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映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』解説&感想 盲目の退役軍人と若者の交流を通して綴られる絶望と再生

どうも、たきじです。

 

今回は1992年公開のアメリカ映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』の解説&感想です。アカデミー賞では、アル・パチーノが念願の主演男優賞を受賞した他、作品賞、監督賞、脚色賞にノミネートされました。

 

 

作品情報

タイトル:セント・オブ・ウーマン/夢の香り

原題  :Scent of a Woman

製作年 :1992年

製作国 :アメリカ

監督  :マーティン・ブレスト

出演  :アル・パチーノ

     クリス・オドネル

     ジェームズ・レブホーン

     ガブリエル・アンウォー

     フィリップ・シーモア・ホフマン

 上映時間:157分

 

解説&感想(ネタバレあり)

完璧な演技を見せたアル・パチーノ

アル・パチーノは本作でアカデミー賞の主演男優賞を受賞しました。誰もがその高い演技力を認めていながら、タイミングが合わずなかなかアカデミー賞を受賞できない俳優が時々いますが、アル・パチーノはその筆頭でした。実に7度目のノミネートでの初受賞でした。


受賞には競合する他の俳優の演技も関係しますから、受賞した作品がその俳優のベストの作品とは限りません。とは言え、偏屈な退役軍人という濃いキャラクターで、盲目で、内に苦悩を秘めているという難しい役柄を完璧に演じた本作のアル・パチーノのパフォーマンスは、彼のキャリアを代表する名演であったことは間違いないでしょう。


この役柄をアル・パチーノ以外がうまく演じている姿は想像もできないです。

 


フランクの絶望と再生

盲目の退役軍人フランク(アル・パチーノ)の世話をするアルバイトをすることになった高校生のチャーリー(クリス・オドネル)。本作は2人のニューヨークの旅を通じた交流を描きながら、それぞれの苦悩と、それぞれがそこから解放されていく様子を描きます。


フランクは盲目とは言え悩みなど無さそうにも見える性格ですが、実は孤独と絶望を抱え、旅の終わりに自殺しようと考えていることが明らかになります。


フランクの自殺未遂のシーンは間違いなく本作のハイライトの一つ。フランクとチャーリーが激しくぶつかり合うこのシーンは緊張感たっぷりです。

 

If you’re tangled up, just tango on.

足が絡まっても踊り続ければいい


タンゴについて語ったフランクの台詞を引用してフランクを励ますチャーリー。クリス・オドネルの涙の熱演が胸に迫ります。


チャーリーの説得によって自殺を踏みとどまったフランク。学校での力強いスピーチや、姪の子供達と関係改善しようと優しく語りかける姿からは、彼が再び命を絶とうとすることはないだろうと確信できます。

 


チャーリーを救うフランクのスピーチ

一方、チャーリーは学校でトラスク校長(ジェームズ・レブホーン)にイタズラした犯人の目撃者として、同級生を突き出すか否かで悩みます。友達を売るのか、黙秘によって処分を受けるのかという二者択一です。


思い悩んだチャーリーですが、彼は友達を売ることはなく、校長の追及にも口を閉ざします。チャーリーの窮地を救うのは、上でも触れたフランクのスピーチ。チャーリーの保護者として現れたフランクは、チャーリーの高潔さを主張すると共に、そんな彼を処分しようとしている学校を糾弾します。

 

時に過激な表現を用いながら、心に訴えかけるような彼の力強い言葉。このスピーチは、映画のクライマックスとして観客の心にも訴えかけます。そしてスピーチの甲斐あって、チャーリーは処分を受けずに済むのです。


盲目の退役軍人と若者の心の触れ合い。お互いがお互いを救い合い、苦悩から解放されていく様子には感動を覚えます。


一方で、フランクの演説後に評決が言い渡された時の生徒達の異常な盛り上がりは、過剰演出でやや興ざめなことも付け加えておきましょう。フェラーリのシーンにしてもそうですが、本作は現実性に欠けた過剰演出がちょいちょいあるのが玉にキズです。

 


タンゴのシーンは屈指の名シーン

本作は上述の通りストーリーがすばらしい上に、名シーンが満載なので、長尺でも飽きることが無く楽しめます。


既に述べた自殺未遂のシーンやスピーチのシーンは言わずもがなですが、それ以外でも特筆すべきはタンゴのシーンでしょう。フランクはレストランで出会ったドナ(ガブリエル・アンウォー)とタンゴを踊ります。


音楽も美しくて好きですが、何と言っても踊る2人の表情が素晴らしいです。2人のダンスを笑顔で見つめるチャーリーと同じように、気がつけばこちらも微笑んでいます。


ちなみにこのタンゴ曲はカルロス・ガルデル作曲の「Por una cabeza(ポル・ウナ・カベサ)」という曲。『シンドラーのリスト』の冒頭や、『トゥルーライズ』のダンスシーンでも使われているので、映画ファンには聞き覚えのある方も多いでしょう。

 

最後に

今回は映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』の解説&感想でした。盲目の退役軍人と若者の心の触れ合いを通じて、絶望と再生を描いた感動作です。アル・パチーノの名演も見どころです。

 

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↓ アル・パチーノが名を上げた映画史に残る傑作

映画『恐怖の報酬』感想 フランスのサスペンス映画の名作

どうも、たきじです。

 

今回は1953年公開のフランス映画『恐怖の報酬』の感想です。カンヌ映画祭のパルム・ドール(当時は"グランプリ")、ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞するなど、欧州で輝かしい評価を得たサスペンス映画。1977年にはウィリアム・フリードキン監督によってアメリカでリメイクされています。

 

 

作品情報

タイトル:恐怖の報酬

原題  :Le Salaire de la peur

製作年 :1953年

製作国 :フランス

監督  :アンリ=ジョルジュ・クルーゾー

出演  :イヴ・モンタン

     シャルル・ヴァネル

     フォルコ・ルリ

     ペーター・ファン・アイク

 上映時間:131分

 

感想(ネタバレあり)

舞台は中米。油田で火災が発生し、ニトログリセリンによる爆風で消火することに。振動で爆発する危険なニトログリセリンを積んだトラックで、4人の男達が悪路を進み油田を目指す物語です。


前半はとにかく退屈でした。前半は、後半にニトログリセリンを運ぶことになる4人の背景や性格を描き込むパートのはず。しかしながら、個々のエピソード自体もあまり面白くないし、後半につながる人物描写の掘り下げもいまいちです。4人のうちの1人のビンバに至っては、ほとんど描写がありません。全体的に状況説明もあまりスマートではなく、ストレスの溜まる前半でした。


後半に入り、ニトログリセリンを運び始めると、そのストレスが発散される、なら良かったのですが、それも今ひとつ。基本的にクズっぽいキャラクターが多いので感情移入できないのが致命的。ニトログリセリンが爆発してしまっても、こいつらならまあいいか(言い過ぎ?)、なんて思ってしまうと、緊張感など生まれるはずがありません。


ニトログリセリンを運ぶ道中、ボロボロの木製の足場での切り返しを余儀なくされたり、巨大な岩に道を塞がれていたり、石油の沼に道を阻まれたりと、次々に障害が現れるのは良いです。ただ、この辺りも全体的にもっと緊張感を高める演出ができたんじゃないかと、少し物足りなく感じてしまいました。すごく淡々としてるんですよね。


ということで、世間的には評価されている割には、私としてはあまりハマらない作品でした。そんな中、手放しで賞賛したいのはラストシーンです。


命懸けの危険な仕事をやり遂げたマリオは、帰り道に浮かれすぎて蛇行運転し、単独事故で死亡するのです。フランス映画らしい不条理なバッドエンドですね。


マリオが無事という一報に踊る酒場の人々の回転と、蛇行運転するトラックのハンドルやタイヤの回転を重ねるかのような編集も決まっています。バッドエンドながら、ある種のカタルシスを感じる結末でした。

 

最後に

今回は映画『恐怖の報酬』の感想でした。世間的には評価されているのに今ひとつハマらないというのは、期待していた分すごく残念。ラストシーンは良かったものの、終わりよければすべてよし、とまでは言えませんでした。

 

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映画『グリーンブック』解説&感想 人種差別問題の歴史の1ページ

どうも、たきじです。

 

今回は2018年公開のアメリカ映画『グリーンブック』の解説&感想です。アカデミー賞では、作品賞の他、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚本賞の3部門を受賞しています。

 

 

作品情報

タイトル:グリーンブック

原題  :Green Book

製作年 :2018年

製作国 :アメリカ

監督  :ピーター・ファレリー

出演  :ヴィゴ・モーテンセン

     マハーシャラ・アリ

     リンダ・カーデリーニ

 上映時間:130分

 

あらすじとタイトル解説

本作の舞台は1962年のアメリカ。黒人が白人と同じ公共施設を利用することを禁じるような人種差別的な法律がまかり通っていた時代です。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系アメリカ人のトニー(ヴィゴ・モーテンセン)は、中西部から南部にかけてコンサートツアーを行う黒人のピアニスト、シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手を務めることになります。


性格や価値観の違いから時にぶつかり合う2人。人種差別意識の強い南部にかけて、激しい差別に直面しながら旅を続けるうち、やがて2人はお互いを尊重し合い、友情が芽生えていきます。


タイトルの『グリーンブック』は、1936年から1966年まで毎年発行されていた旅行ガイド本『The Negro Motorist Green Book(黒人ドライバーのためのグリーン・ブック)』にちなみます。著者のヴィクター・H・グリーンにちなむこの本は、黒人でも利用可能な公共施設についてレビューされたものです。この本の存在そのものが、本作で描かれている当時の異常な社会を象徴しています。

 

感想(ネタバレあり)

程度の差こそあれ、いまだにアメリカ社会に影を落とす人種差別問題。本作は、この根深い社会問題の歴史の1ページを描きながら、トニーとシャーリーが分かり合う過程を笑いを交えて描いた作品です。


黒人の労働者が口をつけたグラスをゴミ箱に捨てたり、黒人を差別的な表現で呼んだりと、黒人に対して極めて差別的な思想を持っていたトニーが、次第に黒人であるシャーリーに理解を示すようになっていきます。


それは、トニーがシャーリーの才能に触れたこともあるでしょうが、やはり自身が守るべきクライアントであるシャーリーが、ひどく差別される様子を目の当たりにしたことが大きいでしょう。


バーに入っただけで集団で暴行されたり、演奏会の招待主から屋外の粗末なトイレで用を足すように強要されたりといった様子は、現代の感覚では信じられないような差別です。


演奏会に招いておきながら、シャーリーに対し非人間的な扱いをする招待主。彼らは教養人と思われたくて私の演奏を聴くのだというシャーリーの叫びは心に響きます。

 


南部にかけての旅を通して、トニーとシャーリーは分かり合います。最後にはシャーリーがレストランへの入場を拒否されたのを機に、トニーとシャーリーは演奏会を拒否して黒人の集まるバーに赴きます。シャーリーはウェイトレスに促され、粗末なピアノで演奏を披露します。

 

But not everyone can play Chopin. Not like I can.

