED THE EARTH"(恐竜が地球を支配した時)と書かれた横断幕がひらひらと落ちてきます。


もう最高!この狙い過ぎの横断幕に少しニンマリしつつ、大興奮の自分がいます。


ちなみにこの"WHEN DINOSAURS RULED THE EARTH"というのは、1970年公開のイギリス映画『恐竜時代』の原題。さほど評価の高い映画でもないようですが、恐竜映画の先駆に対するスピルバーグなりのオマージュかもしれませんね。


余談ですが、ラプトルから逃れるためにグラント博士達が天井裏に逃げ込むシーンがありますが、ここでラプトルの身体にアルファベットが羅列された細かい影が映ります。このアルファベットはA・T・G・Cで構成されていて、DNAの塩基配列になっています。DNA操作で生まれた恐竜に、ここでDNAを投影するとは、演出が細かいですね。


いや、私は高校で生物を選択しなかったので、本当のところ「塩基配列ってなんぞや?」という感じです(笑)。ただ、同じくDNAが関わる映画『ガタカ』(GATTACA)のタイトルがDNAの塩基配列で構成されているのを聞いて感心した記憶があったので、今回初めてこの演出に気付きました。思わず巻き戻して興奮してしまいましたよ(笑)

 

最後に

今回は映画『ジュラシック・パーク』の解説&感想でした。例え現代の映像技術には劣ろうとも、時代を作った映画だけあって古さをほとんど感じさせませんし、スピルバーグ演出がさえ渡った名作です。その後、続編が作られていますが、間違いなく本作が最高の出来ですので、未見の方は本作だけでも鑑賞をおすすめします。

 

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