だが誰もがショパンを弾けるわけではないんだ。私のようにはね。


シャーリーがショパンの"練習曲作品25第11番"を披露することで、中盤の台詞の伏線が回収されます。そしてバンドの演奏に合わせてシャーリーはアドリブで演奏。盛り上がる客。このシーンは映画のハイライトと言って良いでしょう。


また、トニーが盗んだ翡翠や、トニーが妻ドロレス(リンダ・カーデリーニ)に宛てた手紙などの小道具も映画を通して味付けとしてうまく機能しています。

 

ラストシーンでは、ドロレスがシャーリーとハグして彼に囁きます。

 

Thank you for helping him with the letters.

彼の手紙を手伝ってくれてありがとう。

 

トニーの手紙に感動しつつも、シャーリーが助けていたことは全てお見通しだったという、思わずニンマリしてしまう素敵なラストシーンでした。

 


本作でアカデミー助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリは素晴らしかったですが、個人的にはトニーを演じたヴィゴ・モーテンセンの演技の方が印象に残りました。そこまで演技派のイメージはありませんでしたが、本作では、外見の役作りと芝居の良さで、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。


荒っぽくありながらも憎めない男。シャーリーや黒人への見方が次第に変化していく複雑なキャラクターを見事に演じています。『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルン役しか知らない人には驚きだったのではないでしょうか。


ところで、本作はアカデミー作品賞も受賞しています。本作が同賞を受賞できたのは、人種差別問題を扱った本作が、近年の多様性重視の流れにうまくはまったこともあるでしょう。この年は、黒人のヒーローを描いた『ブラックパンサー』がヒーロー映画として初めてノミネート(大傑作『ダークナイト』でさえノミネートされなかった)されたり、非英語作品の『ROMA/ローマ』がノミネートされたりと、多様性重視の流れが加速した年でしたからね。翌年にはこちらも非英語作品である韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞を受賞しています。

 

本作は良作であることは間違いないですが、個人的には賞レースの中心になるほどの作品とは思いませんでした。筋書きは至ってシンプルですし、予告編を見て想像される通りの作品で、特別な感動はありませんでした。期待の上も下も行かない感じでしたね。

 

最後に

今回は映画『グリーンブック』の解説&感想でした。期待の上も下も行かない作品ということは、ある意味期待通りだったということ。予告編を見て良さそうと思った人は、裏切られることはないと思いますので、ぜひご覧ください。


そういえば本作の前年に公開された『ゲット・アウト』も黒人青年が主人公で、人種をテーマにした作品でした(こちらはホラー映画ながらアカデミー作品賞にノミネートされていました)。『グリーンブック』を見てアメリカの人種差別問題を頭に入れた上で見ると、さらに楽しめる作品なので、こちらもおすすめです。

 

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映画『アンタッチャブル』解説&感想 アル・カポネに挑む捜査チームの奮闘を描く

どうも、たきじです。

 

今回は1987年公開のアメリカ映画『アンタッチャブル』の解説&感想です。シカゴを牛耳るギャング、アル・カポネ逮捕のために奮闘する捜査チームの活躍を、ブライアン・デ・パルマ監督が描きます。

 

 

作品情報

タイトル:アンタッチャブル

原題  :The Untouchables

製作年 :1987年

製作国 :アメリカ

監督  :ブライアン・デ・パルマ

出演  :ケビン・コスナー

     ショーン・コネリー

     アンディ・ガルシア

     チャールズ・マーティン・スミス

     ロバート・デ・ニーロ

     ビリー・ドラゴ

     パトリシア・クラークソン

 上映時間:119分

 

解説&感想(ネタバレあり)

エリオット・ネスの自叙伝を映画化

舞台は禁酒法時代のシカゴ。酒の密造や密輸によって莫大な利益を上げ、シカゴを牛耳るのはギャングのボス、アル・カポネ(ロバート・デ・ニーロ)。財務省から送り込まれた捜査官エリオット・ネス(ケビン・コスナー)は捜査チームを組織し、カポネ逮捕のために奮闘します。ネスの捜査チームはやがてアンタッチャブル(The Untouchables=手出しできない奴ら)と呼ばれるようになります。


本作はエリオット・ネスの自叙伝の映画化。映画化にあたって脚色されたところもある上に、そもそも原作の時点で武勇伝として結構盛られているというのが定説のようです(近年見直す向きもあるようですが)。史実に基づくのは大まかな事実のみで、物語はフィクションと考えた方がいいでしょう。


ネス達アンタッチャブルとカポネの組織との重厚な実録ドラマは描かれていないものの、正義のヒーロー"アンタッチャブル"を描いた軽快な娯楽作品としてうまくまとめられています。

 


少し残念なのは…

個人的に少し残念に思うのは、彼らがアンタッチャブルと呼ばれるようになるところをもう少し強調して描いた方が良かったのでは?ということ(台詞でさらっと出てくるレベルではなく)。


本作のタイトルなんだから、というのもありますが、もう一つの理由は、アンタッチャブルズの1人のウォレス(チャールズ・マーティン・スミス)がエレベーターで殺されるシーンにあります。ここで、暗殺者のフランク・ニッティ(ビリー・ドラゴ)によって、壁には血で"TOUCHABLE"と書かれています。彼らがアンタッチャブルと呼ばれているのにちなんで、"タッチャブル"、つまり"手出しできるぜ"と煽っている訳です。このショッキングなシーンをより劇的に見せるためにも、アンタッチャブルという彼らの通称をより強く印象付けるべきだったと思うのです。


ついでに言えば、このフランク・ニッティのキャラクターとか、彼とネスの屋上でのアクションはちょっと"映画的"(もっと言えば漫画的)過ぎる印象を受けますね。ニッティは組織の殺し屋みたいな役回りですが、白スーツで目立ちまくりだし。


本作ではネスに突き落とされて死亡しますが、史実ではカポネから組織を引き継いだ男です。そんな組織の幹部が、本作ではチンピラにしか見えません(笑)。これならニッティではなく、オリジナルのキャラクターとして描いた方が良かったのでは?『ロード・トゥ・パーディション』に出てくるニッティの方が、よほどそれっぽかったな。

 


凝ったカメラワーク

カメラワークが結構凝っているのは本作の見どころの一つでしょう。カメラが移動して被写体を追跡しながら撮影する"トラッキングショット"が多用されているのが印象的です。


ウォレスが犠牲になる直前のシーンでは、警察署内の廊下をあちこちに移動しながら2分超の長回しで臨場感を演出しています。マローンを狙う暗殺者の主観映像で見せる長回しも然り。ブライアン・デ・パルマ監督は『スネーク・アイズ』冒頭で10分以上の長回しもやっているように、この手の撮影はお手のものですね。


カポネのファーストカットや、彼がバットで部下を撲殺するシーンに見られる、真上からのカットも印象的。『ゴッドファーザー』でヴィトーが襲撃されるシーンを思い出します。


ユニオン・ステーションの銃撃シーン

忘れてはならないのはユニオン・ステーションでの銃撃シーン。このシーンは『戦艦ポチョムキン』(1925年)の"オデッサの階段"のシーンへのオマージュとしてしばしば語られますね。銃撃の中、階段を落ちていく乳母車のモチーフは『戦艦ポチョムキン』の引用であることは間違いありません。しかし、このシーンでのアクション設計、カッティング、スローモーションによって生み出される緊張感は、紛れもなく本作のオリジナル。この点は『戦艦ポチョムキン』とは切り離して評価されるべきでしょう。


ちなみに、私は昔アメリカ一人旅でシカゴを訪れた際にこの階段を降りたことがあります。映画と同じで、ユニオン・ステーションから長距離列車に乗るために、階段上の入口から駅に入って、この階段を降りました。乳母車が落ちるように、スーツケースをがたがたさせながら、一人でほくそ笑んでいました(笑)


以上、どうでもいい話でした。

 


俳優陣の好演

さて、本作は俳優陣のそれぞれがとても好演しています。


エリオット・ネスを演じた主演のケビン・コスナーは本作の成功で躍進。正義感溢れるヒーローの役にハマっていました。カポネに判決が下された後に一言決めるシーンもいいですが、ラストシーンがカッコいいですね。記者から禁酒法が廃止されるがどうするかと問われて、「大いに飲むよ」と残して去っていく姿よ!このシーンに限ったことではないですが、エンニオ・モリコーネによるヒロイックなテーマ曲がまたいいんだわ。


マローンを演じたショーン・コネリーは"ジェームズ・ボンド後"ぱっとしませんでしたが、本作で再浮上。アカデミー助演男優賞を受賞も納得の名演でした。息を引き取る前の壮絶な演技は何度見ても痺れます。


ストーンを演じたアンディ・ガルシアは本作で名を売りました。演技の見せ場は少ないながらも、ユニオン・ステーションのシーンではアクションで魅せてくれます。乳母車を支えながら、標的に銃口を向け、ネスの「You got him?(狙いは?)」に「Yeah I got him.(バッチリ)」と答え、完璧に標的を仕留める。カッコいい!


アル・カポネを演じたロバート・デ・ニーロは安定の演技ですね。ストイックな役作りで知られるデ・ニーロは、公開当時44歳ながら、頭髪を剃り上げて老け役を演じ…と思いきや、調べてみると、本作で描かれた年代のアル・カポネは30代前半。あ、アル・カポネって、そんな若かったんだ…。

 

最後に

今回は映画『アンタッチャブル』の解説&感想でした。凝ったカメラワークと、俳優陣の好演、モリコーネの音楽によって、軽快な娯楽作品としてまとまった"ヒーロー映画"でした。

 

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映画『つばさ』解説&感想 100年楽しまれる名作

どうも、たきじです。

 

今回は映画『つばさ』の解説&感想です。記念すべき第1回アカデミー賞で作品賞に輝いた作品です。

 

 

作品情報

タイトル:つばさ

原題  :Wings

製作年 :1927年

製作国 :アメリカ

監督  :ウィリアム・A・ウェルマン

出演  :クララ・ボウ

     チャールズ・ロジャース

     リチャード・アーレン

     ジョビナ・ラルストン

     ゲイリー・クーパー

 上映時間:141分

 

解説&感想(ネタバレあり)

今でも楽しめる娯楽作品

冒頭述べたように、本作は第1回アカデミー作品賞受賞作品。当時のアカデミー賞の規模は現在ほど大きくなく、現在以上に内輪で称え合うという性質が強かったようです。それでも、アカデミー作品賞受賞作品という箔のおかげで、公開から100年近く経った今でも作品を観てもらう機会が増えているのは間違いないでしょう。


ジャンルや年代問わず映画を楽しむのは、私を含めごく一部の映画オタクであって、映画好きでもさすがにサイレント期の映画は観ないという人も少なくありません。あるいは、サイレント映画で観るのはチャップリンやキートンのようなコメディくらいという人もいるでしょう。


コメディは他のジャンルに比べれば陳腐化しづらいというのはその一因でしょう。本作のようなアクション映画は技術面で陳腐化しやすいですからね。本作だって技術的には現代の映画とは比べ物にならないものです。しかし、当時にできる最大限の撮影技術と、人を興奮させるツボを押さえた脚本と演出によって、今でも楽しめる娯楽作品になっています。

 

撮影技術と脚本

昔の映画と侮っていたけれど、本作の空中戦の迫力に驚かされたという人は少なくないのではないでしょうか。私もその1人で、初見時には、サイレントでこんなスペクタクルが実現できたのかと驚きました。


実際に飛んでいる飛行機のショットと、スクリーンプロセスを背景に使ったパイロットのショットがうまく編集されて仕上げられた空中戦。当時の人がこれを見てかなり熱狂する姿が目に浮かびます。


現代のようなCG技術や音響効果がない分は、ストーリーをうまく盛り上げることで空中戦の迫力を補います。


ジャックが空に憧れる様子や訓練を繰り返す描写がしっかりしているからこそ、初任務で2人が飛び立つシーンにあれほどの爽快感が生まれます。ゴータとの空中戦では、街が爆撃によって破壊された後にここぞとばかりに2人が登場するのから、あれほどの興奮が生まれます。そして最後の総攻撃では、デヴィッドを失った(と思っている)ジャックが復讐に燃える姿があるから、観客も熱くなります。


本作の興奮は、撮影技術と脚本の相乗効果で生み出されていることがよく分かります。

 

映像表現のテクニック

本作は、空中戦以外でも、映画的な映像表現のテクニックで目を引くところが少なくありません。


例えば戦争が始まることを説明するシーン。状況を説明する長い字幕。やがてその字幕の前に暗雲が立ち込め、「WAR」という大きな文字が燃えながら、画面奥から手前に向けて現れます。


また、例えば戦争が激化する様子を描いたシーン。平原を行軍する部隊をロングショットで映し、画面上部の空の部分にコラージュで、戦闘の様子のモンタージュを映し出しています。


そしてもうひとつ。本作でとりわけ目を引くのが、パリのシークエンスの冒頭で唐突に現れるトラッキングショットです。画面手前から奥に向かって、歓談する客のテーブルの上を通過してカメラがジャックに近づいていくショット。今の時代に見ても違和感のない素晴らしいショットです。

 

 

脚本には雑なところも

脚本は、全体としてはよくできているものの、現代の感覚で見ると少々雑に見えるところも少なくありません。


まず、ジャックのキャラクターはあまりにも鈍感過ぎ。誰がどうみてもデヴィッドとシルヴィアは両想いでいい感じになっているのに、ジャックはその2人の間に割って入ろうとします。


それも「なんとかこっちに振り向かせてやる」的な入り方ではなく、ジャックにはデヴィッドが見えていないかのようにシルヴィアに接しています。入隊前にシルヴィアに別れを告げる際には、彼女がデヴィッドのために用意していた彼女の写真を、自分への贈り物と勝手に勘違いする有様です。


当然、ジャックは彼に思いを寄せるメアリーの気持ちには一切気付きません。


メアリーも似たようなもので、ジャックの眼中にないのは明らかなのに、まるで脈があるかのようにジャックに絡んでいきます。


また、ジャックとデヴィッドの関係の描写も少し雑なところがありますね。2人は共に入隊し、当初は仲が悪かったわけですが、殴り合いの喧嘩をしたことでお互いを認め合います。いや、殴り合って友情が芽生えるってね。昔ながらだな、と思ったら、本作、昔でしたね(笑)

 


パリのシークエンスは急にラブコメ

上述のトラッキングショットも印象的なパリのシークエンスは、実はあまり好きではありません。このシークエンスは映画のテイストが急に変わってラブコメっぽくなります。ラブコメ自体は嫌いじゃないですが、このシークエンスはやたらと長くてメインのストーリーが分断される印象です。


酔っ払ったジャック(実際に酒を飲ませて酩酊状態にしたのだとか)が見る幻覚のような泡の特殊効果がしつこくないですか?メアリーが軍服からドレスに着替えてジャックの気を引くというのも突飛すぎる展開です。いや、ラブコメならいいんですけどね。


まあ、このシークエンスがあるから、映画序盤では少々うざったいヒロインに思えたメアリーが、健気で献身的なヒロインに変わるわけですけどね。

 


クライマックスにかけて締まる脚本

色々ツッコミどころもありましたが、映画終盤からクライマックスにかけては脚本が締まりを見せます。


ストーリーが大きく動き出すきっかけは、ジャックとデヴィッドのすれ違い。ジャックが落としたシルヴィアの写真を、デヴィッドは破ってしまいます。これは、ジャックを傷つけないためのデヴィッドの優しさ。ジャックは気づいていませんが、写真の裏にはデヴィッドへのメッセージが書かれているのです。当然それに対してジャックは怒ります。


そこで、出撃の時が来ます。デヴィッドはクマのお守りを忘れて出陣します。いつものように飛び立つ前に“All set?”とジャックに問いかけるデヴィッドですが、ジャックは無視。その後、敵機の編隊を1人で相手したデヴィッドは撃墜されてしまうのです。


この一連のシーンではデヴィッドの内面に迫った描き方がされます。シルヴィアへの想い、ジャックへの気遣い、ジャックの怒りによる動揺。これらがデヴィッドの行動にも反映されています。また、このシーンではシルヴィアの写真、クマのお守り、“All set?”→“O.K.”の台詞などの伏線が一気に回収されるのが心地よいです。


そして、クライマックス。なんとか一命を取り留めたデヴィッドは敵機を奪って自陣に向かいますが、あろうことか、デヴィッドの仇討ちに燃えるジャックに撃ち落とされてしまうのです。


やるせない悲しい結末ですが、このシーンの演出は見事です。撃墜した相手がデヴィッドであることを知って駆け寄ったジャックはデヴィッドと会話を交わし、最後に“All set?”、“O.K.”の言葉を交わします。前回はジャックが無視する形で途切れたこのやりとりで再び二人が通じ合います。やがてデヴィッドの死を暗示するかのように戦闘機のプロペラが止まります。飛行機乗りの死を表現するというはなかなか痺れますね。

 


全てを洗い流すラストシーン

故郷の人々に華々しく迎えられ、英雄として帰還したジャックですが、デヴィッドの両親やシルヴィアのことを思うといたたまれない気持ちになります。このような娯楽作品であっても、何から何までハッピーエンドというのはあり得ない、それが戦争ということでしょう。


ラストシーンでは、流れ星とキスの伏線が回収されます。ジャックはメアリーと共に流れ星を眺め、"愛する人"メアリーにキスをするのです。流れ星がすべてを洗い流すように後味すっきりのラストシーンでした。


流れ星の効果音が、パリのシークエンスのしつこかった泡の効果音と同じであることには苦笑いですが(笑)。これも伏線であったと捉えておきましょう。

 

最後に

今回は映画『つばさ』の解説&感想でした。ほぼ100年前の映画をこうして普通に楽しむことができるというのはすごいことですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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↓ 第一次世界大戦を描いた名作映画

映画『スポットライト 世紀のスクープ』解説&感想 ドキュメンタリー的な面白さ

どうも、たきじです。

 

今回は映画『スポットライト 世紀のスクープ』の解説&感想です。カトリックの聖職者による児童への性的虐待事件の真相を追うジャーナリスト達を描いた作品です。

 

 

作品情報

タイトル:スポットライト 世紀のスクープ

原題  :Spotlight

製作年 :2015年

製作国 :アメリカ

監督  :トム・マッカーシー

出演  :マーク・ラファロ

     マイケル・キートン

     レイチェル・マクアダムス

     リーヴ・シュレイバー

     ジョン・スラッテリー

     スタンリー・トゥッチ

上映時間:129分

 

解説&感想(ネタバレあり)

冒頭述べた通り、本作は、カトリックの聖職者による児童への性的虐待事件の真相を追うジャーナリスト達を描いています。映画的な演出は抑制されている印象。この手の映画だと、例えば、主人公の家の窓ガラスに石が投げ込まれるとか(もっと過激な場合、銃撃されるとか)反社会的な手段で取材を妨害されたり、彼ら私生活でのドラマを通じて人物を掘り下げたりすることで、映画的な味付けをしそうなもの。しかし、本作はそうではなく、淡々と、事実に基づく取材の様子を描いていきます。


それなのに、こんなに面白い。ドキュメンタリー的な面白さを、非ドキュメンタリー映画としてうまく消化しています。


被害者の証言から感じられる彼らの抱える傷み。命を絶った者も少なくなく、"生存者"であることは幸運だという言葉にコトの深刻さを知ります。


1人の聖職者が起こした事件を追ううち、やがてそれが13人、90人、最後には249人と、同様の事件を起こしたと思われる聖職者の数が膨れ上がっていきます。徐々に真相が明らかになっていく様子にはゾクゾクさせられ、気がつけば見入っていました。


そしてそれだけ酷い事件が、これだけ膨大な数行われてきたにも関わらず、それが隠蔽されてきたという事実。これは確かに"世紀のスクープ"と言えますね(邦題にこの副題が必要だったかは置いておいて)。カトリックの信者からしたらなおさらでしょう。

 


さて、映画的な演出が抑えられた一方で、映画終盤では、極めて映画的で印象に残る台詞があります。性的虐待を行った神父の情報を入手していたにも関わらず過去に何もしなかったというロビー(マイケル・キートン)の告白に対するバロン局長(リーヴ・シュレイバー)の台詞です。

 

Sometimes it's easy to forget that we spend most of our time stumbling around the dark.
私達は毎日、闇の中を手探りで歩いている。

Suddenly, a light gets turned on and there's a fair share of blame to go around.
そこに光が射して初めて間違った道だと分かる。

I can't speak to what happened before I arrived, but all of you have done some very good reporting here.
以前何があったかは知らないが、君達全員、本当によくやってくれた。

Reporting that I believe is going to have an immediate and considerable impact on our readers.
この記事は間違いなく多くの読者に大きな衝撃を与えるだろう。

For me, this kind of story is why we do this.
私達の仕事はこんな記事を書くことだ。


派手な演出を抑え、淡々と描いてきたからこそ、ここへ来てカッコいい台詞がズバッと決まっています。

 


本作のタイトルである"スポットライト"は、ボストン・グローブ紙の特集記事欄の名称ですが、"綿密な取材によってテーマについて掘り下げ、スポットライトを当てる"みたいなニュアンスでつけられた名称と推測されます。本作でも、闇に葬られた事件にスポットライトを当てたわけです。


加えて言えば、上記のバロン局長の台詞にあった"闇に射し込む光"もまたスポットライトとして理解できます。すなわち、手探りながら何かをやり遂げた時にスポットライトを浴びて初めて周りの闇(間違った道)に気付かされるということですね。


上で述べたように、本作は取材の様子を淡々と描いており、人物をドラマによって掘り下げることはしていません。それ故に、各人物のキャラクターは、台詞回しや仕草などによって、主に俳優陣の演技によって形作られています。抑制的でリアルな演技が求められる本作において、アンサンブルとしての俳優陣の演技はそれに応える素晴らしいものでした。


その点で言えば、個人的にはバロン局長を演じたリーヴ・シュレイバーの役作りは素晴らしいと思いますね。ちょっと風変わりなところもありつつ、極めて優秀な人物という雰囲気が、見事に醸し出されていました。

 

最後に

今回は映画『スポットライト 世紀のスクープ』の解説&感想でした。今回本作を観て、ウォーターゲート事件の取材を描いた『大統領の陰謀』を思い出しました。本作に通じるものがありますよね。10代の頃に見た当時は、内容にあまりついていけなかったのですが、改めて見直してみたいなと、思わされました。

 

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映画『スナッチ』感想 スタイリッシュな映像と魅力的なキャラクター

どうも、たきじです。

 

今回は2000年公開の映画『スナッチ』の感想です。ガイ・リッチー監督作品としては、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』に続く長編映画第2作です。

 

 

作品情報

タイトル:スナッチ

原題  :Snatch

製作年 :2000年

製作国 :イギリス、アメリカ

監督  :ガイ・リッチー

出演  :ジェイソン・ステイサム

     スティーヴン・グレアム

     ブラッド・ピット

     ベニチオ・デル・トロ

     レニー・ジェームズ

     デニス・ファリーナ

     ヴィニー・ジョーンズ

     ラデ・シェルベッジア

     アラン・フォード

 上映時間:104分

 

感想(ややネタバレあり)

ガイ・リッチー監督の前作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』とかなり印象がかぶる本作。バイオレンス、ユーモア溢れる台詞を含む秀逸な脚本、それにちょっとマヌケなギャング達なんかは、クエンティン・タランティーノ監督の初期の作品、特に『パルプ・フィクション』なんかとも少なからず共通性を感じます。


タランティーノ作品が、B級趣味のオタク臭全開(もちろん狙って)なのに対し、本作や『ロック、ストック』は小綺麗にまとめられたスタイリッシュな作品という感じ。


公開から20年以上経った今では、全体として特筆するほどスタイリッシュな作品には感じませんが、それは本作を真似たものを含め、現在ではそういった映像作りが一般化したゆえのこと。当時は、かっこいい映像にほれぼれしながら見てましたよ。


防犯カメラの映像を繋いでいくオープニングシークエンスなんかは今でも目を引くものですし、キャラクター紹介の入るタイトルバックもかっこいいですよね。


脚本もよくできています。八百長の裏ボクシングを軸として、ダイヤを巡るドタバタをうまく絡めてストーリーを展開しています。


登場するキャラクターがやたらと多いので、物語についていくために、序盤は食らいつくように見てしまいます(キャラクターが減るほど物語はスリムになっていくので、誰か死ぬたびに少し安心感があります笑)。徐々に映画の中での各人物の立ち位置が定まってくるに連れて、どんどん引き込まれていきます。中盤で三者の車が交錯するシーンように、それぞれが不意に絡み合うのも群像劇の面白いところですね。


キャラクターもそれぞれ魅力的。


気に食わない相手を容赦なく殺して豚の餌にするギャングのブリックトップ、"弾丸をくぐる男"と呼ばれるロシア人の武器商人ボリス、ニューヨークからはるばるロンドンに乗り込んでくるマフィアのアビー。作品に一人で十分なくらいの怖いボスキャラ的な人物が3人も登場します。


後半になって登場するトニーは凄腕の賞金稼ぎ。6発の弾丸を受けても生き延びたという伝説的なエピソードもさることながら、パブでチンピラ3人組の襲撃を語りだけで撃退する凄みよ!


パイキーのボクサーのミッキーはブラッド・ピットが魅力たっぷりに演じています。キーマンとは言え、群像劇のキャラクターの一人に過ぎませんが、ポスターではしっかりセンターを張っています(笑)。狂言回しとして物語の一応の中心となるのはジェイソン・ステイサム演じるターキッシュですけどね。


そう言えば、本作は主要キャラクターに女性がいませんね。男達を振り回す女性の役回りは、あの犬が担っているということかな。

 

最後に

今回は映画『スナッチ』の感想でした。スタイリッシュな映像と魅力的なキャラクターが楽しい群像劇。公開当時に劇場で鑑賞して以来の鑑賞でしたが、相変わらず面白い映画でした。

 

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★ガイ・リッチー監督作品の解説&感想

映画『オペラハット』解説&感想 キャプラ的ヒューマニズムとユーモア

どうも、たきじです。

 

今回は1936年公開のアメリカ映画『オペラハット』の解説&感想です。フランク・キャプラ監督の代表作の一つで、2002年には『Mr.ディーズ』としてリメイクされています。

 

 

作品情報

タイトル:オペラハット

原題  :Mr. Deeds Goes to Town

製作年 :1936年

製作国 :アメリカ

監督  :フランク・キャプラ

出演  :ゲイリー・クーパー

     ジーン・アーサー

     ジョージ・バンクロフト

     ライオネル・スタンダー

     ダグラス・ダンブリル

     レイモンド・ウォルバーン

     H・B・ワーナー

 上映時間:115分

 

ストーリーとタイトル解説

親類の莫大な遺産を相続することになったディーズが、ニューヨークへ。周りの悪どい連中から利用されようとしたり、遺産を狙われたり。純粋で正義感溢れるディーズですが、少し変わり者なところも。そこにつけ込まれ、ディーズは財産管理能力がないので遺産相続は不当だととして訴訟を起こされる。本作はざっとそんなストーリーです。


ストーリーの骨格がしっかりしているので、リメイクされるのも分かりますね。フランク・キャプラ監督の後の作品『スミス都へ行く』も、別の原作がありつつも、ストーリーの骨格は本作と似ていて姉妹編のような位置付けになっています(もともとは本作と同じゲイリー・クーパー主演で続編として企画されたとか)。


『スミス都へ行く』は原題が"Mr. Smith Goes to Washington"、本作は"Mr. Deeds Goes to Town"で、タイトルも寄せられているのが分かります。ここで"Goes to Town"は、直訳すれば"町(ここではニューヨーク)へ行く"となりますが、これには"派手にやる"とか"大金を費やす"などといったニュアンスもあり、複数の意味が込められたタイトルと言えます。このニュアンスは日本語ではどうしたって表現できませんよね。


本作の原作小説が、『オペラ・ハット』(原題も"Opera hat")なので、映画の邦題はこれをそのまま持ってきて『オペラハット』となったと考えられます。しかし、小説とは違って、映画ではオペラハット(折り畳み式のシルクハット)が特別フィーチャーされていないので、意味不明な邦題になっていますね。「一度は打ちのめされたディーズが最後に立ち直る様子を、折り畳まれたオペラハットが再び広げられる様子に重ねた」と、強引に解釈できなくもないですが、まあ、そんなこと考えていないでしょう(笑)

 

感想(ネタバレあり)

1936年公開という、かなり古い作品ですが、随所で笑いながら楽しく見られる作品です。執事が服を着せようとしても毎回自分で取り上げて着る仕草とか、すぐチューバを吹く癖とか、ゲイリー・クーパーの演技を含め面白いです。ディーズという個性的なキャラクターの描き込みがとてもよくできています。カッとなると、すぐに人に殴りかかるのが個人的にはツボにはまりました。現実的にはそんな奴がいたら笑えないですけど(笑)


ディーズの場合、ただ変わり者というだけでなく、純粋で正義感が強いというのが、より一層、彼を魅力的なキャラクターにしています。ベイブやコッブが次第にその人柄に惹かれていくのと同様に、映画を見る我々もディーズに惹かれていきます。


クライマックスの法廷のシーンでは、とことん追い込まれた状況の中、立ち上がったディーズがすべてに反論する様がとても痛快に描かれています。ディーズが判事や精神科医の癖をひたすら指摘して、周りの人たちも自分の癖に気づくくだりは笑いました。


最後には大逆転でディーズの勝利。判事から、「この法廷に足を踏み入れた中で最も正気な男だ」なんて言われます。最後に相手の弁護士のシダー殴ったのは、とても正気とは思えませんけど(笑)

 

最後に

今回は映画『オペラハット』の解説&感想でした。古い作品ながら、キャプラ的なヒューマニズムとユーモアでたっぷり楽しませてくれる作品です。

 

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↓キャプラ監督の代表作

映画『アイアン・ジャイアント』感想 なりたい自分になればいい

どうも、たきじです。

 

今回は、1999年公開のアニメ映画『アイアン・ジャイアント』の感想です。後に『Mr.インクレディブル』という傑作を撮るブラッド・バードの映画監督デビュー作です。

 

 

作品情報

タイトル:アイアン・ジャイアント

原題  :The Iron Giant

製作年 :1999年

製作国 :アメリカ

監督  :ブラッド・バード

声の出演:イーライ・マリエンタール

     ヴィン・ディーゼル

     ジェニファー・アニストン

     ハリー・コニック・Jr

     クリストファー・マクドナルド

上映時間:86分

あらすじ

米ソ冷戦下、ソ連の打ち上げた人工衛星スプートニクが地球を周回する1957年。アメリカの田舎町に宇宙からロボットのような巨人(アイアン・ジャイアント)が飛来。ジャイアントを見つけた少年ホーガースは彼と仲良くなります。しかし、政府の捜査官のマンズリーは、ジャイアントがソ連の兵器である可能性を疑い、破壊しようと目論みます。

 

感想(ネタバレあり)

このようなファンタジー作品で、冷戦の時代を舞台として描くというのは珍しいですね。政府がジャイアントを危険視することについてもこの時代背景が説得力を持ちます。


宇宙から飛来した謎のロボット(生命体?)がいとも簡単に言葉を覚えるというのは、ややご都合主義のようにも思えますね(笑)。しかもペラペラ喋るわけではなく絶妙なカタコト具合だし。まあ、そこをツッコむのは野暮ですが。


また、ホーガースの家は母子家庭で、父親がいません(ホーガースの部屋にある写真から推察すると、軍のパイロットだったと思われます)。せっかくこのような設定にするなら、そこをもう少し掘り下げても良かった気がします。この設定を、ホーガースの母子をディーンと絡ませるためだけのものにしておくのはもったいないです。


そこにも表れているように、登場人物の内面の描き込みは全体的にあっさりしていて、あまり深みのある脚本ではないです。それでも私が本作のことが好きなのは、「なりたい自分になればいい」というメッセージが刺さるからに他なりません。


これは中盤でディーンがホーガースに言う台詞ですが、クライマックスでは暴走するジャイアントに対してホーガースが語りかけます。自分が人を殺すための兵器であることを知り苦しむジャイアントでしたが、この台詞を胸に人々を核ミサイルから救うために飛び立ちます。「スーパーマン」と呟きミサイルと共に宇宙に散るシーンでは、素直に感動しました(伏線がうまく効いています)。

 

ただ、あそこで核を爆発させて地上に影響ないの?という疑念はどうしても抱いてしまいますが。


また、"なりたい自分"として散っていくこのシーンが素晴らしかっただけに、ジャイアントの復活が示唆されるラストは蛇足にも感じられました。


ところで、戦闘モードのジャイアントの造形は、ブラッド・バード監督の後の作品『Mr.インクレディブル』の敵のロボットに通じるものがありますね。戦闘シーンのアクション自体は『Mr.インクレディブル』には遠く及びませんが、それでもその片鱗は感じさせる躍動感あるアニメーションでした。

 

最後に

今回は映画『アイアン・ジャイアント』の感想でした。深みのあるドラマや、大興奮のアクションがあるわけではないですが、「なりたい自分になればいい」というメッセージのこもった素敵な作品です。

 

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映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』解説&感想 ゾンビ・コメディの草分けとして申し分ない作品

どうも、たきじです。

 

今回は2004年公開のイギリス映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』の解説&感想です。公開当時、イギリスやアメリカでヒットしている作品として紹介されて楽しみにしていたのに、結局日本では劇場未公開に終わってしまったのは残念でした。

 

 

作品情報

タイトル:ショーン・オブ・ザ・デッド

原題  :Shaun of the Dead

製作年 :2004年

製作国 :イギリス、フランス、アメリカ

監督  :エドガー・ライト

出演  :サイモン・ペッグ

     ニック・フロスト

     ケイト・アシュフィールド

     ディラン・モーラン

     ルーシー・デイヴィス

     ビル・ナイ

 上映時間:99分

 

解説&感想(ネタバレあり)

本作は、笑いと恐怖という正反対の要素を混ぜ合わせた作品であるわけですが、中途半端な作品にはならずバランス良く仕上がっています。要所要所でしっかり笑わせてくれますし、ホラー描写も本格的です。きちんとシリアスな演出もできる人が、あえてコメディに崩しているという印象を受けます。


序盤では、ショーン(サイモン・ペッグ)とエド(ニック・フロスト)達による緩い笑いを畳み掛けながら、登場人物の背景が描かれていきます。同時に、急に倒れる人や、"何か"を伝える断片的なニュース映像、行き交う軍用車両など、不穏な空気が演出されています。


やがて、街中にゾンビが溢れてくるわけですが、ショーンとエドは、酔っ払いやイチャつくカップルと勘違いしてなかなか気づきません(笑)。このくだりで目を見張るのが、長回しのトラッキングショット。ショーンが家を出て、コンビニに行き、家に帰るまでを、ワンカットでカメラがショーンを追いかけます。周りにいる大勢のゾンビに一切気付かないショーンが面白いシーンですね。このトラッキングショットは映画序盤でも同じコース(往路のみ)で撮られていて、"平時"との対比になっているのもうまいところです。


その後は独特のゾンビ対処法が笑いの軸。レコードでゾンビを撃退するシーンも好きですが、ゾンビの真似をすることで群れに溶け込んでやり過ごすシーンが個人的に大好き。その意外性と妙な説得力にやられます(笑)


極め付きは、やはりパブの主人のゾンビと戦うシーンでしょう。ジュークボックスから流れるクイーンの"Don't Stop Me Now"に乗せてビリヤードのキューで戦う様子は爆笑必至。パブに詰めかけるゾンビをライブ客に見立てるような演出も最高。曲自体のボルテージが高いものですから、ノリノリのシーンになっています。


あまりダラダラといろんなシーンの話を並べるのもなんですが、もう一つ取り上げておきたいのが、車中でショーンの義父フィリップ(ビル・ナイ)が死ぬあたりからの一連のシーン。


確執のあったショーンに対して思いを吐露し息を引き取るフィリップ。「フィリップが死んだんだ」「生きてるわよ」からのゾンビ化したフィリップの登場。慌てて車から降りる一同。しかし、チャイルドロックで開かない扉。足がボタンに触れて再生される爆音のロック音楽(フィリップが嫌っていた)。1人だけ車内に残ったフィリップゾンビを助けようとする母に対し、「母さんの愛した男はかけらも残ってない!」。身を伸ばして音楽を止めるフィリップゾンビ。


この一連のシーンでは、ホロリとするシリアスシーンから一転してアクションに入り、音楽に乗ってスピード感が演出され、最後を笑いで締めています。センスの良いブリティッシュ・ジョークで綴られるコメディをベースとして、シリアス、アクションをバランスよく配したストーリー設計と、緩急の効いた演出。この一連のシーンは、そうした本作の魅力の縮図のようでした。


クライマックスにもそれはよく表れていますね。母親との別れやデイヴィッドの死のくだりから、コメディを抑えてアクションとドラマの比率が増します。弾丸が尽き、絶望の中でのエドとの別れ。冒頭のシーンが伏線になっている「ごめんな、ショーン」は、それ自体はコメディ的なものであるにも関わらず、しんみりとしたドラマ性の深いシーンに仕上がっています。これがあるからこそ、ゾンビ化したエドとゲームをするというナンセンスなラストも一層笑えるものになっている言えるでしょう。

 

最後に

今回は映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』の解説&感想でした。コメディとシリアス、アクションをバランスよく配したストーリー設計と、緩急の効いた演出にエドガー・ライト監督のセンスが光る一作。ゾンビ・コメディの草分けとして、申し分ない作品でした。


ちなみに本作、マーティン・フリーマンやコールドプレイのクリス・マーティンなどがカメオ出演しています。ちなみにクリス・マーティンは本人っぽい役(劇中のテレビ映像)に加えて、モブのゾンビも演じているので、ぜひ探してみてください。

 

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★エドガー・ライト監督作品の解説&感想

映画『存在のない子供たち』あらすじと感想 レバノンのスラムを描く社会派作品

どうも、たきじです。

 

今回は映画『存在のない子供たち』の感想です。アラビア語の原題は英語で書くと『Capernaum』で、新約聖書に登場する地名ですが、そこから転じて"混沌"の意味があるとか。

 

 

作品情報

タイトル:存在のない子供たち

原題  :کفرناحوم

製作年 :2018年

製作国 :レバノン

監督  :ナディーン・ラバキー

出演  :ゼイン・アル・ラフィーア

     ヨルダノス・シフェラウ

     ボルワティフ・トレジャー・バンコレ

     カウサル・アル・ハッダード

     ファーディー・カーメル・ユーセフ

     ナディーン・ラバキー

 上映時間:126分

 

あらすじと感想(ネタバレあり)

レバノンのベイルートのスラムに暮らす12歳の少年ゼインは、"僕を産んだ罪"で両親を訴える…


発展途上国のスラムを描いた映画というと、ブラジルのリオデジャネイロを舞台とした『シティ・オブ・ゴッド』や、インドのムンバイを舞台とした『スラムドッグ$ミリオネア』などが思い出されます。スラムの闇を映しながらも娯楽性の高い作品に仕上げられた両作と異なり、本作は社会派作品としての側面が色濃い作品に仕上げられています。


自己の存在証明を持たない子供達、親の責任を果たせない大人達、それを生み出す社会構造を映し出しながら、過酷な状況の中でたくましく生きていくゼインを描きます。


ゼインは家が貧しく、学校にも行けず、働きながら7人の弟妹の面倒を見ています。兄は刑務所に収監中。子供達は両親から労働力としか見られていないかのようで、まともに愛情を受けることはありません。さらにはゼインが可愛がっていた11歳の妹サハルがニワトリと引き換えに嫁に出されたことを知り、ゼインは激怒し、家を出るのです。


家を出たゼインが辿り着いたのは遊園地。そこでゼインが出会ったのはエチオピア人の出稼ぎ労働者ラヒル。彼女は偽造身分証で滞在する不法労働者。密かに産んだ息子のヨナスを育てています。


ゼインはラヒルの仕事中にヨナスの面倒を見る代わりに、彼女の粗末なブリキ小屋に住むことになります。しかし、やがてラヒルの偽造身分証は失効。新たな身分証を手配する金のない彼女は拘束され、ゼインとヨナスだけが取り残されてしまいます。


やがて、ゼインは難民として国を出ようと、身分証を取りに家に戻ります。しかし、両親から告げられたのは、ゼインには出生証明書が存在しないこと、そして、サハルが妊娠により命を落としたことでした。それに激怒したゼインはサハルの夫を刺し、逮捕。やがて、刑務所から両親を訴えるに至るのです。


日本では到底考えられないような、ゼインの壮絶な体験、過酷な状況には、唖然としてしまいます。

 


ゼインはラヒルとヨナスの親子を見て何を思ったでしょうか?自分の親とは違って愛情を持ってヨナスを育てるラヒルに憧れを抱いたでしょうか?いずれにしても、結果としてはヨナスを放置してしまうことになったラヒルは親としての責任を果たしていません。出生証明書のないゼインとヨナス。存在のない2人の子供が取り残されてしまったのです。


刑務所に面会に来たゼインの母親は言います。お腹には新しい子供がいる。その子にサハルと名付ける、と。これにはゼインでなくとも怒りを覚えます。貧困のため、幼いサハルを売り渡す形で嫁にやり、結果的に死に追いやった。その貧困は変わらないにも関わらずまた子供を作り、あろうことかサハルと名付けようとしているのですから。


裁判でゼインは言います。


「育てられないなら産むな」


曲がりなりにも愛情を持って弟妹達やヨナスの面倒を見ていたゼインが言うからこそ説得力を持ちます。


親の責任を果たせない大人達。それを生む貧困、ひいては社会構造。映画の中では、その根本的な問題に対し、おぼろげな希望さえも見えません。それでも、ラヒルとヨナスは無事に再会し、ゼインは身分証の写真撮影で屈託のない笑顔を見せるというラストは、暗い現実の中でのささやかなハッピーエンドとも言えます。

 


本作は力を持った社会派作品であり、いい映画であることは間違いないでしょう。そして、上述の通り、ささやかなハッピーエンドで幕を閉じます。


それなのに、満足感よりも後味の悪さというか、ずっしりと心にのしかかるこの感覚は何でしょう?


おそらくは、これが現在進行形で現実に起きていることと理解していても、遠い国で起こっていることと、どこか他人事として片付けてしまう自分がいるから。おそらくは、本作を見て感動したり、衝撃を受けたりする人々も、多くが何か行動を起こすわけでもないことを知っているから。


こういう作品を見ると、2004年公開の映画『ホテル・ルワンダ』のある台詞を思い出します。ルワンダで起きた虐殺の映像を見たルワンダ人の男が言います。「この映像を見た世界の人々が、きっと手を差し伸べてくれる。」しかし、それに対してホアキン・フェニックス演じる外国人カメラマンは言います。


「この映像を見た世界の人々は『怖いね』と言うだけで、すぐにディナーを続ける」


そういう人にはなりたくないのだけれど。

 

最後に

今回は映画『存在のない子供たち』の感想でした。過酷な状況の中でたくましく生きていくゼインの姿を通じて、スラムの厳しい現実を突きつける社会派作品でした。

 

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映画『市民ケーン』解説&感想 映画史に残る画期的な作品

どうも、たきじです。

 

今回は1941年公開のアメリカ映画『市民ケーン』の解説&感想です。映画史上最高の作品と評されることも多い歴史的な名作ですが、10代の頃に初めて見たときは何がすごいか理解できず、つまらない作品に思えました。


その後、たくさんの映画を見てそれなりに見る目が養われてから本作を見返すと、そのすごさ、面白さに気付かされました。そこで、今回は、本作のすごさを解説しつつ、感想を綴りたいと思います。

 

作品情報

タイトル:市民ケーン

原題  :Citizen Kane

製作年 :1941年

製作国 :アメリカ

監督  :オーソン・ウェルズ

出演  :オーソン・ウェルズ

     ジョゼフ・コットン

     ドロシー・カミンゴア

上映時間:119分

 

解説&感想(ネタバレあり)

画期的なストーリー構成

監督・脚本・主演のオーソン・ウェルズが本作を撮影したは彼が25歳の時。それまでの舞台やラジオドラマでの実績が評価され、RKOに大抜擢されてのことでした。映画監督としての実績のないウェルズは、映画の既成概念にとらわれない柔軟な発想で、多様な表現をたっぷり盛り込んで本作を撮影しています。


誰もが目を見張るのはストーリー構成でしょう。まずケーンの死で幕を開け、その後、ニュース映画を通じてケーンの生涯をダイジェストで紹介。そしてニュース映画会社の取材に対する関係者の回想によって、ケーンの生涯を様々な視点から描いていくのです。


最初にニュース映画によって見せるケーンの生涯は、あくまでも外から見たケーン像に過ぎません。それをケーンに近しい人達の目線で、徐々にケーンの実像を炙り出していきます。しかもストーリーが進むにしたがって、より深くケーンを知る人物が証言することで、確実にケーンの内面へと迫っていくという構成がまた見事です。


フラッシュバックで過去の出来事を描くというのは、過去の作品でも用いられていたと思いますが、ここまで時系列をばらして巧みに構成した作品は本作が初めてと見られ、画期的なものだったことが推測されます。

 


映像表現のテクニック

さて、映像においても、本作は多様な表現で楽しませてくれます。


映画冒頭のシーンから、これでもかと見せつけてきますよね。カットが変わるごとに、カメラがケーンの城に徐々に近づいていきます。スノードームのクローズアップから素早くズームアウトし、口元の極端なクローズアップ。"Rose bud(バラのつぼみ)"の台詞。転げ落ちるスノードーム。スノードームのガラス越しの映像…。目を見張るショットが立て続けに流れていきます。


このオープニングにも見られる、本作で用いられた印象的な映像表現や編集のテクニックについてざっと並べてみましょう。

 

①クローズアップ

対象を画面いっぱいに映すクローズアップ。上述のオープニングのケーンの口元や、タイプライターのショットで用いられています。いずれのショットもかなり極端なクローズアップで、対象に注目を集めます。


②極端な陰影

本作では、人物の顔や体に極端な陰影をつけたショットが印象的です。例えば、冒頭のニュース映画会社のシーンでは、顔の表情がほぼ窺い知れないほどに影がかかっています。その後も、ほとんどのシーンで、取材するトンプソンの顔には影がかかっています。本作において光を浴びる存在はケーン達であって取材者ではないということでしょうか。


とは言え、ケーンを取り巻く人々にも、そして時にはケーン自身にも、極端な陰影がつけられるショットも多々あります。光と影のコントラストの効いた映像は、ケーンの人生の光と影を暗示するようにも見えます。

 


③トラッキングショット

カメラが移動しながら被写体を映すトラッキングショットも印象的に使われています。例えば、スーザンのナイトクラブのシーンの冒頭では、看板やガラスをすり抜けて、カメラがナイトクラブの中に入っていくような映像になっています。また、ラストシーンは、倉庫の中をカメラが宙を舞うように移動し、やがてキーアイテムであるソリを映し出します。


④パンフォーカス

画面の手前から奥まで、全体にピントを合わせるパン・フォーカス。ケーンの両親がサッチャーと話すシーンでは、画面手前に両親とサッチャー、奥にケーン少年という構図で撮られています(ただし、このシーンのケーンの姿はスクリーンプロセスで投影されたものという説もあります)。


他にも、新聞社でタイプライターを打つケーンのずっと奥からリーランドが近づいてくるシーン、自殺未遂をしたスーザンの部屋にケーンが入ってくるシーン、スーザンがケーンの元を去るシーンなど、数々のシーンでパンフォーカスが用いられ、奥行きのある映像を効果的に映し出しています。


⑤動き出す写真

ケーンがライバル紙の記者の集合写真を見るシーンでは、大写しになった写真がそのまま動き出し、ケーンの新聞社で彼らが集合写真を撮るシーンに移行します。ケーンがライバル紙の有能な記者達をごっそり引き抜いたということを、このような凝った表現で描いているわけです。本来、ライバル紙で撮った写真とケーンの新聞社で撮った写真が全く同じ構図になるなんてありえませんが、それは野暮なツッコミでしょうね。

 


⑥モンタージュ

複数のショットを連続的に繋げることで単体のショットにはない意味を持たせることをモンタージュと呼びます。ケーンとエミリーの朝食のシークエンスでは、印象的なモンタージュが使われています。


このシークエンスは、時期の異なる6つのシーンで構成されています。時を重ね、2人の服装や部屋の装飾が豪華になっていく一方で、2人はすれ違っていきます。最後には長いテーブルの端と端に座り、それぞれ無言で新聞を読みます(エミリーが読んでいるのはケーンのライバル紙)。長い年月での2人の関係の変化を2分に凝縮したモンタージュで表現しています。


⑦長回し

本作では、上述のモンタージュのように、短いショットを効果的に繋げるシーンがある一方で、多くのシーンはあまりカットを割らない長回しで撮られています。これにより演劇のような臨場感が演出されています。


⑧ローアングル

低い位置から見上げるようなローアングルのショットが多用され、上から目線のケーンの威圧感が演出されています。これは床に穴を開けてカメラを設置して撮影されたといいます。通常の映画セットにはない天井が映ることで、独特の映像を作り出しています。

 

以上、ここまで本作で用いられている多様な表現をざっと並べてみました。これらのテクニックは、いずれも本作で初めて行われたわけではないと思われますが、本作ではこうしたテクニックをうまく集めて、これまでにない作品に仕上げています。

 

ケーンの人生と"バラのつぼみ"

"ケーンが死の間際につぶやいた"バラのつぼみ"とは何だったのか?"


本作において、ニュース映画会社のトンプソンがケーンの関係者を取材するのは、その真実を探るためでした。劇中語られるように、トンプソンはジグソーパズルのピースを埋めるが如く、ケーンの人生を辿っていきました。しかし、結局"バラのつぼみ"の真実は分からぬまま。最後のピースは欠けたままとなってしまいました。


映画の登場人物の誰一人として、その真実を知ることはなかったわけですが、映画を見る我々だけは、映画の最後でそれを知ることになります。巨大な倉庫にあるケーンの遺品が整理されるシーンです。次々に焼却炉に投げ込まれていく不用品の中に、古い木製のソリがあり、そこに"ROSEBUD"(バラのつぼみ)の文字とイラストが書かれてあるのです。


このソリは、幼少期のケーンが母親と暮らしていた頃に遊んでいたもの。加えて言えば、死の間際に握っていたスノードームも、母親と暮らしていた雪降るロッジを思わせます。スーザンが去った時に、部屋中を破壊したケーンが、このスノードームを握った時に落ち着きを取り戻し、"バラのつぼみ"と呟いたことからも、スノードームと"バラのつぼみ"がつながっていることが理解できます。


つまり、死の間際のケーンが思い巡らせていたのは母親のこと。幼い頃に母親と離れることになり、母親からの愛を受けられなかったケーンが、それを渇望していたことがよく分かります。


母親からの愛だけではありません。ケーンは、2度の結婚に失敗し、妻からの愛も満たされることはありませんでした。政治家を目指して市民からの愛も求めましたが、それも得られませんでした。あらゆるものを手に入れたケーンが唯一手に入れられなかった"愛"。死ぬまでそれを求め続けていたことを象徴するのが、"バラのつぼみ"であったということでしょう。ケーンにとっても、"バラのつぼみ"="愛"が、最後まで欠けたままのピースだったということです。


それはそうと、ネタバラシのあのラストシーン。燃やされているのがソリだということが分かりづらくないですか?幼いケーンがソリを抱えていたことも、注目して見ないと記憶に残らないし。初見ではあのラストシーンが理解できませんでしたよ。


でもあのソリの燃え方、完璧ですよね。表面が徐々に変質し"ROSEBUD"の文字が浮かび上がり、やがてその文字も消えていくのです。


ちなみにこのソリは撮影のために複数作られ、燃やされずに残った1つが競売にかけられました。落札者はスティーヴン・スピルバーグ監督だといいます(後に博物館に寄贈)。

 

ハーストによる妨害

ケーンのモデルは新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト。劇中のケーンのような権力者だったわけですから、製作中の本作が自分を侮辱する内容とみるや、劇場に圧力をかけて上映館数を減らしたり、抱き込んだ評論家に映画を酷評させたりと、妨害を行ったといいます。


ハーストの息がかかっていない評論家からは絶賛され、アカデミー賞でも9部門にノミネートされたにも関わらず、結局のところ脚本賞しか受賞できなかったのも、ハーストの圧力の影響があったと推測されます。


現在でこそ映画史上最高の作品と評されることも多い本作ですが、公に手放しで賞賛されるようになったのは、ハースト(1951年没)の死後のことのようです。


ちなみに本作のキーワードである"ROSEBUD"(バラのつぼみ)は、ハーストが愛人のマリオン・デイヴィス(本作のスーザンにあたる人物)の秘部をこのように呼んでいたという噂に因むという話があります。これが事実なら、ハーストが妨害を行ったのも無理はないかも…

 

最後に

今回は映画『市民ケーン』の解説&感想でした。上に述べた画期的なストーリー構成や映像表現のテクニックを意識しながら本作を見ると、また違った感想をお持ちになる人もいるかもしれません。本作のすごさを理解する一助になれば幸いです。

 

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映画『生きるべきか死ぬべきか』解説&感想 ヒトラー全盛の時代にナチスを風刺した傑作コメディ

どうも、たきじです。

 

今回は1942年公開の映画『生きるべきか死ぬべきか』の解説&感想です。エルンスト・ルビッチ監督が、ヒトラー全盛の時代にナチスを風刺した傑作コメディ。1983年にはメル・ブルックスによって『メル・ブルックスの大脱走』としてリメイクされています。

 

 

作品情報

タイトル:生きるべきか死ぬべきか

原題  :To Be or Not to Be

製作年 :1942年

製作国 :アメリカ

監督  :エルンスト・ルビッチ

出演  :キャロル・ロンバード

     ジャック・ベニー

     ロバート・スタック

     ライオネル・アトウィル

     フェリックス・ブレサート

     シグ・ルーマン

     トム・デューガン

     スタンリー・リッジス

 上映時間:99分

 

解説&感想(ネタバレあり)

鋭い社会風刺のコメディ

ナチス・ドイツの侵攻を受けたワルシャワを舞台に、ワルシャワの劇団がナチス相手に大芝居をうつ物語。鋭い社会風刺が込められたコメディ映画ですが、これがヒトラー全盛の時代にリアルタイムで製作されたのだからすごいものです。


ヒトラー全盛の時代にヒトラーを風刺したコメディというと『チャップリンの独裁者』が語られることが多いですが、風刺という点でも、作品と完成度という点でも、本作も負けていません。後述するように、なんと言っても本作は脚本が素晴らしいです。

 

素晴らしいオープニング

ヒトラーがワルシャワの街角に一人で現れるという、興味を引くオープニング。彼が現れた理由を紐解くため、時間を遡って、ゲシュタポ本部から物語が始まります。


ゲシュタポが子供から父親のこと聞き出す"取り調べ"の最中、ヒトラーが現れ、"ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)"と敬礼する一同。それに対し"ハイル・マイセルフ(自分に万歳)"と返すヒトラー。


泣く子も黙るゲシュタポによる取り調べというシチュエーションの緊張感の中、ヒトラーが自分に万歳するという"緊張の緩和"による笑いですね。この笑いの後、ここが本物のゲシュタポではなく、劇団の芝居の稽古シーンであったことが明らかになります。冒頭のシーンも劇団の俳優ブロンスキーが、自分がヒトラーに見えることを演出家に証明するために街へ出たのでした。


このオープニングは、映画のつかみとして素晴らしいシーンであると同時に、劇団がナチスの芝居の稽古をしていることや、ブロンスキーがヒトラーを演じていること、人々には彼がヒトラーに見えることが、メインプロットやクライマックスの展開への伏線になっているのがうまいものです。

 

緊張感とユーモアの同居

ナチスのスパイであるシレツキー教授(スタンリー・リッジス)とゲシュタポの接触を阻止するために、劇団の俳優達が大芝居をうってナチスを欺くというのがメインプロット。バレてしまわないかという緊張感と、その中で散りばめられたユーモアとが同居します。


劇団の看板俳優ヨーゼフ・トゥーラ(ジャック・ベニー)はゲシュタポのエアハルト大佐(シグ・ルーマン)になりすましてシレツキー教授と面会し殺害する一方で、今度はシレツキー教授になりすましてゲシュタポ本部を訪れ、エアハルト大佐と面会するという展開に。同じシチュエーションで役を変えて演じるという面白さ!


トゥーラが演じた緩いエアハルト大佐とは違い、本物は厳格な人物、かと思いきや本物もちょっと緩い男だったり。シレツキー教授の言動をそっくり真似てエアハルト大佐との会話に受け答えしたり。そんな様子にクスクス笑いが込み上げます。


その後も、シレツキー教授の死体が発見されたことを知らずに、トゥーラがシレツキー教授の格好でゲシュタポ本部を訪れるなど、スリリングかつコミカルな展開は止まず。常にドキドキワクワクさせてくれます。


劇団の皆でイギリスに逃れるため、劇場で大芝居をうつクライマックスはコメディとしての楽しさだけでなく活劇としての楽しさも最高潮。上述の伏線も決まって、最高に気持ちいいクライマックスになっています。


このクライマックスでは、ヒトラーになりすましたブロンスキーをとてもうまく使っています。マリア(キャロル・ロンバード)に言い寄るエアハルト大佐の前にヒトラーが現れるシーン(「シュルツ!」の"かぶせ"が最高に可笑しい)や、ナチスのパイロットがヒトラーの「飛べ」であっさり飛行機から飛び降りるシーンなんかは声を出して笑ってしまいました。

 

"To be, or not to be"

本作のタイトルはシェイクスピアの戯曲『ハムレット』の有名な台詞。主人公ハムレットの長台詞の冒頭部分です。作中では、トゥーラが演じるハムレットがこの台詞を言うと、ソビンスキー(ロバート・スタック)が客席を立ち、楽屋にいるマリアに会いに行くというくだりが繰り返されます。長台詞中のトゥーラはしばらく楽屋に戻らないから、その間はゆっくり二人で逢瀬を楽しめるというわけです。


すごく目立つ席から観客の間を抜けて立ち去るソビンスキーと、自分の演技に不満があって席を立たれたと思って戸惑うトゥーラの様子が滑稽なシーンです。ラストシーンでは、ソビンスキーとは別の男が席を立つことで二人とも戸惑うという、最高にセンスの良いオチも見せてくれます。


ただ、このシーンは日本語訳だと面白さが少し削られてしまいます。「生きるべきか、死ぬべきか」と意訳されていますが、原語では"To be, or not to be."です。"be"ば"存在する"という意味ですから、「(ここに)存在するべきか否か」というニュアンスを持ちます。


つまり、トゥーラが「ここに存在すべきか否か。それが問題だ」と言った直後に、ソビンスキーが席を立つ(=存在しなくなる)わけです。原語だとこの面白さも含まれるわけですが、日本語だとどうしても表現しきれません。

 

『ヴェニスの商人』の引用の意味

さて、本作には『ハムレット』ともう一つ、シェイクスピアの戯曲が登場します。それは『ヴェニスの商人』。クライマックスでグリーンバーグがナチス相手に放つ台詞は、『ヴェニスの商人』のシャイロックの台詞です。これを理解しておくと、このシーンの面白さ(感動)も倍増します。


『ヴェニスの商人』のあらすじをごく簡単に説明しましょう。アントーニオという商人が友人のためにユダヤ人の高利貸しシャイロックから大金を借ります。この時、担保にしたのが自分の肉1ポンド。アントーニオには金を工面する当てがありましたが、彼の商船は嵐で難破してしまい、彼は財産を失い、金を返せなくなります。


やがて裁判となり、シャイロックはアントーニオの肉を切り取ることを主張しますが、裁判(実はインチキ)の末、シャイロックは肉を切り取ることもできず、金も返してもらえないどころか、全財産を失い、さらにはキリスト教に改宗させられるというオチです。


上記の通り、この作品は、悪役のシャイロックは散々な目に遭い、その他はみんなハッピーになるという喜劇です。この作品が書かれた16世紀という時代を考慮すると、ユダヤ人の悪役を笑い物にする喜劇になっているのも分かりますが、近年は悲劇的な結末を迎えるシャイロックに同情的に描かれることも少なくないようです。


映画に話を戻しましょう。グリーンバーグの台詞は、ユダヤ人に対する偏見への怒りを込めたシャイロックの台詞の引用しています。ご存知の通りユダヤ人はナチスにより迫害されています。それらを踏まえれば、グリーンバーグ(名前からユダヤ人と思われます)が、ナチスに対してこの台詞を放つことに意味があるのです。

 

我々には目がないというのか?

我々には手がないというのか?

器官も、感覚も、感情も、激情もないというのか?

我々だって、同じ物を食べ、同じ武器で傷つく

同じ病いで苦しみ、同じ手当てで治る

夏の暑さも、冬の寒さも感じる

刺されれば血は出るし

くすぐられれば笑う

毒を盛られれば死ぬ

屈辱を与えられれば、復讐する!


つまり、このシーンは、

 

  • シェイクスピアによって書かれた台詞そのものが素晴らしいこと
  • 主役を演じることに憧れ続けたグリーンバーグの念願が叶うシーンであること
  • 不当に扱われるユダヤ人の怒りを象徴する台詞をナチスにぶつけるシーンであること


これらが重なって、極めてエモーショナルなシーンになっているという訳です。

 

最後に

今回は映画『生きるべきか死ぬべきか』の解説&感想でした。ヒトラー全盛の時代に、ナチスを鋭く風刺したコメディ映画の傑作。オーストリアがナチスに支配された時代を描いた『サウンド・オブ・ミュージック』がオーストリア讃歌だとすれば、本作はポーランド讃歌と言えるかもしれませんね。

 

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映画『名探偵コナン 緋色の弾丸』感想 基本的にはファン向け映画

どうも、たきじです。

 

今回は、映画『名探偵コナン 緋色の弾丸』の感想です。本作は、劇場版『名探偵コナン』の第24作にあたります。『名探偵コナン』についてはさほど詳しくないですが、以前『金曜ロードショー』で放送されたものを鑑賞しました。

 

 

作品情報

タイトル:名探偵コナン 緋色の弾丸

製作年 :2021年

製作国 :日本

監督  :永岡智佳

声の出演:高山みなみ

     池田秀一

     山崎和佳奈

     小山力也

     日髙のり子

     田中敦子

     林原めぐみ

     山口勝平

     浜辺美波

上映時間:110分

 

感想(ネタバレなし)

1年ほど前に投稿した『名探偵コナン 異次元の狙撃手』の記事において、「『名探偵コナン』の最近のキャラクターとか展開をよく知らないのでとっつき難い」という旨を書きました。その後、家族の影響もあって、私も多少はコナンの知識がついてきたので、今回はさほど混乱することなくストーリーについていけました。

 

本作は、4年に一度のスポーツの祭典が東京で開催されるという設定。劇中では"WSG(ワールド・スポーツ・ゲームズ)"と名前を変えてはいますが、要は東京オリンピック的なものが開催される日本が舞台ということです。さらに、そのタイミングでお披露目となる超電導リニアが名古屋から東京に向けて走るという設定です。

 

そして、例によってコナンのいるところで事件が発生し、コナン達による謎解きとアクションが繰り広げられるわけです。映画ならではのスケール感のあるストーリー展開はなかなか楽しいです。

 

ぎゅっといろいろ盛り込んで、序盤で張った様々な伏線を終盤でしっかり回収するあたりはよく考えられているとは思いますが、教科書通りに作ったという感じ。脚本がすごいとか、アクションがすごいとか、特別な感動はないというのが正直なところ。

 

1本の映画としてのまとまりを考えるなら、キャラクターを出し過ぎな感はありますね。顔見せ程度ならまだしも、中途半端にストーリーに絡むキャラクターが多いです。

 

例えば、メアリーとか秀吉は、本作に登場する必然性は感じません。もちろん、本作は赤井の一家をフィーチャーしたというのは分かっています。秀吉には、終盤に見せ場もあります。でもどうしても取ってつけたように感じてしまうんですよね。序盤から随分時間を割いている割に、どうでもいいシーンばかりで。由美とのシーンがコメディリリーフとしてもっと機能していれば気にならなかったかもしれませんが…。

 

まあ、基本的にはファンを喜ばせるための映画だと思うので、これでいいんでしょうけどね。

 

最後に

今回は、映画『名探偵コナン 異次元の狙撃手』の感想でした。否定的なことも書いてしまいましたが、基本的には楽しく見させていただきました。

 

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★コナン映画の感想

映画『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』解説&感想 エンタメ時代劇の原点とも言える大傑作

どうも、たきじです。

 

今回は1935年公開の日本映画『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』(『丹下左膳余話 百萬両の壺』)の解説&感想です。


監督は山中貞雄。28歳でこの世を去り、現存する映画は本作を含めわずか3本。そんな伝説の天才監督が、20代半ばで撮ったのが本作です。かなり古い映画ではありますが、とてもよく出来たエンターテインメント時代劇です。

 

 

作品情報

タイトル:丹下左膳餘話 百萬兩の壺

    (丹下左膳余話 百萬両の壺)

製作年 :1935年

製作国 :日本

監督  :山中貞雄

出演  :大河内傳次郎

     喜代三

     宗春太郎

     山本礼三郎

     高勢実乗

     鳥羽陽之助

     花井蘭子

     深水藤子

     沢村国太郎

 上映時間:92分

 

あらすじ

柳生家の当主・柳生対馬守は、代々伝わるこけ猿の壺に、百万両の埋蔵金の場所を示した絵図面が塗り込められていることを知ります。しかし、このことを知らなかった対馬守は、弟の源三郎(沢村国太郎)が江戸の道場に婿入りする際に引出物として与えてしまっていました。


対馬守は源三郎から壺を取り返そうとしますが、兄への反抗心からこれを拒否。壺を屑屋に売ってしまいます。やがて、源三郎も壺の秘密を知ることになり、源三郎も壺を探すことになります。


屑屋は、金魚入れを探していた隣人の幼い安坊に壺を与えます。安坊は父の七兵衛と2人暮らし。七兵衛は、よなよな安坊を置いて矢場に入り浸って遊んでいましたが、ある夜、ヤクザ者と揉めて殺されてしまいます。


矢場の女将・お藤(喜代三)と用心棒の丹下左膳(大河内傳次郎)は、身寄りのない安坊の面倒を見ることになり…。

 

解説&感想(ネタバレあり)

壺というマクガフィン

本作は、1つの壺を巡る人間の欲望や人情を描いた時代劇。物語の中心には壺があります。当然のことながら、壺は生き物ではありませんから意志を持って動きません。しかし、本作では、ストーリーと関係のないところで、登場人物の動きによって壺が揺れたり落ちたりとよく動きます。キーアイテムに注目させるちょっとした演出がうまいところです。


この壺を、対馬守の陣営や源三郎は必死に探すわけですが、やがて源三郎の方は、壺探しは街に繰り出す口実になって、矢場で遊ぶことが目的になっていくのが面白いです。源三郎は矢場で壺にニアミスしているわけですが、それには目もくれません。


本当は街に繰り出したいのに、妻の前では"行きたくない感"を出すのが可笑しいですね。「10年かかるか、20年かかるか」の反復も心地よいです。


最終的に源三郎は壺を手に入れるわけですが、矢場に来られなくなることを気にして、100万両のことなどどうでもよいという態度。100万両の埋蔵金が本当に存在するのか否かは不明のまま、映画は終わります。結局、本作の壺は一種のマクガフィンであって、物語を展開させる上で重要でありつつも、壺そのものには何の重要性も無いのです。

 


テンポのよいストーリー展開

本作は、脚本も演出も秀逸で、とにかく無駄がありません。この時代にこんなスマートな喜劇が撮られていたのかと驚かされます。特に、冒頭からテンポのよいストーリー展開は見事なもの。


シーンの始まりで、場面説明の映像を流しつつ、音声は画面にまだ登場していない人物の台詞を流す、というテクニック(一種のJカット)が冒頭から3シーン連続で用いられています。映像と音声で、2つの情報を同時にアウトプットすることで、どうしても説明的になりがちな映画導入をテンポよく見せています。


テンポよく、と言えば、本作で多用されているテクニックがもう一つあります。


例えば、矢場で七兵衛がヤクザ者と揉めた後のシーン。左膳に七兵衛を送っていくよう頼むお藤でしたが、左膳はこれを拒否。「金輪際おりゃあ(俺は)送っちゃ行かんぞ!」と叫んだ直後、シーンが変わると、左膳は七兵衛と夜道を歩いています。


あるいは、安坊が孤児となり腹を空かせているシーン。安坊を不憫に思った左膳が、お藤に飯を食わせるように促しますが、お藤はこれを拒否。「誰があんな子供にご飯なんか食べさせてやるもんか!」と言い放った直後、シーンが変わると、お藤は安坊に「どう、美味しい?」


このように、「ある行動をとることを拒否した左膳やお藤が、考えを改めてその行動をとる」というシーンにおいて、考えを改める場面をすっ飛ばして描きます。この"省略"が物語をテンポよく見せると共に笑いも生み出しています。


特に本作ではこのパターンの"省略"が何度も何度も繰り返されるので、リズミカルで心地の良い笑いになっています。この"省略"の後の結果の部分は、すべて左膳やお藤の優しさの結果というところがまた良いんですよね。


また、終盤に差し掛かったところで、いじめられるから送っていってという安坊に対して、左膳が「俺はいかねぇぞ!」と言うシーンがあります。ここでも"省略"が入るかと思いきや、一転、左膳がもじもじと悩む姿、居ても立っても居られず安坊を追いかけていじめっ子を懲らしめる姿を全て描いています。


ここで、これまでのパターンと明確な差をつけることで、これからクライマックスへと進んでいくストーリーに大きな抑揚がつけられているような印象を受けます。


余談ですが、上に挙げた2つのテクニックは、スティーヴン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』でも多く用いられています。同作は重苦しい内容かつ長尺であるにもかかわらず、これらのテクニックによって、観客を退屈させずに、リズミカルにストーリーを展開させています。

 


大河内傳次郎as丹下左膳

あらすじを見ても分かるように、本作は丹下左膳を軸にストーリーが進むわけではありません。丹下左膳が登場するのは、映画が開始して15分以上経過してからになります。


とは言え、その存在感は随一で、登場時から異様な雰囲気を放っています。粗暴でやや聞き取りにくい台詞回しは、現代の常識から言えばNGな発声に思えますが、本作においてはそれすらも強烈な個性として魅力的に映ります。


大河内傳次郎と言えばやはり"殺陣"なのでしょうが、本作ではクライマックスのチャンバラがGHQの検閲でばっさりカットされています。安坊が壺を売りに出たという状況で、時間的な焦りも加わって、緊張感溢れるシーンであったことは間違いないでしょうから、本当に惜しむばかりです。


結果として唯一の殺陣のシーンとなったのは、夜道で七兵衛の仇を討つシーンです(道場の源三郎との殺陣は茶番なので除外)。安坊に目を閉じて10まで数えろと言い、相手を鮮やかに斬ります。10カウントによる緊張感に加え、安坊の「あのおじさん、なんで唸ってるの?」に対する「博打に負けたんだろ?」。痺れます!直前のシーンの伏線も見事に決まっていますね。


本作は、コメディタッチであったり、丹下左膳が根っからの善人に描かれていたりと、他の丹下左膳作品とは一線を画しています。そのせいもあってか、原作者からの抗議を受け、タイトルが『丹下左膳"余話"』となったと聞きます。


しかし、皮肉にも、映画として評価の高い本作が、現代では最も見られている丹下左膳かもしれませんね。

 

最後に

今回は映画『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』の解説&感想でした。時代劇という属性もあってか、落語のニュアンスも感じさせる楽しい人情喜劇になっています。この天才監督が20代で世を去ったこと、GHQによる検閲により素晴らしいシーンが失われてしまったことが本当に惜しいです。

 

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